つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

2020年01月11日 | 山口薫
年末にお手紙を差し上げると、画家の卵さんが今日、薫の作品をご覧になりにいらっしゃいました。

柿をずーーーーっとご覧になっているので、佐橋が鳥もご覧に入れると、そちらもずーーーーーー
っとご覧になってくださいました。













しばらく経ってから、私が「如何ですか?」とお聞きすると、

「感動しました。近くでみると淡く、とても都会的で現代的なのに、遠くから見ると柿の一つ一つの存在感に圧倒される。見たものを描いているのではなくて、感じたことを全て感じた通りに描いている。何一つ、無駄がなく、何一つ妥協がない。凄い感性です。空間に境界線を入れるような縦の線は、普通怖くて引けないです。」

とおっしゃってくださいました。

「今の絵具はとてもよく出来ていて、滑らかで、繊細な色もあるけれど、当時の絵具は多分、今のように便利ではなくて、すべての色を自分で作っていくと思うんです。ずっと見ていても、どうやって作っているか僕にもわからない部分も多いですが、鈍い色を作ってここまで透明感を出せるのは凄いなぁと思います。」と教えてくださいました。

画商が店舗を持つ事が少なくなりました。

絵を売るという事を考えると店舗を持つことは無駄が多いと判断する時代なのかもしれません。

確かに常に店を開くというのは大変なことです。

きっとこの方は私が話しかけなければ、私たちが他の仕事をしている間もずーーと絵を見て、
何もおっしゃらずに帰っていかれただろうと思います。

絵を見るということはそういうものだと思い、今年も頑張って店を開き続けようと思いました。








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彫刻家の眼、言葉  高村光太郎って?

2020年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム

さて、高村光太郎の言葉について年末にご紹介をさせていただきました。

高村光太郎の詩集や著作物に触れ、詩は勿論、 芸術家としての使命感、またその芸術観において
近代日本の芸術家にこれほどまでの深みに到達できた作家は、
しかもその若さで、、1人もいなかったのではないかと感動致しました。

が、ふと我に返り考えてみますと制作数が少ないとはいえ、光太郎の彫刻作品には
なるほどその技術も、また極力無駄を省くというい近代的な試み、造形美も十分感じられるにもかかわらず
詩や文章に受ける圧倒的な情熱の継続、感動をそこに長く、強く感じ続ける事が出来ない気がしてなりませんでした。

制作に変化がないといってしまえば簡単すぎるのかもしれませんが、
彫刻家としてだけで高村を評価して良いものなのかと迷うのですね。

そんな中にあって以前もお伝えしました通り、当店の図書室に舟越保武と佐藤忠良の対談集を見つけました。







高村光太郎について触れて書かれている部分を以下に抜粋させていただきたい思います。


舟越
僕はやっぱり文章に魅かれているという事がこの頃わかったね。作品にはそんなに魅かれていなかったようだ。

佐藤
作品はそんなにないものね。僕が作品を見て感心したのは「黒田清輝像」あの作品はなかなかの傑作だよ。

舟越
他の人の胸像、いわゆる肖像をつくったのはほとんど良くない。

佐藤
そう、あまり良く出来ていない。

木彫の
鯰、文鳥みたいな作品もどうしても僕はわからない部分というのがあるんだ。

舟越
日本の伝統的な木彫の手法の中の最も良い部分があの中には出ていると思うんだ。
鯰 にしても文鳥にしても、簡潔に、面を処理していて、無駄を取り除いている。その簡潔な手法が高村さんの姿勢、
高村さんの詩の精神と通じるものがある。それがあの木彫には端的にでていると僕はそう見ているんだ。

佐藤
悪い作品だと僕は思わないけれど、あんまり神様みたいに言っちゃうと、どうして俺にはわからなないんだろうなと
いうものがある。

舟越
高村さんは神格化されすぎたというところがあるね。

佐藤
詩を書いたいたせいもあると思う。

舟越
だからかえって気の毒だったね。

佐藤
自分に厳しい人だったという点ではこれはやっぱり珍しい。高雅な人だったというのは僕は良くわかるけど。

舟越
戦争を称える詩なんか随分書いていて、それへの贖罪、そういう気持ちもあって、引っ込んだようなところがあると思う。
それで肉体的にすごく苦労された。あんな所に住めるわけなんだから。それでかなり胸を悪くしている。


中略

佐藤
朝倉さんの家に光太郎の「手」があるんだよ。ちゃんと買っておいてあるというのは、まさにライバル意識のあらわれ
だったと思うよ。

舟越
高村さんの「手」を?

佐藤
そう、買ったんだろうな。
高村が東京へ出てきて十和田湖の彫刻を作るときに、朝倉さんは「高村が山の中に入っていて神様みたいに思われていて、
彫刻をしないであんな詩ばかり作っていて、もしいい彫刻が出来たら俺はシャッポを脱ぐ」といったそうなんだ。
あの人は「彫刻家が1日土をいじらざれば1日の退歩だ」と言っていたし、僕は今でもその言葉を大事にしている。
学生時代は朝倉さんのことを銅像屋だなんて馬鹿にして先生が教室に入ってくると外へ出たりしていたけど、俺は粘土職人になったんだな、というのがその時本当にわかったね。

あの高村の「ロダンの言葉」というのは君も聖書のようにして読んだし、僕もおなじだったね。
高村さんにあれだけの翻訳が出来たというのは、当時高村さんがいい仕事をしてたから深く読み、訳せた証拠だと思う。

舟越
大東亜戦争的な頃の詩が高村さんには災難になったね。それで戦後山に入っちゃった。

舟越
今まで話した事がなかったけれど、僕の書いた手紙の返事に高村さんは「今、佐藤忠良と舟越保武、その辺に私は期待しています。その上の人たちは」とここまできて、名前が何人か書いてあって、「よくない」とあった。便箋三、四枚の手紙をいただいた事があるんだ。「佐藤、舟越など、若い人達に期待しています」という高村さんの手紙、今も大事に残してあるよ。



特に舟越保武は高村光太郎を尊敬し、お嬢さんに千枝子という名前をつけてもらったそうです。
この舟越と佐藤の対談を読ませていただいて、私は高村光太郎を彫刻家として評価するときの戸惑いを払拭させることができました。

やはり高村は詩や文章を書いて良かったのだと思えました。

彫刻家というよりも、芸術家として高村をしばらく捉えていきたいと思え、スッキリとした気持ちになれたのです。


最後に高村が熱心に訳したとされるロダンの言葉をここに書かせていただきます。
彫刻も含め、美術品に込める作家達の思いや鍛錬の意味を鋭く説いていると思っています。


・自然」 をして君達の唯一の神たらしめよ。
 彼に絶対の信を持て。彼が決して醜でない事を確信せよ。そして君達の野心を制して彼に忠実であれ。

・美はいたるところにあります。美がわれわれの眼を背くのではなくて、われわれの眼が美を認めそこなうのです。

・自然はつねに完全です。決して間違いはない。間違いはわれわれの立脚点、視点の方にある。骸骨にすら美と完全とがある。

・芸術は感情に外ならない。しかし量と、比例と、色彩との知識なく、手の巧みなしには、きわめて鋭い感情も麻痺される。


と、ここまで書いて、佐橋にこの記事を読んでもらうと・・

「う・・ん、舟越も忠良も、結局粘土やさんだからね。
 光太郎のことは、わかっているようでわからない部分もあるんじゃないかとこのお話を読んで思ったよ。
 彫像と塑像の違いってあるね。
 木彫には木目があるんだ。逆目をどう刃物で処理するか?木はずっと生きている。しかも作品にした後も、木は動くでしょ。
 毎日捏ねていればいいわけでもないかもしれないね。」

「あっ、なるほど。
 大工の娘として、小さい頃からおが屑の中で遊んで、そんなことにも気づかなかった。
やはり彫刻家として、光太郎だけに見えている世界もあったはずね」

そう反省して、この記事の掲載を諦めようとしましたが、ここまで書いてそれも勿体無いので
高村光太郎って?のまま、今回は終わらせていただこうと思います。



 










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今年もよろしくお願い申し上げます

2020年01月06日 | 日記・エッセイ・コラム
お客様より、素敵な御年賀状を頂戴致しました。

あゝ、大好きなこの作品はお客様の御所蔵作品となったのだ

可愛がっていただいているのだ

そう実感でき、良い一年のスタートを切れるように思いました。

御心遣いに、深く感謝申し上げます。ありがとう存じました。

さて、先の記事の緞帳の正解は

上村淳之

松尾敏男

中島千波

の各先生でした。

全体が撮影できておりませんので、最後が少し難しかったかと存じます。


劇場で最後に紹介された緞帳は




これです。

描いた作家を一生懸命に当てようとしましたが、最後までお名前はでず

結局これはLIXILの会長さんがご所蔵の安土桃山時代の作品「夕顔図」を元に織り上げられた幕でした。

派手さはありませんが、なぜか1番品良く感じられました。





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明けましておめでとうございます

2020年01月06日 | 日記・エッセイ・コラム
謹んで新年のご祝詞を申し上げます。

皆さま、どのようなお正月をお過ごしでいらっしゃいましたでしょうか?

おかげさまで、私どもも家族も無事に越年を致しました。

一部のお客様に御心配をおかけ致しました佐橋の弟も年明け早々に無事に退院できました。


ブログの更新が遅くなり、大変失礼致しました。

この1週間は、妻、嫁、母、姉、おば、、それぞれの立場としてのお正月を
過ごして参りました。

昨日やっと自分の時間が持てましたので、実家からの帰りに
歌舞伎座さんで観劇を致しました。

上の清方の「さじき」は歌舞伎座さんの二階に飾られている作品です。

他にも





川端龍子




岡田三郎助







小林古径







安田靫彦





奥村土牛






竹内栖鳳






東山魁夷

などの作品が楽しめます。




以前山種美術館さんで展覧会が開かれたほどの名画揃い。
また、観劇好きの画家が多かったということでもあるかと思います。


さて、

緞帳は、、

描いた画家さんが直ぐにおわかりでしょうか?

一応佐橋は全部当てましたが、画像が不味いのでおわかりになりにくいかもしれません。
とりあえずご覧いただき、次の記事で正解をお伝えいたしますね。















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