日本学術会議(以下「会議」)が当初から、“軍事に関する研究を行わない”と宣言していたことを知った時、爺は違和感を覚えた。それは、「会議」のメンバーは国の安全保障をどのように認識しているのか、また兵器開発に学者の知見が必要になる場合は、政府は「会議」以外の学者に協力を求めるのか、という疑問を感じたからである。
ところが、10月18日の産経新聞に掲載された古森義久氏による論考「日本学術会議にGHQの影」を読んで、頭の中がかなりすっきりした。その論考からかいつまんで引用する(青字)。
日本国憲法草案の作成者である元GHQ幹部のチャールズ・ケーディスと面談した時、同氏は日本国憲法の基本思想に関し、“日本が二度と戦争することができないようにすることがGHQの意図だった”と述べた。
一方、「会議」が設置されたのは、まだGHQの占領下の1949(昭和24)年であり、その翌年に“軍事関連の研究には一切かかわらない”という声明を出した。憲法との関連がないとするには、あまりにもタイミングが合いすぎる。・・・
「会議」は1950年に吉田茂首相宛てに決議文を提出したが、そこには“新憲法の下に天皇主権から人民主権に代わり、日本が新しく民主国家として発足した現在では元号の意味がなく、民主国家の観念にもふさわしくない。・・・天皇がいなくなれば元号は自然消滅する” という記述があった。(以下省略)
この論考を読むと、「会議」には設置当初から強い左派的イデオロギーがあったように感じられる。そして、「会議」は天皇制と元号制を否定していたと受け取れるし、「人民主権」という用語にも左派的思想を感じる。
しかし、その後、時代は大きく変化した。米国は方針を180度変更し、日本に軍備を強化するよう求めているし、当時と比べれば、一部のメディアを除き、左派的色彩は弱まった。だから、「会議」も時代の変化に対応して、その基本理念を変更するべきである。
ところで、ネットでは「学術会議」に関して否定的な意見が多い。その一つは「会議」の一部のメンバーが中国の学術研究に参加しているという問題である。そして、もう一つは京都大学、都立大学、名古屋大学などの国立大学が自衛官の入学を拒否したことがあること*。
*(注)桜井よしこ氏が「国立大学は自衛官の入学を拒否した」と発言したのに対し、毎日新聞は入学を認めたケースを挙げて、桜井氏の発言を誤りだとした。しかし、その後、上記のような例があることから、毎日新聞の報道が誤りだったことが判明した。
https://www.youtube.com/watch?v=-IR3BjXlRwk
さて、学者たちにはそれぞれ独自の思想・主張があるから、「会議」の名のもとに統一見解を出すこと自体に無理がある。日本政府が長い間、「会議」に提言を求めなかったわけは、「会議」が統一見解を出すことが出来ないと判断したか、もしくは政府の方針に合わない見解を出すのではないかと懸念したからではなかろうか。
こうして考えると、政府が費用を負担する「会議」は、もはやその存在価値を失ったのではないか、という判断になる。「会議」のあり方については、これから議論されるだろうが、爺としては「会議」は民間事業に衣変えするのが適切だと考える。