大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

RE・乃木坂学院高校演劇部物語・105『仰げば尊し』

2023-02-04 07:09:06 | 青春高校

RE.乃木坂学院高校演劇部物語    

105『仰げば尊し』 

 


 話しは戻るけど、三月十日は乃木坂さんがいなかった。

 三月十日は東京大空襲の日。

 乃木坂さんの命日でもあるし、大事なあの人、マサカドさんと言おうか、三水偏の彼女と言おうか、その大切な人の命日でもあったんだもんね。

 乃木坂さん自身の平気な顔は――それには触れないでほしい――という意思表示。わたしたちも、聞かないことにした。

 潤香先輩はロケの疲れで二日ほど寝込んでいたけど、梅の花が満開になったころから、徐々に稽古を覗きにきてくれるようになっていた。


 そして……それは起こった。


 桜の蕾が膨らみ始め、新入生たちの教科書や制服やらの引き渡しの日。

 稽古場の同窓会館にいても、新入生たちの初々しいさんざめきが聞こえてくる。

 その日は、理事長先生と潤香先輩がピアノの傍で、乃木坂さんはバルコニー近くで、静かに稽古を見てくれていた。


 それはクライマックスのシーンで起こった。


 都ばあちゃんが、地上げ屋の三太にも三人の子供たちにも見放され、一人お茶をすする中、突然脚と腰に走る痛み。遠く聞こえる若き日のなつかしの歌。
 
 埴生の宿も わ~が宿 玉の装い羨まじ……♪

 都ばあちゃんの最後が迫る。登場人物みんなで「埴生の宿」の合唱になる。都ばあちゃんは最後の力をふりしぼって最後の一節を唄う。

「……楽しともぉ……頼もしや……♪」

 そこで見えてしまった。乃木坂さんの体が透けてきているのを……。

「乃木坂さん!」

 おきてを破って叫んでしまった。一瞬乃木坂さんは「だめじゃないか」という顔になり、そして……気がついた。

 自分にその時がやってきたことを……。

「あ、あなたは……」

 潤香先輩にも見えてしまったみたい。

「水島君……」

 理事長先生は、驚きもせずに、静かに、そして淋しそうに乃木坂さんの本名を呼んだ。

「……先生、ご存じだったんですか」

「三月の頭ごろからね……この歳になるととぼけることだけは上手くなるよ。本当は、イキイキとした君の姿を見られて、とても嬉しかったんだ」

「……僕の役目は、もう終わっていたんですよ……それが、この子達と居ることが楽しくて、嬉しくて……ちょっと長居をしすぎたようです」

「わたしを助けてくれたの……あなた……あなた、なんでしょ?」

 潤香先輩が、ささやくように言った。

「君は、こんなことで死んじゃいけない人だもの……僕は、昔、助けたくても助けられなかった人がいる。自分の命と引き替えにすることさえ出来なかった……みんな、最後は願ったんだ。自分は死んでも構わない。その代わり、他の誰かを生かして欲しい……親を、子を、孫を、妻を、夫を、教え子を、愛しい人を一人だけでも……みんな、そう思って、身も心も焼き尽くされて死んでいったんだ」

 わたしは、カバンから、あの写真を取りだした。

「この人だったんでしょ。乃木坂さ……水島さんが守りたかったのは、苗字の上の字が三水偏の女学生」

「……そうだよ。あの時は仲間に申し訳なくて言えなかった。今、ここに居る仲間は喜んで許してくれる。その子は、十二高女の池島潤子さん。潤子の潤は……」

「わたしと同じ……?」

「そう……不思議な縁だね」

「水島さん。下のお名前も教えてください。わたし一生、あなたのことを忘れません」

「それは、勘弁してくれたまえ。僕たちは『戦没者の霊』で一括りにされているんだ。こうやって、君達と話が出来ることも、とても贅沢で恵まれたことなんだよ。苗字を知ってもらったことだけで十分過ぎる。高山先生、こんな何十年も前の生徒の苗字、覚えていただいていて有難うございました」

「もう歳なんで下の名前は……忘れてしまった。でもね、僕は時々思うんだよ……この歳まで生かされてきたのは、君達の人生を頂いたからじゃないかと」

「先生……」

「だとしたら、そうだとしたら、僕はそれに相応しい……相応しい仕事ができたんだろうか」

 水島さんは、仲間の承諾を得るようにまわりを見渡し、ニッコリとした笑顔で大きくうなづいた。

「ありがとう、水島君。ありがとう、みなさん」

 空気が暖かくなってきたような気がした。水島さんの体がいっそう透けてきた。

「それじゃ……」

 と、水島さんが言いかけたとき、バルコニーの外の桜がいっせいに満開になった。

 最初、水島さんに会ったときの何倍も、花吹雪は壁やガラスも素通しで談話室に入ってくる。

 気づくと、壁に紅白の幕。理事長先生の後ろには金屏風、日の丸と校旗も下がっている。

「これは……」

 と言ったのは、水島さん。わたしは思った、ここにいる大勢の水島さんの仲間がはなむけにやった演出だ。

「ありがとう、みんな……先生、最後に一つだけお願いがあります」

「なんだろう、僕に出来ることなら……」

「『仰げば尊し』を唄わせてください。僕は唄えずに死んでしまいましたから、最後にこれを……」

「では、僕たちは『蛍の光』で送らせてくれたまえ」

「僕には、もう、そこまで時間が残っていません」

 水島さんの手足は、消え始めていた。

「じゃ、じゃあ、みんなで唄おう!」

 理事長先生はピアノに向かった。  

―― 仰げば尊し我が師の恩 教えの庭にも早幾年(はやいくとせ) 思えば いと疾し この年月 今こそ別れめ……いざ さらぁば ♪ ――

「さらば」のところでは、もう水島さんの声は聞こえなかった。そして、桜も金屏風も紅白幕も、日の丸も消えてしまった。

 でも、校旗だけがくすんで残っていた。

 いえ……最初からあったんだけど、だれも気がつかなかった。何ヶ月もここを使っていながら。

 そして……悔しかった。わたしたちだれも『仰げば尊し』を完全には唄えなかった。ちゃんと水島さんを送ってあげられなかった……わたし達は、この歌を教えてもらったことがない。

 でも歌の心は分かった。

 それを忘れるところまでわたし達のDNAは壊れてはいなかった。その心が少しでも水島さんに届いていればと願った。

 

☆ 主な登場人物

  • 仲 まどか       乃木坂学院高校一年生 演劇部
  • 坂東はるか       真田山学院高校二年生 演劇部 まどかの幼なじみ
  • 芹沢 潤香       乃木坂学院高校三年生 演劇部
  • 芹沢 紀香       潤香の姉
  • 貴崎 マリ       乃木坂学院高校 演劇部顧問
  • 貴崎 サキ       貴崎マリの妹
  • 大久保忠知       青山学園一年生 まどかの男友達
  • 武藤 里沙       乃木坂学院高校一年生 演劇部 まどかと同級生
  • 南  夏鈴       乃木坂学院高校一年生 演劇部 まどかと同級生
  • 山崎先輩        乃木坂学院高校二年生 演劇部部長
  • 峰岸先輩        乃木坂学院高校三年生 演劇部前部長
  • 高橋 誠司       城中地区予選の審査員 貴崎マリの先輩
  • 柚木先生        乃木坂学院高校 演劇部副顧問
  • 乃木坂さん       談話室の幽霊
  • まどかの家族      父 母(恭子) 兄 祖父 祖母

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