●素老日誌 2010.10.13.(リハビリ日誌 26日目)
レモンの里の仲間のお一人が亡くなられた。
危ない状態になって二週間。
連日家族さんの泊り込みの看護の下、
穏やかに逝かれた。
今日は、出棺の日。
ちょうど整体の先生が来てくださることになっている。
待っている間、
母は、はらはらはら・・・と泣いている。
しかし、朝起きたばかりの母は、出棺ということはわかっていないはず。
娘:どこか痛いの?
母:(首を横に振る)
娘:悲しいの?
母:(首を横に振る)
娘:泣けてくることもあるよなあ。
母:(首を縦に振り、またはらはらはら・・・と涙)
この涙の正体は何だろう?と思いつつも、
私は勝手に体が不自由になった母の胸中を想った。
そこへ、整体の岡先生が来てくださる。
先ほどからずっと涙している母の様子を話すと・・・
「今日のこのホーム全体の空気を脳が察知して、
泣いてみえるんでしょう」。
なるほど・・・確かにそうかも・・・。
道理で、今日の涙には、
感情が乗った重さ、激しさがなかったわけだ。
言葉にできる理由はわからなくても涙が自然に出てくる。
音楽を聞いたり、絵を見たりして無自覚に泣けてくる・・・
そういう感覚に近いだろうか。
いやいやもっと深いか・・・
こういう感性って、
何かにつけ理由をつけたがる頭でっかちの私には、
むしろ羨ましい。
だけど、そういう感性って、
私たちの中にも本当はもっとあるはずなんだよなあ。
そう、これも認知症の母から教わった大事なことの一つ。
それは・・・
「考えない」。