●素老日誌 2010.10.05.(リハビリ日誌 18日目)
●左手でつまんだ!
今日も昼間は行けず、夜のみ。10時半ごろに行く。
「お母さん元気よ」と職員さんから昼間の様子を聞かせていただける。
今日のおやつは、栗きんとん(れもんの手作り)だったのだが・・・
なんと、左手でつまんだ!
と言うのだ、左手で!
さらに、口を左手でぬぐったのだそうだ。
●自分で移動した!
また、車椅子から移動するとき、「痛い、痛い」と大さわぎ。
「それじゃあ、自分で行ってみたら?」と言うと、
本当に自分で立ち上がろうとしたらしい。
サポートすると、
自分でベットにゆっくりと滑り込んだというのだ。
えっ?どういうこと?
一度に事態が飲み込めない私は、しつこく聞く。
職員さんも面白そうに実演して見せてくれる。
人に抱かれて移動するときの不安感・怖さより
自分で行った方がいい!
そう思ったのだろうか?
それができると確信が出てきたのだろうか?
体が自然に動いたのだろうか?
いずれにせよ、「自分で移動する」を実行したのだ。
●右手で「左手が動きますように」
部屋に行くと母はよく眠っている。
いつもの足のマッサージをしていると母がうっすらと目を開けた。
私を確かめて、何を考えているのかじーっと私を見ている。
そして、
ゆっくり左手を動かし、
自分の胸の上に置いて止めた。
次に、左手の上に右手をそっと重ねた。
優しくさすりながら母は、言った。
「左手が動くように、ってさすっとるの」。
そういえば・・・
夜眠っているとき
母の左手が胸の位置にあることがあったなあ。
私は、「ここまで動かすことができたんだ」と思うだけだったのだが・・・。
母は、自分でも意識してメンテナンスしていたんだ・・・
そうだったんだ、そうだったんだ・・・
ささやかな変化、いや、ささやかな変化だからこそ、
傍にいるものが、しっかりと見る。
そういう人がいてくれて、
人はさらに意識的によく生きようとするのではないだろうか。
相手が人である限り、
どんな病気を抱えていても、
いくつになっても、
子育てであろうが、
介護であろうが、
みな同じではないだろうか。
だって・・・
人とは、誰もがよく生きようとしているものだから。
私は、そう思っている。