今日は、東京・京橋で開催中の『「どんぐりの会」風景画展』と
いう絵の作品展を見に行きました。カントリーウオークの仲間、
Tさんも出品していると聞いたからです。
13人の作品展でしたが、いずれも日本の自然を、やわらかな
タッチで描いていて、心が洗われるような作品でした。
そのあと、近くの八重洲ブックセンターで、四国遍路に必要な
2万5千分の1と5万分の1地形図を数枚購入しました。
いまレポート中の、2年前の四国遍路の際、購入を漏らした
ところと、最近発行された部分です。来週末あたりから、2度目
の遍路に出かける予定なので、買ってきたのです。
四国遍路(前半)のレポートは、今日が最終回です。
==========================
第27日 2004年3月17日(水) 晴後曇
=内子駅で前半の区切り=
5時45分起床、ふるさと旅館の暖房は利きが良く、暑いので
夜半に切って毛布も外してちょうどよかった。
6時30分朝食、6時58分、今朝もTさんと一緒に出る。女性
一人と多摩市の区切り打ちの男性は早立ち、逆打ち遍路氏は
まだ食堂に来なかった。
きのうまでと比べると今朝は暖かい。きょうも交通量の多い
国道56号を西に向かう。500m余りで線路の北側の旧道に
入り、新谷町の古い町並みを抜ける。
帝京第五高の先、北斜面の栗林にいっぱい咲く菜の花が、
黄色いじゅうたんのよう。矢落橋を渡って国道に戻ると、車が
途切れなく続く。
五十崎(いかざき)駅のそばでへんろ標識に従い左手に入る。
すぐに草の道となり、柔らかな感触が足に優しい。こういう道
がへんろ道として続いているとよいのだが…。
間もなく内子(うちこ)町。車道に出てすこし上がり、運動公園
の間を抜ける。
8時半前、内子駅入口に着き、Tさんと多摩市の男性に別れた。
Tさんとは8日間も同宿し、4日前からはほとんど一緒に歩き、
大変お世話になった。この先元気に歩かれ、無事結願をお祈り
する。
私は、ここが今回の区切りである。内子駅に行き、時刻表を
借りて調べ、帰りのジパング切符を購入、ロッカーに荷を預けて
2時間ほど内子町を観光することにした。
=内子の町並みを巡る=
駅は町はずれにあり、町並みは駅の北北東に伸びている。
まず内子座に行く。大正5年(1916)に建てられた木造2階建て。
老朽化で取り壊しになるところを、町民の熱意で昭和60年10月、
復元工事を終え再出発、現在は年間7万人が訪れ、80日近く
劇場として活用されているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/3c/3cbb3df894a01963ff49af36746bce96.jpg)
枡席、回り舞台、花道などが、木のぬくもりある造りで出来ており、
よく大正時代の演芸場としてのふんいきを醸し出している。
東に進んで商店街に入る。図書館前に安達玄杏碑があった。
幕末~明治の医者で、育英の先覚者だったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/f4/3882ec34b658fe35d47d11a4db9c1dfc.jpg)
商店街を北に向かい、八幡神社前にある商いと暮らし博物館に
入館する。明治からの薬商、佐野薬局を町が博物館として公開
しているもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/72/6cd044191cf86518adc6bc625c85db83.jpg)
大正の頃の商家の暮らしを、間取りに合わせ当時の道具と人形
を配して再現している。良くできた正面の人形に、入ったときに
思わず声を掛けてしまった。
伊予銀行のそばの交差点を左に入った緩い坂のあたりから、
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された八日市・護国
地区である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/27/20fe16d837456b933be7f79357d9ae55.jpg)
電線を地中に埋め、昔ながらの白壁の古い家並みが両側に
続いている。
内子町は、江戸後期から明治時代にかけて、和紙と木蝋(ろう)
で栄えた町。ただ1軒残る和ロウソク製造の大森太郎さんの店
では、ハゼノキから絞った蝋を、芯の回りに何回となく手でかけて
作る独特の製法を実演していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/11/cc1b5fa78fbd7b2061e1065ce74b5cf4.jpg)
町並みは、伝統工芸の和傘やシュロ細工の店、喫茶、土産物
店などが続き、国重文の建物、大村家、本芳我邸もある。観光
バスや自家用車で来た観光客が多い。
もう一つの国重文、上芳我邸は木蝋資料館として公開されて
いるので入館した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/c9/dd1a6d8439b582a70afd7c642953cf01.jpg)
木蝋造りの道具や工程などが、広い邸内にある主屋、釜場、
土蔵、蝋造り小屋、製蝋用具展示棟などを回ることにより、理解
できるようになっている。
建物は明治27年(1893)に建てられたもので、名家だったこと
が知れるりっぱな造りである。
館内に、後半何度か見かけた、同年輩の男性の歩き遍路が
見学していた。声をかけたら、水戸市の方。手の爪が化膿して
しまったので、今日は休養して内子町の見学をしているという。
保存地区の末端まで行って、土産物店をのぞき、ほぼ同じ道
をJR内子駅に戻る。
11時55分発、内子線上り松山行き普通電車に乗り、長旅
からの帰途についた。
〈コースタイム〉ふるさと旅館6:58ー五十崎駅前8:00ー内子駅
8:28
(距離 7km、歩行地 大洲市、五十崎町、内子町、歩数
11,700) 《前編完》
いう絵の作品展を見に行きました。カントリーウオークの仲間、
Tさんも出品していると聞いたからです。
13人の作品展でしたが、いずれも日本の自然を、やわらかな
タッチで描いていて、心が洗われるような作品でした。
そのあと、近くの八重洲ブックセンターで、四国遍路に必要な
2万5千分の1と5万分の1地形図を数枚購入しました。
いまレポート中の、2年前の四国遍路の際、購入を漏らした
ところと、最近発行された部分です。来週末あたりから、2度目
の遍路に出かける予定なので、買ってきたのです。
四国遍路(前半)のレポートは、今日が最終回です。
==========================
第27日 2004年3月17日(水) 晴後曇
=内子駅で前半の区切り=
5時45分起床、ふるさと旅館の暖房は利きが良く、暑いので
夜半に切って毛布も外してちょうどよかった。
6時30分朝食、6時58分、今朝もTさんと一緒に出る。女性
一人と多摩市の区切り打ちの男性は早立ち、逆打ち遍路氏は
まだ食堂に来なかった。
きのうまでと比べると今朝は暖かい。きょうも交通量の多い
国道56号を西に向かう。500m余りで線路の北側の旧道に
入り、新谷町の古い町並みを抜ける。
帝京第五高の先、北斜面の栗林にいっぱい咲く菜の花が、
黄色いじゅうたんのよう。矢落橋を渡って国道に戻ると、車が
途切れなく続く。
五十崎(いかざき)駅のそばでへんろ標識に従い左手に入る。
すぐに草の道となり、柔らかな感触が足に優しい。こういう道
がへんろ道として続いているとよいのだが…。
間もなく内子(うちこ)町。車道に出てすこし上がり、運動公園
の間を抜ける。
8時半前、内子駅入口に着き、Tさんと多摩市の男性に別れた。
Tさんとは8日間も同宿し、4日前からはほとんど一緒に歩き、
大変お世話になった。この先元気に歩かれ、無事結願をお祈り
する。
私は、ここが今回の区切りである。内子駅に行き、時刻表を
借りて調べ、帰りのジパング切符を購入、ロッカーに荷を預けて
2時間ほど内子町を観光することにした。
=内子の町並みを巡る=
駅は町はずれにあり、町並みは駅の北北東に伸びている。
まず内子座に行く。大正5年(1916)に建てられた木造2階建て。
老朽化で取り壊しになるところを、町民の熱意で昭和60年10月、
復元工事を終え再出発、現在は年間7万人が訪れ、80日近く
劇場として活用されているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/3c/3cbb3df894a01963ff49af36746bce96.jpg)
枡席、回り舞台、花道などが、木のぬくもりある造りで出来ており、
よく大正時代の演芸場としてのふんいきを醸し出している。
東に進んで商店街に入る。図書館前に安達玄杏碑があった。
幕末~明治の医者で、育英の先覚者だったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/f4/3882ec34b658fe35d47d11a4db9c1dfc.jpg)
商店街を北に向かい、八幡神社前にある商いと暮らし博物館に
入館する。明治からの薬商、佐野薬局を町が博物館として公開
しているもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/72/6cd044191cf86518adc6bc625c85db83.jpg)
大正の頃の商家の暮らしを、間取りに合わせ当時の道具と人形
を配して再現している。良くできた正面の人形に、入ったときに
思わず声を掛けてしまった。
伊予銀行のそばの交差点を左に入った緩い坂のあたりから、
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された八日市・護国
地区である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/27/20fe16d837456b933be7f79357d9ae55.jpg)
電線を地中に埋め、昔ながらの白壁の古い家並みが両側に
続いている。
内子町は、江戸後期から明治時代にかけて、和紙と木蝋(ろう)
で栄えた町。ただ1軒残る和ロウソク製造の大森太郎さんの店
では、ハゼノキから絞った蝋を、芯の回りに何回となく手でかけて
作る独特の製法を実演していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/11/cc1b5fa78fbd7b2061e1065ce74b5cf4.jpg)
町並みは、伝統工芸の和傘やシュロ細工の店、喫茶、土産物
店などが続き、国重文の建物、大村家、本芳我邸もある。観光
バスや自家用車で来た観光客が多い。
もう一つの国重文、上芳我邸は木蝋資料館として公開されて
いるので入館した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/c9/dd1a6d8439b582a70afd7c642953cf01.jpg)
木蝋造りの道具や工程などが、広い邸内にある主屋、釜場、
土蔵、蝋造り小屋、製蝋用具展示棟などを回ることにより、理解
できるようになっている。
建物は明治27年(1893)に建てられたもので、名家だったこと
が知れるりっぱな造りである。
館内に、後半何度か見かけた、同年輩の男性の歩き遍路が
見学していた。声をかけたら、水戸市の方。手の爪が化膿して
しまったので、今日は休養して内子町の見学をしているという。
保存地区の末端まで行って、土産物店をのぞき、ほぼ同じ道
をJR内子駅に戻る。
11時55分発、内子線上り松山行き普通電車に乗り、長旅
からの帰途についた。
〈コースタイム〉ふるさと旅館6:58ー五十崎駅前8:00ー内子駅
8:28
(距離 7km、歩行地 大洲市、五十崎町、内子町、歩数
11,700) 《前編完》