遅咲きのわが家の梅も、花の数が増えてきました。1週間前の建国
記念の日に歩いた、カントリーウオークのレポートです。
=============================
2008年2月11日(祝・水)
このグループ17年目のスタートとなる第160回例会は、発足の記念
日にあたる建国記念の日に開催された。
集合は西武新宿線の新狭山駅。参加者19人は5組に分かれ、曇り
空の10時過ぎにスタートした。
=梅宮神社から智光山公園へ=
新狭山二丁目の住宅街から国道16号を越え、西方集落に入る。
LAOXの近くの細道を入ると、両側にひさしのような屋根を持つ独特の
造りで、北向社殿の奥宮神社がある。
境内は狭いが、桜やケヤキ、広葉樹などが立つ。
すぐ近くの、住宅地に囲まれ広福寺へ。永禄年間(1558~70)の創
立といわれ、山門は関東では珍しい竜宮づくり。
山門の上が鐘楼になっていて、上がって広い境内を俯瞰(ふかん)で
きる。
本堂左手には、武蔵国十三仏霊場の十三仏が屋根下に整然と並ぶ。
境内の樹木はよく手入れされ、深い池にはみごとな彩りの錦鯉が10数
匹、ゆうゆうと泳いでいた。
西側の奥宮小は、創立120年を越える伝統校。門前に、今は珍しい
二宮尊徳の石像が立つていた。
うっすらと奥武蔵の山並みを望む田園地帯を南西へ向かい、梅宮神社
に入る。ちょうど年一度の甘酒祭りの日で、長い参道の両側に屋台が所
狭しと並び、近隣の人がたくさん訪れている。
梅宮神社の甘酒祭りは県指定の文化財。関東では珍しい頭屋制(上
奥富集落内を九つに分けた当番制)の饗宴(きようえん)形式の祭りとか。
承和5年(1838)に京都の梅宮神社から分社されたころから続くという。
参拝後、暖かくておいしい甘酒をいただいた。
境内に甘酒を入れた樽や樽のみこしが置かれ、傍らの舞台では、太
鼓に合わせて獅子が舞う狭山市文化財の「西方はやし」も始まった。
橋の周辺だけが有料道路になっている狭山大橋で入間川を渡り、北
本宿の柏原白髭(しらひげ)神社へ。
社殿の中に韋駄天(いだてん)の額という大きな彩色の額が奉納され、
社殿の背後には、太いケヤキの古木が立つ。境内社の一つ、八坂神社
では、夏祭り「天王さま」の日に、柏原祇園ばやしが奉納されるという。
北側の台地下にある柏原小の背後から西武狭山ニュータウンの住宅
地を進み、斜面林から台地に上がると、城山砦(とりで)跡に出る。
天文15年(1546)4月、川越夜戦と呼ばれる戦いで、北条氏康と戦
った上杉憲政などの陣地となった場所だったといわれているという。
一帯は豊富な樹林が残り、その一角に城山稲荷大明神の小さな石の
ほこらがあった。
上宿集落にある名の知れぬ神社には、大きな桜が枯れ枝を広げ、花
どきはみごとだろうと想像される。
集落のあちこちに、白梅や紅梅も花を開いている。
集落を西に抜け、智光山(ちこうざん)公園の東端から公園に入った。
東北から西南へ1㎞余り、幅500mほどある広い公園内は、武蔵野の
面影を残す雑木林が豊富に残っている。
池も幾つかあり、カルガモなどがたくさん泳いでいた。
細い流れに沿った木々の豊富な遊歩道を、キャンプ場やホタル育成
舎、こども動物園などに沿って進む。途中の流れで、カワセミも見た。
12時49分、公園内にある昼食地の狭山市総合体育館前に着く。
=入間川左岸から稲荷山公園へ=
昼食後、記念撮影をして13時30分に出発する。茶畑や畑の間を南
東に進み、台地を下って南本宿と北本宿の中間付近から入間川左岸
の堰(せき)のところに出た。
小休止後、堤防下を上流に向かう。昭代橋の下をくぐったあたりで、
コサギが数羽水面に立つ。トイレのあるサイクリングロード用の小公園
付近の河川敷には、ヤナギの大木が枝を広げていた。
この先二つの富士見橋が続き、好天なら富士山が見えるはずだが、
きょうは霞んで姿を見せない。
二つ先の本富士見橋で川を離れ、橋を渡って少し戻り、川と国道16
号に挟まれた清水八幡宮に回る。
このあたりは木曾義仲の子・義高終焉(しゆうえん)の地で、頼朝に
討たれるのを知って鎌倉から逃れてきたが、追っ手に打ち果たされた
という。
入間川三丁目に残る、古くからの道らしい細い曲がり道を台地に上
がり、武蔵野三十三観音霊場第16番の慈眼寺へ。
精巧な彫刻が施された山門は工事中。境内の大ケヤキも目につく。
入間川一丁目の住宅地から航空自衛隊入間基地の滑走路北端沿
いを回り、狭山稲荷山公園に入った。
太いソメイヨシノや広葉樹、大きな松などが豊富で、桜の咲くころは
花見客で賑わうところ。
来月以降の計画などについてのミーティングをして、すぐ先の西武
池袋線 稲荷山公園駅に16時15分に着いた。
(参加 19人、天気 曇、距離 13.5㎞、地図(1/2.5万) 川越南部、
歩行地 狭山市、歩数 26,000)
記念の日に歩いた、カントリーウオークのレポートです。
=============================
2008年2月11日(祝・水)
このグループ17年目のスタートとなる第160回例会は、発足の記念
日にあたる建国記念の日に開催された。
集合は西武新宿線の新狭山駅。参加者19人は5組に分かれ、曇り
空の10時過ぎにスタートした。
=梅宮神社から智光山公園へ=
新狭山二丁目の住宅街から国道16号を越え、西方集落に入る。
LAOXの近くの細道を入ると、両側にひさしのような屋根を持つ独特の
造りで、北向社殿の奥宮神社がある。
境内は狭いが、桜やケヤキ、広葉樹などが立つ。
すぐ近くの、住宅地に囲まれ広福寺へ。永禄年間(1558~70)の創
立といわれ、山門は関東では珍しい竜宮づくり。
山門の上が鐘楼になっていて、上がって広い境内を俯瞰(ふかん)で
きる。
本堂左手には、武蔵国十三仏霊場の十三仏が屋根下に整然と並ぶ。
境内の樹木はよく手入れされ、深い池にはみごとな彩りの錦鯉が10数
匹、ゆうゆうと泳いでいた。
西側の奥宮小は、創立120年を越える伝統校。門前に、今は珍しい
二宮尊徳の石像が立つていた。
うっすらと奥武蔵の山並みを望む田園地帯を南西へ向かい、梅宮神社
に入る。ちょうど年一度の甘酒祭りの日で、長い参道の両側に屋台が所
狭しと並び、近隣の人がたくさん訪れている。
梅宮神社の甘酒祭りは県指定の文化財。関東では珍しい頭屋制(上
奥富集落内を九つに分けた当番制)の饗宴(きようえん)形式の祭りとか。
承和5年(1838)に京都の梅宮神社から分社されたころから続くという。
参拝後、暖かくておいしい甘酒をいただいた。
境内に甘酒を入れた樽や樽のみこしが置かれ、傍らの舞台では、太
鼓に合わせて獅子が舞う狭山市文化財の「西方はやし」も始まった。
橋の周辺だけが有料道路になっている狭山大橋で入間川を渡り、北
本宿の柏原白髭(しらひげ)神社へ。
社殿の中に韋駄天(いだてん)の額という大きな彩色の額が奉納され、
社殿の背後には、太いケヤキの古木が立つ。境内社の一つ、八坂神社
では、夏祭り「天王さま」の日に、柏原祇園ばやしが奉納されるという。
北側の台地下にある柏原小の背後から西武狭山ニュータウンの住宅
地を進み、斜面林から台地に上がると、城山砦(とりで)跡に出る。
天文15年(1546)4月、川越夜戦と呼ばれる戦いで、北条氏康と戦
った上杉憲政などの陣地となった場所だったといわれているという。
一帯は豊富な樹林が残り、その一角に城山稲荷大明神の小さな石の
ほこらがあった。
上宿集落にある名の知れぬ神社には、大きな桜が枯れ枝を広げ、花
どきはみごとだろうと想像される。
集落のあちこちに、白梅や紅梅も花を開いている。
集落を西に抜け、智光山(ちこうざん)公園の東端から公園に入った。
東北から西南へ1㎞余り、幅500mほどある広い公園内は、武蔵野の
面影を残す雑木林が豊富に残っている。
池も幾つかあり、カルガモなどがたくさん泳いでいた。
細い流れに沿った木々の豊富な遊歩道を、キャンプ場やホタル育成
舎、こども動物園などに沿って進む。途中の流れで、カワセミも見た。
12時49分、公園内にある昼食地の狭山市総合体育館前に着く。
=入間川左岸から稲荷山公園へ=
昼食後、記念撮影をして13時30分に出発する。茶畑や畑の間を南
東に進み、台地を下って南本宿と北本宿の中間付近から入間川左岸
の堰(せき)のところに出た。
小休止後、堤防下を上流に向かう。昭代橋の下をくぐったあたりで、
コサギが数羽水面に立つ。トイレのあるサイクリングロード用の小公園
付近の河川敷には、ヤナギの大木が枝を広げていた。
この先二つの富士見橋が続き、好天なら富士山が見えるはずだが、
きょうは霞んで姿を見せない。
二つ先の本富士見橋で川を離れ、橋を渡って少し戻り、川と国道16
号に挟まれた清水八幡宮に回る。
このあたりは木曾義仲の子・義高終焉(しゆうえん)の地で、頼朝に
討たれるのを知って鎌倉から逃れてきたが、追っ手に打ち果たされた
という。
入間川三丁目に残る、古くからの道らしい細い曲がり道を台地に上
がり、武蔵野三十三観音霊場第16番の慈眼寺へ。
精巧な彫刻が施された山門は工事中。境内の大ケヤキも目につく。
入間川一丁目の住宅地から航空自衛隊入間基地の滑走路北端沿
いを回り、狭山稲荷山公園に入った。
太いソメイヨシノや広葉樹、大きな松などが豊富で、桜の咲くころは
花見客で賑わうところ。
来月以降の計画などについてのミーティングをして、すぐ先の西武
池袋線 稲荷山公園駅に16時15分に着いた。
(参加 19人、天気 曇、距離 13.5㎞、地図(1/2.5万) 川越南部、
歩行地 狭山市、歩数 26,000)