第26日 2004年3月16日(火) 快晴後晴 <43番明石寺>
=おはなはんの町・大洲へ=
5時45分起床、6時30分朝食、Tさんと一緒に7時に出発。
民宿みやこから見える、肱川の川面から朝霧が上がっている。
今朝も雲一つない快晴。冷たいので軍手をする。県道29号を
稲西で北北西に入り、卯之町の町並みの手前で北東に向かう。
宇和島高の先から大久保の山すそを進み、紅梅の咲く参道を
上がって43番明石寺(めいせきじ)に入る。
山懐にある深閑とした寺。杉木立やケヤキの大木が目につく。
私としては、前半の区切りとなる寺である。
納経を終え、杉木立の道を上り下りして卯之町の古い家並みへ。
へんろ道の標識を見落とし、国道56号まで進み、朝のラッシュ時
で車の多い国道を北に向かう。
上宇和駅の手前で国道東側の旧道へ。こちらは車も少なく静か
だ。坂戸の小さい店で弁当を仕入れる。
田園地帯となった宇和町大江に、じゃこ天の店「おかだ蒲鉾」が
あった。Tさんが、「一昨日の宿で出た、じゃこ天がおいしかった」
と、熱々のじゃこ天を買い、おすそわけをいただいた。
瀬戸で旧道に入り、車から解放されホッとする。格子戸の古い
家並みを抜け、国道を経由し、鳥坂峠へのへんろ道に向かう。
鳥坂集落の途中、山道にかかるところに鳥坂番所跡があり、
復元した建物があった。
峠に向かってヒノキや杉林をゆっくりと上ったが、顔や背中は
大汗。時々見える展望に後方を振り返る。
標高470mの峠には何の表示もない。ゆるい下りと少しの上り
で、日天月社という小さな祠(ほこら)があった。
一度林道を横切り、少しだけへんろ道を下って再び林道となる。
西側を走る国道の車の音が真下に聞こえるが、こちらは時折車
が通過するだけで静かな道だ。
杉林の林道を下り、少しだけ山道を抜けて、番外霊場・札掛
大師堂に下った。読経はしたが、不在なので納経帳への印は
もらえない。
ちょうどよい時刻なので、鐘楼門前の草地にシートを敷き、オオ
イヌノフグリ、ホトケノザなどの咲くそばで昼食。眼下に開通間近
で追い込み工事中の、松山自動車道の工事現場を見下ろしなが
ら食べる。
南久米小横から国道56号に戻る。相変わらず車が多く、歩道
がないので歩きにくい、嵩富川の金山橋を渡り、大洲北只郵便局
で最後の資金補充をした。
右岸沿いの県道144号を進み、国道56号を越えると、国道441
号となる。
やなせ橋近くの東屋にトイレがあったので休憩。まもなく「おはな
はん」の町、大洲市街に入った。
川沿いの神社階段下に、昭和3年8月製の昭和塔という変わっ
た塔がある。
北側の通りは「明治のさんぽみち」と呼ばれ、土蔵造りなどの
古い家並み。
一つ西側の通りが「おはなはん通り」、ほかにも、細い通りに
昭和か大正年代と思われる古い家並みが見られた。
へんろシールに従い右折して肱川橋を渡る。上下流に数十隻の
屋形船が並んでいる。6~8月の鵜飼いを見る船のようだ。
川のカーブ点にある大洲城にはシートがかかり、9月まで改装
中とか。すぐ先から国道56号の車を避けて、大洲駅方面の旧道
を迂回した。
国道に戻った東大洲の辺りは、地形図上は畑や田んぼなのだ
が、大型の薬局、電気店、靴屋、書店、ファーストフード、スー
パー、ユニクロ、ホテルなどがびっしりと並び、すっかりイメージが
壊された。
その先に、無料宿泊所・一夜堂のある番外札所・十夜ヶ橋(とや
がはし)永徳寺があった。
お大師様が宿を断られ、一夜を橋の下で過ごされたという伝説
の地。その橋の上にはいま、高速道が走り情緒はない。
次の信号を右折し、15時58分、ふるさと旅館に着いた。道を
挟んで、食堂のある新館と宿泊棟の旧館に分かれている。
旧館の部屋に入り、入浴、洗濯をして、17時半頃には夕食。
あとから区切り打ちの男性、逆打ちの男性、順打ちの女性など
が来た。
〈コースタイム〉民宿みやこ7:00ー43番明石寺7:34~55ー坂戸
9:18ー鳥坂峠へんろ道入口10:36ー鳥坂峠番所跡10:43ー鳥坂峠
11:06~10ー日天月天社11:20ー番外・札掛大師堂(昼食)12:06~
52ーやなせ橋近くの東屋13:58~14:06ー番外・十夜ヶ橋永徳寺
15:30~45ーふるさと旅館15:58
(距離 29km、歩行地 西予市、大洲市、歩数 49,000)
=おはなはんの町・大洲へ=
5時45分起床、6時30分朝食、Tさんと一緒に7時に出発。
民宿みやこから見える、肱川の川面から朝霧が上がっている。
今朝も雲一つない快晴。冷たいので軍手をする。県道29号を
稲西で北北西に入り、卯之町の町並みの手前で北東に向かう。
宇和島高の先から大久保の山すそを進み、紅梅の咲く参道を
上がって43番明石寺(めいせきじ)に入る。
山懐にある深閑とした寺。杉木立やケヤキの大木が目につく。
私としては、前半の区切りとなる寺である。
納経を終え、杉木立の道を上り下りして卯之町の古い家並みへ。
へんろ道の標識を見落とし、国道56号まで進み、朝のラッシュ時
で車の多い国道を北に向かう。
上宇和駅の手前で国道東側の旧道へ。こちらは車も少なく静か
だ。坂戸の小さい店で弁当を仕入れる。
田園地帯となった宇和町大江に、じゃこ天の店「おかだ蒲鉾」が
あった。Tさんが、「一昨日の宿で出た、じゃこ天がおいしかった」
と、熱々のじゃこ天を買い、おすそわけをいただいた。
瀬戸で旧道に入り、車から解放されホッとする。格子戸の古い
家並みを抜け、国道を経由し、鳥坂峠へのへんろ道に向かう。
鳥坂集落の途中、山道にかかるところに鳥坂番所跡があり、
復元した建物があった。
峠に向かってヒノキや杉林をゆっくりと上ったが、顔や背中は
大汗。時々見える展望に後方を振り返る。
標高470mの峠には何の表示もない。ゆるい下りと少しの上り
で、日天月社という小さな祠(ほこら)があった。
一度林道を横切り、少しだけへんろ道を下って再び林道となる。
西側を走る国道の車の音が真下に聞こえるが、こちらは時折車
が通過するだけで静かな道だ。
杉林の林道を下り、少しだけ山道を抜けて、番外霊場・札掛
大師堂に下った。読経はしたが、不在なので納経帳への印は
もらえない。
ちょうどよい時刻なので、鐘楼門前の草地にシートを敷き、オオ
イヌノフグリ、ホトケノザなどの咲くそばで昼食。眼下に開通間近
で追い込み工事中の、松山自動車道の工事現場を見下ろしなが
ら食べる。
南久米小横から国道56号に戻る。相変わらず車が多く、歩道
がないので歩きにくい、嵩富川の金山橋を渡り、大洲北只郵便局
で最後の資金補充をした。
右岸沿いの県道144号を進み、国道56号を越えると、国道441
号となる。
やなせ橋近くの東屋にトイレがあったので休憩。まもなく「おはな
はん」の町、大洲市街に入った。
川沿いの神社階段下に、昭和3年8月製の昭和塔という変わっ
た塔がある。
北側の通りは「明治のさんぽみち」と呼ばれ、土蔵造りなどの
古い家並み。
一つ西側の通りが「おはなはん通り」、ほかにも、細い通りに
昭和か大正年代と思われる古い家並みが見られた。
へんろシールに従い右折して肱川橋を渡る。上下流に数十隻の
屋形船が並んでいる。6~8月の鵜飼いを見る船のようだ。
川のカーブ点にある大洲城にはシートがかかり、9月まで改装
中とか。すぐ先から国道56号の車を避けて、大洲駅方面の旧道
を迂回した。
国道に戻った東大洲の辺りは、地形図上は畑や田んぼなのだ
が、大型の薬局、電気店、靴屋、書店、ファーストフード、スー
パー、ユニクロ、ホテルなどがびっしりと並び、すっかりイメージが
壊された。
その先に、無料宿泊所・一夜堂のある番外札所・十夜ヶ橋(とや
がはし)永徳寺があった。
お大師様が宿を断られ、一夜を橋の下で過ごされたという伝説
の地。その橋の上にはいま、高速道が走り情緒はない。
次の信号を右折し、15時58分、ふるさと旅館に着いた。道を
挟んで、食堂のある新館と宿泊棟の旧館に分かれている。
旧館の部屋に入り、入浴、洗濯をして、17時半頃には夕食。
あとから区切り打ちの男性、逆打ちの男性、順打ちの女性など
が来た。
〈コースタイム〉民宿みやこ7:00ー43番明石寺7:34~55ー坂戸
9:18ー鳥坂峠へんろ道入口10:36ー鳥坂峠番所跡10:43ー鳥坂峠
11:06~10ー日天月天社11:20ー番外・札掛大師堂(昼食)12:06~
52ーやなせ橋近くの東屋13:58~14:06ー番外・十夜ヶ橋永徳寺
15:30~45ーふるさと旅館15:58
(距離 29km、歩行地 西予市、大洲市、歩数 49,000)