週末はまた東京に帰りました。祖母の四十九日の法要に。
身内の四十九日法要は今年これで3回目です。そろそろ一段落つけたいなぁ~
そう思ってしまいます。
なんと今ごろから朝顔が咲き始めました。咲かない咲かないとブログでもご紹介した
あの朝顔です。
私たちのところに来てくれる前にお花屋さんでひとしきり花を咲かせ、結んだ種が
土に落ちて新しい葉となったのかもしれないと感じていますが。。いかがなものでしょうか??
とにかく、可愛らしい小さな花がいくつか咲いてくれています。
朝顔の季語は秋だったような気がして、だから今も咲くのだと感じて
私の持っている「俳句歳時記」を調べてみますと
「朝顔は従来秋の季語として使われてきたが、現実には盛夏の花であり、秋になると色も形も見劣りがする」と書いてありました
見劣りがする!ってあなた
それはないでしょうに・・・
そう思っていると、こんどはガラス戸にあの柔らかく小さかったバッタたちが
姿を現してくれました。
よく来てくれました。ありがとう。うれしいな。
喪の儀式の続くなかにあって、私たちの独り息子はとても良いご縁をいただいて
来年結婚式を挙げることになりました。色々なことが起こりすぎて、
はじめは少しとまどいましたが、
いまはそれがとてもありがたく、親としてとても幸せな気持ちです。
時は少しも留まることなく過ぎていきます。別れも出会いも一緒くたにやってきます。
今日は最後に画家香月泰男の二つの言葉をご紹介させていただこうと思います。
26才、香月が私の息子と同じ歳ぐらいのときの言葉と
55才、今の私の歳のときの言葉です。
1938年 26才記 香月泰男
生きることも捨て身でかからなければならぬ
愛することも捨て身でかからなければならぬ
芸術を生むことも
恋人を愛することも
1966年 55才記 香月泰男
子供たちは成長して巣立ちしていく
太陽 月 星と 鳥たちと虫どもと花花と
変わらぬ姿でいるもの
わたしに憎しみをもたぬものなどと話をすることにしよう
いずれ土に帰るその日まで