2008年3月30日(日)(続き)
3時間近くの醍醐寺拝観を終え、旧奈良街道を北に向かう。
まず、近くの京栄堂という和菓子店の建物の一角にあった
「鬼めん」といううどん店で遅い昼食。醍醐寺へ花見に来た
人がたくさん入ったのか、残りのメニューは限られていた。
しかし、お店の人の対応はよく、気持ちよく食事を済ます
ことができた。
交通量の多い新奈良街道と交差してさらに進み、地下鉄
小野駅に近い随心院門跡(もんぜき)に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/15/943c1be1a200dfb861b6626e3df932ff.jpg)
随心院は、弘法大師から8代目の弟子、仁海僧正により
正暦2年(991)に開基した曼陀羅(まんだら)寺がはじまり。
次第に整備された七堂伽藍は承久応仁の乱で焼け、現在
の本堂は慶長4年(1599)の再建だという。
随心院は小野小町の旧跡とも伝えられ、謡曲「通小町」の
前段、深草少将が小町のもとに百夜通った伝説の舞台であり、
小町は境内の化粧の井付近に住んでいたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/6f/72333ba0d2867d9739d6729c6d7dcb8a.jpg)
境内には小町文塚(こまちふみづか)もある。
この日は、年に一度の「はねず踊りと今様」という、奉納の
舞と観梅祭の日だった。
「はねず」とは、うす紅色のこと、随心院門跡にある梅園の
紅梅が、古くからこの名で親しまれていたようだ。
古くから毎年、「はねず」の咲く頃に、門内の庭で踊ってい
た「唐様(はねず)踊り」は、小野小町伝説を主題としたもの
で、一時途絶えたが、近年復活したのだという。
踊りの最終回が15時から始まるというので、その前に庫
裡(くり)から上がって、奥書院、表書院、本堂などの内陣と、
仏像や古文書、庭園などを拝観する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/4e/39352cdd6cea0e501566f785559c0443.jpg)
「はねず踊り」は、午前中には外で踊られるようだが、雨に
なったので、庭園を眺められる本堂の廊下で行われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/d3/69aa21c41b0142d89f0a445f30b27004.jpg)
近くの小学校高学年の女性児童8人が、邦楽の演奏に合
わせてはねず色の衣装で踊る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/95/3e35ff0907a16ba3aca771fcd1018bb9.jpg)
小野小町をしのばせる、しっとりした舞だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/33/27f43a5dff8007780c02a9477036e0da.jpg)
踊りを見た後、境内の一角、名勝・小野梅園を巡る。今年は
開花が早めだとかで盛りは過ぎていたが、雨に濡れたはねず
色の花も、味わい深いものだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/53/8278c859b1a2f596deb4c66b596a59c0.jpg)
西に向かい、地下鉄東西線が地下を走る小野駅に近い車
道と、山科川を横断し、名神高速道の南側にある勧修寺(か
じゅうじ)に行く。
16時15分に着いたが拝観時刻は16時まで。でも受付に
いた女性に聞いたら、拝観させてくれるとのこと。感謝して
入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/4a/c3a786f7ad336e88d0219c883ccf5ad3.jpg)
勧修寺は、昌泰3年(900)に醍醐天皇が創建されたという
古寺。庭園は「勧修寺氷池園」と呼ばれ、氷室池を中心に造園
され、周囲を借景とした地泉庭園がある。
平安時代には、毎年1月2日に氷室池に張る氷を宮中に献
上し、その厚さでその歳の五穀豊凶を占ったといわれていると
いう。
書院の前の灯ろうは、水戸光圀公の寄進で「勧修寺型灯籠」
と呼ばれるユーモラスなスタイル。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/52/1e719d6e3f61af5fc10e3f748a327a9a.jpg)
周りを覆うハイビャクシンは、樹齢750年といわれ、国内で
も無双の名木として名高いようだ。
観音堂の周辺では、数本のソメイヨシノが冷たい雨に濡れて
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/a5/21f4c8a07110b982747f46d2fed4fd70.jpg)
氷室池の中の島は、自然のままに木が茂り、サギの巣が幾つか
出来ていた。(中の島は下の写真の左にある)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/d0/619d9af66d24419d1fa6767f42da9712.jpg)
庭園を一巡し、15分ほどで勧修寺の拝観を終える。
南側に神社が見えたので向かってみたら、目的の神社の
手前にもう一つ、小さな社の宮道神社というのがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/da/72ade0c976a054cb5987db8ec9817cdb.jpg)
このあたり宇治郡を本拠とした、氏族宮道氏の祖神、日本
武尊などを祭神として、寛平10(898)に創建されたという。
平安時代初期の宇治郡司・宮道弥益は、醍醐天皇の生母・
藤原胤子の祖父で、その邸を寺としたのが、いま拝観した勧
修寺だという。
石段下には、三条右大臣の「名にし負はば 逢坂山の さね
かづら 人に知られで くるよしもがな」の歌碑がある。
この地は、父の藤原高遠が宮道弥益の娘と結ばれたロマン
の地だったようだ
目的の神社は、その南側にある八幡宮。仁寿3年(853)の
創建と伝えられ、江戸時代までは勧修寺の鎮守社だったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/c1/1a0115cedbedcdaaeb4abdf4a67ac2f7.jpg)
現在の本殿は、元禄8年(1695)の建築。向背(こうはい)が
改変されているが、江戸中期の大型切妻造り平入本殿として
の価値が高いとして、京都市有形文化財に指定されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/86/cae778d10a7c8b5e91983db9e8c13bc4.jpg)
境内の一角にある天満宮前には、安産の神という二つの石
があり、鳥居のそばには、ツブラジイの大木が高く枝を伸ば
していた。
市営地下鉄東西線の小野駅に17時5分に着き、初日の予
定を終わり、連泊する四条烏丸のビジネスホテルに向かった。
(天気 曇後雨、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 京都東南部、
歩行地 京都市伏見区)
3時間近くの醍醐寺拝観を終え、旧奈良街道を北に向かう。
まず、近くの京栄堂という和菓子店の建物の一角にあった
「鬼めん」といううどん店で遅い昼食。醍醐寺へ花見に来た
人がたくさん入ったのか、残りのメニューは限られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/29/e46e09f1fe69e9eea1195e2fdbc3a25b.jpg)
しかし、お店の人の対応はよく、気持ちよく食事を済ます
ことができた。
交通量の多い新奈良街道と交差してさらに進み、地下鉄
小野駅に近い随心院門跡(もんぜき)に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/15/943c1be1a200dfb861b6626e3df932ff.jpg)
随心院は、弘法大師から8代目の弟子、仁海僧正により
正暦2年(991)に開基した曼陀羅(まんだら)寺がはじまり。
次第に整備された七堂伽藍は承久応仁の乱で焼け、現在
の本堂は慶長4年(1599)の再建だという。
随心院は小野小町の旧跡とも伝えられ、謡曲「通小町」の
前段、深草少将が小町のもとに百夜通った伝説の舞台であり、
小町は境内の化粧の井付近に住んでいたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/6f/72333ba0d2867d9739d6729c6d7dcb8a.jpg)
境内には小町文塚(こまちふみづか)もある。
この日は、年に一度の「はねず踊りと今様」という、奉納の
舞と観梅祭の日だった。
「はねず」とは、うす紅色のこと、随心院門跡にある梅園の
紅梅が、古くからこの名で親しまれていたようだ。
古くから毎年、「はねず」の咲く頃に、門内の庭で踊ってい
た「唐様(はねず)踊り」は、小野小町伝説を主題としたもの
で、一時途絶えたが、近年復活したのだという。
踊りの最終回が15時から始まるというので、その前に庫
裡(くり)から上がって、奥書院、表書院、本堂などの内陣と、
仏像や古文書、庭園などを拝観する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/4e/39352cdd6cea0e501566f785559c0443.jpg)
「はねず踊り」は、午前中には外で踊られるようだが、雨に
なったので、庭園を眺められる本堂の廊下で行われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/d3/69aa21c41b0142d89f0a445f30b27004.jpg)
近くの小学校高学年の女性児童8人が、邦楽の演奏に合
わせてはねず色の衣装で踊る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/95/3e35ff0907a16ba3aca771fcd1018bb9.jpg)
小野小町をしのばせる、しっとりした舞だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/33/27f43a5dff8007780c02a9477036e0da.jpg)
踊りを見た後、境内の一角、名勝・小野梅園を巡る。今年は
開花が早めだとかで盛りは過ぎていたが、雨に濡れたはねず
色の花も、味わい深いものだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/53/8278c859b1a2f596deb4c66b596a59c0.jpg)
西に向かい、地下鉄東西線が地下を走る小野駅に近い車
道と、山科川を横断し、名神高速道の南側にある勧修寺(か
じゅうじ)に行く。
16時15分に着いたが拝観時刻は16時まで。でも受付に
いた女性に聞いたら、拝観させてくれるとのこと。感謝して
入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/4a/c3a786f7ad336e88d0219c883ccf5ad3.jpg)
勧修寺は、昌泰3年(900)に醍醐天皇が創建されたという
古寺。庭園は「勧修寺氷池園」と呼ばれ、氷室池を中心に造園
され、周囲を借景とした地泉庭園がある。
平安時代には、毎年1月2日に氷室池に張る氷を宮中に献
上し、その厚さでその歳の五穀豊凶を占ったといわれていると
いう。
書院の前の灯ろうは、水戸光圀公の寄進で「勧修寺型灯籠」
と呼ばれるユーモラスなスタイル。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/52/1e719d6e3f61af5fc10e3f748a327a9a.jpg)
周りを覆うハイビャクシンは、樹齢750年といわれ、国内で
も無双の名木として名高いようだ。
観音堂の周辺では、数本のソメイヨシノが冷たい雨に濡れて
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/a5/21f4c8a07110b982747f46d2fed4fd70.jpg)
氷室池の中の島は、自然のままに木が茂り、サギの巣が幾つか
出来ていた。(中の島は下の写真の左にある)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/d0/619d9af66d24419d1fa6767f42da9712.jpg)
庭園を一巡し、15分ほどで勧修寺の拝観を終える。
南側に神社が見えたので向かってみたら、目的の神社の
手前にもう一つ、小さな社の宮道神社というのがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/da/72ade0c976a054cb5987db8ec9817cdb.jpg)
このあたり宇治郡を本拠とした、氏族宮道氏の祖神、日本
武尊などを祭神として、寛平10(898)に創建されたという。
平安時代初期の宇治郡司・宮道弥益は、醍醐天皇の生母・
藤原胤子の祖父で、その邸を寺としたのが、いま拝観した勧
修寺だという。
石段下には、三条右大臣の「名にし負はば 逢坂山の さね
かづら 人に知られで くるよしもがな」の歌碑がある。
この地は、父の藤原高遠が宮道弥益の娘と結ばれたロマン
の地だったようだ
目的の神社は、その南側にある八幡宮。仁寿3年(853)の
創建と伝えられ、江戸時代までは勧修寺の鎮守社だったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/c1/1a0115cedbedcdaaeb4abdf4a67ac2f7.jpg)
現在の本殿は、元禄8年(1695)の建築。向背(こうはい)が
改変されているが、江戸中期の大型切妻造り平入本殿として
の価値が高いとして、京都市有形文化財に指定されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/86/cae778d10a7c8b5e91983db9e8c13bc4.jpg)
境内の一角にある天満宮前には、安産の神という二つの石
があり、鳥居のそばには、ツブラジイの大木が高く枝を伸ば
していた。
市営地下鉄東西線の小野駅に17時5分に着き、初日の予
定を終わり、連泊する四条烏丸のビジネスホテルに向かった。
(天気 曇後雨、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 京都東南部、
歩行地 京都市伏見区)