大橋むつおのブログ

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・8「ヘルタースケルター」

2016-08-15 06:29:39 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・8「ヘルタースケルター」

 この春(2016年5月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ

 いやいや、すげぇでんす。

 見ないでいいよ、じゃなくって「こんな映画は見ちゃいけない!」一本。  
 いや本間、久し振りでんなぁ、ここまでたった一言で切って捨てられる作品は。いやぁ、ヒデエもんでした。
 原作と監督、どちらにより責任が有るのか(原作は今読んでいるところ。嫌いな絵柄なので進まない)よう判りませんが、設定は古いわ、セリフは臭いわ、……兎に角、薄っぺらい作品で、見ていて苦痛。上映127分が3時間位に感じられ、映画中盤で「まだ終わらんのんかい」とイラつく。
 原作は16年前の連載らしいが……知らんなぁ、こんな漫画。私ゃ自他共に認める漫画読みでんす、どんだけ嫌いな絵柄でもエポックメイキングな作品は大概読んでいるつもりだが、まぁったく知らんなぁ。今、半分位読み終えたが、今作の出来の悪さの半分は原作に責任が有りそうだ。 売れっ子モデルがしゃぶり尽くされ、消耗して行くが、それでも自分の姿(自己を曝す…ではなく、あくまで外面だけ。しかし、姿を曝すのは、いかに取り繕っても、自分の内面を曝す事になることを理解していない)を世界でしか生きて行けない。

 そんな悲惨で虚飾に満ちた女の物語だが…描き方が、全く薄っぺらなステレオタイプ。4~50年前ならいざ知らず、16年前にこんな設定・構築の作品がエポックメイキングであった筈がない。それをまた、なんで今頃、わざわざ映画化してみせるのか、これまった理解不能。あまりにも類型的かつ安っぽいストーリーテリングなので、主人公に共感も、嫌悪感すら感じられない。蜷川監督の写真家としての感覚なのだろう、被写体を美しく見せる事が重要であって、世界(人生)の一部を切り取って、そこから真実を覗かせる事には関心が無さそうである。蜷川実花にとって「これが真実だ」と言うなれば、もうなんにも言えない、問題外である。ステレオタイプなのはストーリーだけではない、衣装のセンスもなんだか古いし、色使いも見ていて苦痛(特に“赤”)…なんとまあ、あんたホンマにファッション写真を撮っているプロ? そういえば、前作「さくらん」も、目に辛い映画でした。
 原色で塗りつぶした映画と言えば、中島哲哉(バコと不思議な絵本/嫌われ松子の生涯)を思い浮かべるが、本作に比べれば目に優しい。
 兎に角、スクリーンの中に、生きている人間が一人もいない、リアルのひとかけらも無い。これをリアルと認める事は、主演・沢尻エリカの内面が、この映画の通りなのだと認める事で…どうでもいいが、そりゃあ あまりにも沢尻エリカに対して残酷な話ってもんでしょ。エリカちゃんの裸は、それなりに綺麗だが、全く“エロ”を感じない、これじゃ全く無意味じゃんか。沢尻エリカの裸を見に来ている観客も居ただろうが、はてさて、堪能したんでしょうかねぇ。
 昔(60年代末)、アメリカ製ホラーポルノに、美容整形医師の妻が顔に傷をおい、それを治す特効薬が、人間の脳下垂体からしか作れないってんで、次々美人を殺しては首を切り取るという駄作がござんしたが、本作はまるっきり同じ範疇の作品でんなぁ。
 
 長々悪口を書いとりますが、結局一言、「見る必要無し」

 どころか「こんな映画は見ちゃいけない」一本。

 蜷川実花は、このまま行くと、角川春樹と並んで、邦画界の癌になりそうでんなぁ…そう言えば、親父の蜷川ゆきお(漢字忘れた)の演出も、一人よがりな所があるし(所詮、四季で二流の下の役者でしたからねぇ)、こりゃあ、“血”ってもんですかねぇ、やだやだ。

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