タキさんの押しつけ書評
『犬の力』
昨年の春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ
これは、映画評論家・滝川浩一の書評を転載したものです。
えっ?そんな映画があるのか?
と思われた皆様、ハァイ! 正解です、“犬の力”という映画はありません。
これはドン・ウィンズロウの小説です。 絶対読め! と友人がわざわざ持ってきてくれました(角川文庫) 内容はDEA(麻薬取締局)局員のアート・ケラーとメキシコの麻薬カルテル/バレーラ・パサドール(一統)との30年に渡る まさに血を血で洗う抗争の物語。
“犬の力”とは何を指すのか……旧約聖書/詩篇22章:窮地からの解放を神に祈る言葉の中に「剣」と共に、民を苦しめる“悪の象徴”を表す言葉として書かれています。
虚構の中にCIAのコントラ支援(ちゅうかアメリカ政府やけどね)なんかの事実が絡められ、さながら70年台からの30年に渡るアメリカ/メキシコの裏面史を読む趣です。
DEAのアートはメキシコからやってくる麻薬を止めようとやっきに成っているが、メキシコ官憲はやる気無し、どころか麻薬シンジケートに買収されて 信頼できる者はほんの一握り。DEAも、どこか腰が引けている。
アートはあくまでも法に則って対処しようとするが全く歯が立たず絶望する。様々な難事が降りかかり、また、コロンビア解放戦線やら武器密売に中国軍が絡み、アートの中で何かが瓦解する。
表面は法の執行官だが、徐々に「悪に対抗出来るのは、さらに強力な悪だ」と確信していく。“俺の中に犬の力を感じる”と……ラストは良くできたサスペンスになっていますが、カタルシスは無い。極めて後味の悪い幕切れとなっている……まぁ、現実です。
全編からウィンズロウの怒りの叫びが聞こえて来る。
さて、長い前置きでしたが、映画評になんで書評かっちゅうと、本作がアメリカのクライム(ノアールでも良いが)映画を理解する上で道案内をしてくれるからです。
昨年のコーマック・マッカーシー脚本の「悪の法則」を見る前に本作を読んでおけば、マッカーシーが行間に埋めていたサイドストーリーが全て見えてきます。 数年前、東野圭吾「白夜行」のテレビドラマ化に際して、小説に書かれていない事件の裏工作を総て描いて見せました。小説とドラマの相乗効果の最良の例でしたが、まさにこれと同じ効果が出ています。コーマック・マッカーシーは「総てが悪意なんだ」「具体的力を持たぬ者は悪に関わってはならない」と描いて見せましたが、ウィンズロウは悪に対するに いかに力を得るかに言及しています。
アメリカが「法治国家の皮を被った自警国家」だと繰り返し書いてきましたが、まさに人が「我が身は我が守る」という結論にいかにして導かれるかが延々と描かれています。そして、力には必ず、さらに大きな力を持つものが存在し、その高みに至らないなら結局 良くても失敗、悪くすれば破滅してしまう。絶対的真実。
ノアール作品ばかりではありません。バットマンにせよ、スパイダーマンにせよ、「自警」と言う意味では一緒です。 殊に、クリストファー・ノーランがリブートしたバットマン/スーパーマンに顕著に見てとれます。 バットマンの物語の中では善悪の境界が常に揺らいでいますし、リブート3部作は悪対悪の構造になっている部分が大きな割合を持っています。 ヒーロー物語だと、最後に大ドンデン返しトリックで全部チャラにしてしまう訳ですが、これがリアルクライムだとそうは行きません。 出した結果は、総てキャラクターが担がねばなりません。
本作ラストがサスペンススリラーに有りがちな展開になっており、もしかしたら何もかも綺麗に収まるか……と一瞬思いましたが、そんな訳ゃぁありませんでした。 なんとも重苦しい幕切れを迎えます。これがアメリカの真の姿だとまでは言いませんが、かなり正解に捉えられているとは言えます。読み切るのに結構体力が必要ですが、一読後には自由の国・アメリカ(今時こんな呼び方しませんか?逆に言えば自由の国だからこその捻れです)の別の顔が見えてきます。
物事を鳥瞰するとか相対化して見るのとは意味が違います。こんな小理屈は別にしても、極めて重層的に組み上げられた物語。 裏切り、罠、怒り、謀略、暴力、権力抗争、出会い、別れ、…死、死、死、死……実に様々な要素が精緻に組み上げられており、だからこそ虚構と知りながらも現実を見せつけられている気分にはまり込みます。
これをこのまま映画にしてほしいもんですが、半端な作品になるでしょうね。 それじゃ意味がないんで、まぁ 本で楽しむしかないでしょう。「楽しむ」って言葉がまず違うと言われそうではありますが。
『犬の力』
昨年の春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ
これは、映画評論家・滝川浩一の書評を転載したものです。
えっ?そんな映画があるのか?
と思われた皆様、ハァイ! 正解です、“犬の力”という映画はありません。
これはドン・ウィンズロウの小説です。 絶対読め! と友人がわざわざ持ってきてくれました(角川文庫) 内容はDEA(麻薬取締局)局員のアート・ケラーとメキシコの麻薬カルテル/バレーラ・パサドール(一統)との30年に渡る まさに血を血で洗う抗争の物語。
“犬の力”とは何を指すのか……旧約聖書/詩篇22章:窮地からの解放を神に祈る言葉の中に「剣」と共に、民を苦しめる“悪の象徴”を表す言葉として書かれています。
虚構の中にCIAのコントラ支援(ちゅうかアメリカ政府やけどね)なんかの事実が絡められ、さながら70年台からの30年に渡るアメリカ/メキシコの裏面史を読む趣です。
DEAのアートはメキシコからやってくる麻薬を止めようとやっきに成っているが、メキシコ官憲はやる気無し、どころか麻薬シンジケートに買収されて 信頼できる者はほんの一握り。DEAも、どこか腰が引けている。
アートはあくまでも法に則って対処しようとするが全く歯が立たず絶望する。様々な難事が降りかかり、また、コロンビア解放戦線やら武器密売に中国軍が絡み、アートの中で何かが瓦解する。
表面は法の執行官だが、徐々に「悪に対抗出来るのは、さらに強力な悪だ」と確信していく。“俺の中に犬の力を感じる”と……ラストは良くできたサスペンスになっていますが、カタルシスは無い。極めて後味の悪い幕切れとなっている……まぁ、現実です。
全編からウィンズロウの怒りの叫びが聞こえて来る。
さて、長い前置きでしたが、映画評になんで書評かっちゅうと、本作がアメリカのクライム(ノアールでも良いが)映画を理解する上で道案内をしてくれるからです。
昨年のコーマック・マッカーシー脚本の「悪の法則」を見る前に本作を読んでおけば、マッカーシーが行間に埋めていたサイドストーリーが全て見えてきます。 数年前、東野圭吾「白夜行」のテレビドラマ化に際して、小説に書かれていない事件の裏工作を総て描いて見せました。小説とドラマの相乗効果の最良の例でしたが、まさにこれと同じ効果が出ています。コーマック・マッカーシーは「総てが悪意なんだ」「具体的力を持たぬ者は悪に関わってはならない」と描いて見せましたが、ウィンズロウは悪に対するに いかに力を得るかに言及しています。
アメリカが「法治国家の皮を被った自警国家」だと繰り返し書いてきましたが、まさに人が「我が身は我が守る」という結論にいかにして導かれるかが延々と描かれています。そして、力には必ず、さらに大きな力を持つものが存在し、その高みに至らないなら結局 良くても失敗、悪くすれば破滅してしまう。絶対的真実。
ノアール作品ばかりではありません。バットマンにせよ、スパイダーマンにせよ、「自警」と言う意味では一緒です。 殊に、クリストファー・ノーランがリブートしたバットマン/スーパーマンに顕著に見てとれます。 バットマンの物語の中では善悪の境界が常に揺らいでいますし、リブート3部作は悪対悪の構造になっている部分が大きな割合を持っています。 ヒーロー物語だと、最後に大ドンデン返しトリックで全部チャラにしてしまう訳ですが、これがリアルクライムだとそうは行きません。 出した結果は、総てキャラクターが担がねばなりません。
本作ラストがサスペンススリラーに有りがちな展開になっており、もしかしたら何もかも綺麗に収まるか……と一瞬思いましたが、そんな訳ゃぁありませんでした。 なんとも重苦しい幕切れを迎えます。これがアメリカの真の姿だとまでは言いませんが、かなり正解に捉えられているとは言えます。読み切るのに結構体力が必要ですが、一読後には自由の国・アメリカ(今時こんな呼び方しませんか?逆に言えば自由の国だからこその捻れです)の別の顔が見えてきます。
物事を鳥瞰するとか相対化して見るのとは意味が違います。こんな小理屈は別にしても、極めて重層的に組み上げられた物語。 裏切り、罠、怒り、謀略、暴力、権力抗争、出会い、別れ、…死、死、死、死……実に様々な要素が精緻に組み上げられており、だからこそ虚構と知りながらも現実を見せつけられている気分にはまり込みます。
これをこのまま映画にしてほしいもんですが、半端な作品になるでしょうね。 それじゃ意味がないんで、まぁ 本で楽しむしかないでしょう。「楽しむ」って言葉がまず違うと言われそうではありますが。