あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ある記(後編)・愛媛その6

2006-11-06 23:21:56 | 初めての四国遍路
 間もなく2度目の四国遍路に出かけますので、途中で中断と
なりますが、一昨年秋に歩いた四国遍路(後編)を始めます。

 前半の遍路では、初めてデジカメを買って持参したのですが、
メモリが少なかったので、1日に10枚前後しか撮影できません
でした。そこで後半は、予備メモリを買い足しましました。
 写真は、前半より多くご覧いただけるかと思います。

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 四国遍路後半は、春の区切り、43番札所明石寺と44番大宝
寺の間、愛媛県内子町を2004年11月13日にスタートし、88
番大窪寺に11月下旬~12月上旬の結願(けちがん)を目指して
歩くことにした。

 春の遍路の際、40番観自在寺で、「トレッキング・ザ・空海」と
いう催しに誘っていただいたYさんが、高知県でのNPOの仕事
を終えられ、11月3日から逆打ち遍路中と聞いた。

 途中でYさんと、どこで行き会えるかも、大きな楽しみである。

 第1日 2004年11月13日(土) 晴
 =柿実る小田川沿いに=

 2ヶ月前に予約購入した超割航空券にて、東京・羽田空港9時
25分発のANA585便に乗る。出発便の混雑で20分近く遅れ、
松山空港到着も予定の10時45分が、11時過ぎとなった。

 連絡バスでJR松山駅に行く。予定の内子線の列車に乗るには
急いで昼食をする必要がある。駅構内で(場違いの感もする)
喜多方ラーメンを食べ、12時3分発1両のワンマンカーに乗る。
乗客のほとんどは高校生だった。


 13時3分、内子駅に下りた。前半の区切り以来、約8か月ぶり
である。

 今日は、お寺へのお参りはないので白衣は着ないことにした
が、日よけのため菅笠はかぶった。

 駅を出ようとしたら、男女の歩き遍路が来た。今日ここで区切
り打ちという、京都の男性と神奈川の女性。お接待でもらったと
いうパック入り海苔巻きをいただく。

 昼食は食べたばかりと言ったのだが、お2人も昼食後にもらっ
たようだった。10分ほど話して出発する。


 内子町の中心街には、前回寄った住まいと暮らしの博物館や、
下芳我家など、古い造りの家が残っている。


 町外れのY字路を左に入ったら、向こうからレトロバスが来た。

 珍しいので写真を撮っていたら、バスが止まり運転手が、道が
違うことを教えてくれた。

 Y字路まで戻り、橋を渡ってすぐ先を左に進み、次のT字路を
右折して進んだら、また自家用車が止まり、道が違うと言う。

 再度戻って言われた道を進み、道の駅のそばに出た。町を
抜けるのに20分近くロスしたろうか。出だしから2度も間違える
ようでは、この先が思いやられる。

 でもその先は、小田川沿いの国道379号をひたすら進む
だけ。干し柿を吊した家に秋を感じる。七反から長野へ向かう
辺り、ミゾソバが咲き、初めてこの花の名を知った新潟・村上を
思い出す。

 川の土手には、10月の台風の際の増水状況がうかがえる、
布やビニール片が、現在の流れより5m以上も上に引っかかっ
ていた。

 梨、桃、柿の直売所を過ぎ、長岡山トンネル(392m)に入る。
天井が高く、照明が明るくて広い歩道があるので安心して歩け
る。この国道は、トンネルだけでなく歩道の幅もずっと広いので
助かる。

 トンネルの先に、「お遍路無料宿」と書かれた建物があった。

 そっと戸を開けてみたら、野宿で回っているという男性遍路氏
が休んでいた。私も入って休憩させてもらう。

 彼は、昨日、一昨日は駅やバス停に泊まったが、寒くて寝られ
なかったので、今日は早いがここに泊まるという。10月13日に
出発し、台風の日は、徳島県神山町で雨宿り先を追い出され
たりしたことなどを聞く。

 もらった海苔巻きを差し上げたら大変喜ばれた。私も食べ切れ
そうになく、始末に思案していたのでよかった。

 上和田の田んぼ、青々と伸びたひこばえに固い粒が付いてい
た。柿畑には柿がたわわに実り、この先、小田町との境界付近
まで、内子町内は柿畑が多く、色づいた柿の紅葉がよい彩りを
見せていた。


 夫婦で木を切って薪にしている家がある。近くの大瀬電話交換
局は谷間にあり、パラボラアンテナが南方の山上に向いていた。

 15時を過ぎると、日陰は涼しくなった。明応寺や大瀬郵便局
のある成屋集落は、狭い通りに旧街道らしい家並みが続く。


 県道241号を北に分ける河口橋バス停は、丸太組みの待合
室。近くに「曽我五郎、十郎首塚まで徒歩20分」の表示があっ
たが、暗くなりそうなので寄るのはあきらめた。


 日が傾き、コンクリート壁面に自分の影が長く映る。


 石積を過ぎると歩道は無くなった。川登の分校跡らしいところ
に、筏(いかだ)流しの里資料館があったが、ここも時間の関係で
寄らずに通過する。

 千人宿大師堂のそばの、柿の葉がきれい。楽水大師堂前の
小田川カーブ点には、筏流しの里の写真が貼ってあった。

 付近の斜面の柿畑も、柿色の紅葉がよい。


 小田町に入って間もなく、田渡川を渡ったT字路の向こうに、
今日の宿、さかえや旅館があった。17時18分に着いた。

 埼玉に比べ日没がかなり遅い。快晴だったこともあり17時
過ぎまで明るく、経度の違いを実感する。

 遍路宿らしいひなびた旅館。急階段を上がって2階の部屋に
入る。風呂は、脱衣所と洗い場と浴槽の間に仕切りがない。

 2階のトイレは方形でなく変形の落とし便で古色蒼然。でも、
おかみさんが「けんちゃん」と呼ぶご夫婦は仲が良さそうで
適度な話好き。

 夕食は、地元産だという里芋、シュンギク、椎茸などの煮物と、
サンマ焼き、アジ焼き、卵とじうどんなど盛り沢山。食べきれ
ないので、サンマ焼きは朝食に回してもらうことにした。食後の
デザートは、やはり柿だった。

 この宿の名、へんろ地図には、「徳岡旅館(さかえや旅館)」と
なっている。聞くと、著者の宮崎さんが、姓の徳岡も旅館名と
したようで、表の看板どおり「さかえや旅館」が正しいとのこと
だった。

 夕食後、おかみさんに、明日のコースのことを聞き、明後日の
距離のことと考え合わせ、明日の宿を国民宿舎として、予約した。
宿の室内からは携帯は通じず、そばの橋の上から電話する。

 21時前就床、部屋には暖房が無く寒いが、布団は暖かかった。

〈コースタイム〉内子駅13:15ー道の駅14:00ー石浦バス停14:40ー
へんろ無料宿15:00~10ー大瀬郵便局15:54ー千人宿大師堂
16:14ーさかえや旅館17:18

(距離 15㎞、地図(1/5万〉大洲、久万、歩行地 愛媛県内子
 町、小田町、歩数 26,600)
コメント (4)
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