1月14日(水)22時からのNHK総合テレビ「その時歴史が動いた」
で、「岩倉使節団 世界一周の旅 ~明治日本・西洋と出会う~」を
ご覧になった方もおられることと思います。
内容は、明治政府の成立から間もない明治4年(1871)、岩倉具視
(ともみ)を団長に、大久保利通、木戸 孝允、伊藤博文ら政府の要人
が、1年10か月にわたって米欧12か国を視察する世界一周の旅に出
た、「岩倉使節団」の旅での見聞の模様です。
総勢46名、平均年齢32歳の若者たちからなる一行は、日本が近代
国家として生き残るために、どんな国づくりを進めるべきかの青写真を、
米欧の先進諸国から見いだすという、「国さがし」の旅でした。
一行は初めて見る西洋文明に驚き、時には思わぬ挫折を味わいなが
ら、米英仏などその実態をつぶさに観察してきました。各国の長所と
短所を肌で感じた体験が、単なる欧米の模倣ではない独自の近代化を
日本が歩み出す出発点になったのです。
その旅の模様を、団員の一人で佐賀藩士だった久米邦武がまとめた
膨大な記録が、「特命全権大使米欧回覧実記」です。
番組を見てすぐ、これを読んでみたいと思い、市立図書館に蔵書を確
かめたところ、1978~82年に出版された岩波文庫(5巻)と、昨年
(2008)、慶應義塾大学出版会が刊行した現代語訳のもの(5巻)が
ありました。
最初に岩波文庫の第1巻アメリカ編を借りてきました。これは、当時の
文語体で記したものです。
米国の地名が漢字と振り仮名で書かれ、現在のカナ表記の地名と微
妙に違う地名もあり、耳で聞いたものをそのまま漢字にしたことが感じら
れなど興味深いのですが、なにぶん当時の文語体では、学才のない私
には読みこなし難く、第1巻だけでもかなりの時間がかかりそうでした。
そこで、これは少しだけで返戻し、昨年出版された慶應義塾大学出版
会による現代語訳の、第2巻イギリス編を借り直しました。
なぜイギリスかというと、使節団が回った米欧12か国の中で、私が行
ったことのある、ただ一つの国だからです。
水澤 周氏による現代語訳には、数値や地名、方角などの勘違いや
間違いなども調べた注釈もついていて、分かりやすく読みやすいものに
なっています。
使節団は英国では、明治5年(1872)8月16日から12月15日まで、
実に4か月にわたり滞在し、ロンドンをはじめ、北はスコットランドのハイ
ランド地方から南はポーツマスやニューヘブンなど、主要都市をかけめぐ
っています。
まず英国総説として、当時の英国の概況や、産業、歴史、民族、宗教、
教育などが記され、以降の章では、ロンドンをはじめ、リバプール、マン
チェスター、グラスゴー、エディンバラなど主要都市や、地方の観光など
について、日記風に詳細に記録されています。
本書中に記されている、ロンドン・ケンジントンガーデンのアルバート候
記念碑。
本書の挿絵と代わらぬロンドンの英国国会議事堂。一行は、1872年
9月4日に訪れています。流れはテムズ川。
10年前の1862年に開業している、ロンドン・ビクトリア駅。
これも、当時からあったであろうロンドン市内の建物。
本書の中で、多くの頁をさいているのが産業施設の視察。製鉄、紡績、
鉄道施設、船舶、大砲などの軍需品、製糖や製塩、ビールやビスケット
など、幅広い製造現場を精力的に回り、その製造技術や規模などがこと
細かく述べられています。
当時のこれら産業の原動力のほとんどは、石炭による蒸気機関を利用
したもので、大規模な工場群のある都市では煙突からの黒煙が空を覆っ
ていて、1日中薄暗かったといった様子も記されています。
また、各都市の首長や議会、学校、教会、貴族や地元有志などを訪ね、
ハイランド地方の観光なども経験し、当時の日本人としては想像できな
かった新しい技術や欧米の風習、生活の様子などを、懸命にに吸収しよ
うとしたことがよくわかりました。
英国編だけでも450頁、ほかの巻もほぼ同様なボリュームで、まさに
近代歴史のエンサイクロペディック(百科辞典的)な内容で、興味深いこ
とが盛りだくさん。
天璋院篤姫や皇女和宮が江戸城の大奥を去ってわずか数年後の、米
欧の様子がどんなだったかを知りたい方は、ぜひご覧になってみたらと
お勧めします。
で、「岩倉使節団 世界一周の旅 ~明治日本・西洋と出会う~」を
ご覧になった方もおられることと思います。
内容は、明治政府の成立から間もない明治4年(1871)、岩倉具視
(ともみ)を団長に、大久保利通、木戸 孝允、伊藤博文ら政府の要人
が、1年10か月にわたって米欧12か国を視察する世界一周の旅に出
た、「岩倉使節団」の旅での見聞の模様です。
総勢46名、平均年齢32歳の若者たちからなる一行は、日本が近代
国家として生き残るために、どんな国づくりを進めるべきかの青写真を、
米欧の先進諸国から見いだすという、「国さがし」の旅でした。
一行は初めて見る西洋文明に驚き、時には思わぬ挫折を味わいなが
ら、米英仏などその実態をつぶさに観察してきました。各国の長所と
短所を肌で感じた体験が、単なる欧米の模倣ではない独自の近代化を
日本が歩み出す出発点になったのです。
その旅の模様を、団員の一人で佐賀藩士だった久米邦武がまとめた
膨大な記録が、「特命全権大使米欧回覧実記」です。
番組を見てすぐ、これを読んでみたいと思い、市立図書館に蔵書を確
かめたところ、1978~82年に出版された岩波文庫(5巻)と、昨年
(2008)、慶應義塾大学出版会が刊行した現代語訳のもの(5巻)が
ありました。
最初に岩波文庫の第1巻アメリカ編を借りてきました。これは、当時の
文語体で記したものです。
米国の地名が漢字と振り仮名で書かれ、現在のカナ表記の地名と微
妙に違う地名もあり、耳で聞いたものをそのまま漢字にしたことが感じら
れなど興味深いのですが、なにぶん当時の文語体では、学才のない私
には読みこなし難く、第1巻だけでもかなりの時間がかかりそうでした。
そこで、これは少しだけで返戻し、昨年出版された慶應義塾大学出版
会による現代語訳の、第2巻イギリス編を借り直しました。
なぜイギリスかというと、使節団が回った米欧12か国の中で、私が行
ったことのある、ただ一つの国だからです。
水澤 周氏による現代語訳には、数値や地名、方角などの勘違いや
間違いなども調べた注釈もついていて、分かりやすく読みやすいものに
なっています。
使節団は英国では、明治5年(1872)8月16日から12月15日まで、
実に4か月にわたり滞在し、ロンドンをはじめ、北はスコットランドのハイ
ランド地方から南はポーツマスやニューヘブンなど、主要都市をかけめぐ
っています。
まず英国総説として、当時の英国の概況や、産業、歴史、民族、宗教、
教育などが記され、以降の章では、ロンドンをはじめ、リバプール、マン
チェスター、グラスゴー、エディンバラなど主要都市や、地方の観光など
について、日記風に詳細に記録されています。
本書中に記されている、ロンドン・ケンジントンガーデンのアルバート候
記念碑。
本書の挿絵と代わらぬロンドンの英国国会議事堂。一行は、1872年
9月4日に訪れています。流れはテムズ川。
10年前の1862年に開業している、ロンドン・ビクトリア駅。
これも、当時からあったであろうロンドン市内の建物。
本書の中で、多くの頁をさいているのが産業施設の視察。製鉄、紡績、
鉄道施設、船舶、大砲などの軍需品、製糖や製塩、ビールやビスケット
など、幅広い製造現場を精力的に回り、その製造技術や規模などがこと
細かく述べられています。
当時のこれら産業の原動力のほとんどは、石炭による蒸気機関を利用
したもので、大規模な工場群のある都市では煙突からの黒煙が空を覆っ
ていて、1日中薄暗かったといった様子も記されています。
また、各都市の首長や議会、学校、教会、貴族や地元有志などを訪ね、
ハイランド地方の観光なども経験し、当時の日本人としては想像できな
かった新しい技術や欧米の風習、生活の様子などを、懸命にに吸収しよ
うとしたことがよくわかりました。
英国編だけでも450頁、ほかの巻もほぼ同様なボリュームで、まさに
近代歴史のエンサイクロペディック(百科辞典的)な内容で、興味深いこ
とが盛りだくさん。
天璋院篤姫や皇女和宮が江戸城の大奥を去ってわずか数年後の、米
欧の様子がどんなだったかを知りたい方は、ぜひご覧になってみたらと
お勧めします。