2010年4月18日(日)
関西のカントリーウオークグループの、Tさんが続けている「古道紀行」の第147
回例会に参加した。
今年の古道紀行の企画は、小田宅子(いえこ)の『東路日記』の、大和路の旅の
再現で、この日のテーマは「当麻(たいま)への道-中将姫伝説を訪ねて」である。
法隆寺駅に集まったのは25~6人ほど。A3版いっぱいに収めた地形図のコピー
をもらい、コース説明を受け、9時45分に出発した。
商店街を西に向かい、車道の下をくぐって北へ、興隆四丁目から田んぼの間を抜
け、斑鳩町(いかるがちよう)役場前で国道25号を斜に横切る。奈良街道とも当麻
街道とも呼ぶ旧道を少しで、龍田(たつた)神社に入った。

社殿はコンクリード製のどっしりした造り。境内にはクスノキ大明神として祭られた
ご神木のクスノキの大木が、のびのびと枝を広げ、能楽シテ方の「金剛流発祥之地」
の石碑が立っていた。

「日本一たい焼」の大きな看板のある店の横で国道25号を横断し、南側の吉田
寺(きちでんじ)へ。
修行と学問に生きた偉才、恵心僧都(えしんそうず)こと源信が、永延元年(987)
に開基したと伝わり、「ぽっくり寺」とも呼ばれ、本尊に祈願すれば、家族に下(しも)
の世話をやかせずに極楽往生できるという。

本堂右手の多宝塔は、寛正4年(1463)建立、奈良県域では数少ない多宝塔で、
国重文である。境内の八重桜が見ごろだった。

南西に向かい、レンゲが一面の田んぼや、清楚な花咲く梨畑の間を進んで、龍田
川沿いに出る。

対岸に見えるこんもりした三室(みむろ)山に向かって北側の橋を回り、平安の歌
人、能因法師や在原業平の歌で知られるその三室山に上がる。

ソメイヨシノは葉桜になっているが、八重桜は満開。標高82mの山頂からは、東
側の家並みや山並みが一望できる。山頂の東屋のそばには、能因法師の供養塔
と伝えられる五輪塔があった。
眼下に見える王子の町並みに向かって西に下り、大和川の昭和橋を渡る。

ナノハナの咲く左岸堤防を500m余り進み、JR関西本線の南にある舟戸神社
に入る。
この社地は、聖徳太子建立の四十六か寺のひとつ、西安寺の旧跡として注目さ
れ、礎石や瓦のかけらなどが発見されているとのこと。確かに境内や近くに、瓦の
かけらが幾つか散見された。
近鉄田原本線の踏切を渡り、葛下川沿いを少しでJR和歌山線の西に回り、国道
168号沿いにある達磨寺(だるまじ)へ。正午を過ぎたので、ここで昼食をすること
になった。
達磨寺は、推古天皇(592~628)の発願で建立されたと伝えられ、放火や兵火
などで何度も焼失したが、寺内には多くの寺宝、文化財が多いという。

白木の本堂は、改築直後らしく新しい。参拝に本堂の階段を上がったら、ご住職
が正面の扉を開けて下さり、中に入って拝観する。

堂内には、本尊の木造千手観音像、いずれも国重文の、木造達磨大師像↑と
木像聖徳太子像などが祭られ、正親町天皇綸旨(おおぎまちてんのうりんじ)や、
徳川家康朱印状、聖徳太子画像、達磨大師画像なども展示されていた。
広い境内にはほかに、大塔宮の家来、片岡八郎公の墓、聖徳太子の愛犬・雪丸
像、一夜竹、聖徳太子と達磨大師の問答石など、幾つもの遺跡が残っていた。

山門前で記念撮影をして午後のコースに向かう。後半は、まだかなりの距離が
あるという。
国道168号の西に回り、「太子道(たいしみち)」と呼ばれる聖徳太子ゆかりの旧
道を主に進む。柿本人麻呂の歌にも読まれた芦田池を通過、推古天皇の乳母ゆか
りの乳垂(ままたれ)地蔵尊の近くには、石の基壇の残る尼寺廃寺(にんじはいじ)
跡があった。

西名阪自動車道の下を抜けて、武烈天皇陵の南にある志都美(しずみ)神社で
休憩する。
志都美神社は、弘仁4年(813)藤原鎌足の孫により創建された延喜式内社
(えんぎしきないしゃ)。境内には、明治13年(1880)にコレラが流行したときに、
氏子の祈願により村内に一人の患者も出なかったことを喜んだ、珍しい記念碑が
ある。

豊富な照葉樹林に囲まれた社そうは、県の天然記念物。社殿前のシダレザク
ラが見ごろだった。
境内には、インドシナ原産で水に沈むという珍しい竹、ホウライチクがあり、社務
所の庭には、葉が金魚の形をしたキンギョツバキとが、花を開いていた。
葛下川の支流沿いを東に進み、香芝市の住宅街にあるスーパーでトイレ休憩。
この先まだ3㎞前後あるので、一部の人は近鉄大阪線の二上山(にじょうさん)駅
でリタイアした。
古い家並みの残る穴虫東の狭い通りを抜け、国道165号をくぐる。新緑に覆わ
れた二上山の、西側山すその高台からは、家並みの向こうに、霞んではいるが、
畝傍山(うねびやま)↓や耳成(みみなし)山が遠望できる。

道の駅「ふたかみパーク當麻」で、最後の休憩。午後は気温が上がり暑さを感じ
るので、多くの人がソフトクリームでのどを潤した。


新緑の山並みを眺めながら當麻小の横を進み、謡曲「当麻」や中将姫で知られ
る當麻寺(たいまでら)に入った。
當麻寺は、この地の豪族當麻氏が天平年間初頭(730ころ)、氏神として創建
したとか、また別の説もあるらしい。謡曲「当麻」は、当麻曼陀羅の縁起に基づき
念仏の効力を説いた曲。足利時代、世阿弥は、主人公の尼の名を中将姫として
「当麻」を作曲したという。

広い境内には、いずれも国宝の本堂や金堂、講堂、西塔と東塔、日本最古とい
われる鐘を吊す鐘楼などがあるが、16時を過ぎたので、ゆっくり拝観できなかっ
たのが残念だった。
境内で散会となり、土産物店や落ち着いたたたずまいの住宅などの並ぶ門前
の通りを駅に向かう。
16時41分に近鉄南大阪線当麻寺駅に着く。下り電車で橿原神宮前駅を経由
して、奈良市内の宿に向かった。
(天気 快晴後曇、距離 18㎞、地図(1/2.5万) 信貴山、大和高田、歩行地
斑鳩町、河合町、王寺町、香芝市、葛城市、歩数 31,400)
関西のカントリーウオークグループの、Tさんが続けている「古道紀行」の第147
回例会に参加した。
今年の古道紀行の企画は、小田宅子(いえこ)の『東路日記』の、大和路の旅の
再現で、この日のテーマは「当麻(たいま)への道-中将姫伝説を訪ねて」である。
法隆寺駅に集まったのは25~6人ほど。A3版いっぱいに収めた地形図のコピー
をもらい、コース説明を受け、9時45分に出発した。
商店街を西に向かい、車道の下をくぐって北へ、興隆四丁目から田んぼの間を抜
け、斑鳩町(いかるがちよう)役場前で国道25号を斜に横切る。奈良街道とも当麻
街道とも呼ぶ旧道を少しで、龍田(たつた)神社に入った。

社殿はコンクリード製のどっしりした造り。境内にはクスノキ大明神として祭られた
ご神木のクスノキの大木が、のびのびと枝を広げ、能楽シテ方の「金剛流発祥之地」
の石碑が立っていた。

「日本一たい焼」の大きな看板のある店の横で国道25号を横断し、南側の吉田
寺(きちでんじ)へ。
修行と学問に生きた偉才、恵心僧都(えしんそうず)こと源信が、永延元年(987)
に開基したと伝わり、「ぽっくり寺」とも呼ばれ、本尊に祈願すれば、家族に下(しも)
の世話をやかせずに極楽往生できるという。

本堂右手の多宝塔は、寛正4年(1463)建立、奈良県域では数少ない多宝塔で、
国重文である。境内の八重桜が見ごろだった。

南西に向かい、レンゲが一面の田んぼや、清楚な花咲く梨畑の間を進んで、龍田
川沿いに出る。

対岸に見えるこんもりした三室(みむろ)山に向かって北側の橋を回り、平安の歌
人、能因法師や在原業平の歌で知られるその三室山に上がる。

ソメイヨシノは葉桜になっているが、八重桜は満開。標高82mの山頂からは、東
側の家並みや山並みが一望できる。山頂の東屋のそばには、能因法師の供養塔
と伝えられる五輪塔があった。
眼下に見える王子の町並みに向かって西に下り、大和川の昭和橋を渡る。

ナノハナの咲く左岸堤防を500m余り進み、JR関西本線の南にある舟戸神社
に入る。
この社地は、聖徳太子建立の四十六か寺のひとつ、西安寺の旧跡として注目さ
れ、礎石や瓦のかけらなどが発見されているとのこと。確かに境内や近くに、瓦の
かけらが幾つか散見された。
近鉄田原本線の踏切を渡り、葛下川沿いを少しでJR和歌山線の西に回り、国道
168号沿いにある達磨寺(だるまじ)へ。正午を過ぎたので、ここで昼食をすること
になった。
達磨寺は、推古天皇(592~628)の発願で建立されたと伝えられ、放火や兵火
などで何度も焼失したが、寺内には多くの寺宝、文化財が多いという。

白木の本堂は、改築直後らしく新しい。参拝に本堂の階段を上がったら、ご住職
が正面の扉を開けて下さり、中に入って拝観する。

堂内には、本尊の木造千手観音像、いずれも国重文の、木造達磨大師像↑と
木像聖徳太子像などが祭られ、正親町天皇綸旨(おおぎまちてんのうりんじ)や、
徳川家康朱印状、聖徳太子画像、達磨大師画像なども展示されていた。
広い境内にはほかに、大塔宮の家来、片岡八郎公の墓、聖徳太子の愛犬・雪丸
像、一夜竹、聖徳太子と達磨大師の問答石など、幾つもの遺跡が残っていた。

山門前で記念撮影をして午後のコースに向かう。後半は、まだかなりの距離が
あるという。
国道168号の西に回り、「太子道(たいしみち)」と呼ばれる聖徳太子ゆかりの旧
道を主に進む。柿本人麻呂の歌にも読まれた芦田池を通過、推古天皇の乳母ゆか
りの乳垂(ままたれ)地蔵尊の近くには、石の基壇の残る尼寺廃寺(にんじはいじ)
跡があった。

西名阪自動車道の下を抜けて、武烈天皇陵の南にある志都美(しずみ)神社で
休憩する。
志都美神社は、弘仁4年(813)藤原鎌足の孫により創建された延喜式内社
(えんぎしきないしゃ)。境内には、明治13年(1880)にコレラが流行したときに、
氏子の祈願により村内に一人の患者も出なかったことを喜んだ、珍しい記念碑が
ある。

豊富な照葉樹林に囲まれた社そうは、県の天然記念物。社殿前のシダレザク
ラが見ごろだった。
境内には、インドシナ原産で水に沈むという珍しい竹、ホウライチクがあり、社務
所の庭には、葉が金魚の形をしたキンギョツバキとが、花を開いていた。
葛下川の支流沿いを東に進み、香芝市の住宅街にあるスーパーでトイレ休憩。
この先まだ3㎞前後あるので、一部の人は近鉄大阪線の二上山(にじょうさん)駅
でリタイアした。
古い家並みの残る穴虫東の狭い通りを抜け、国道165号をくぐる。新緑に覆わ
れた二上山の、西側山すその高台からは、家並みの向こうに、霞んではいるが、
畝傍山(うねびやま)↓や耳成(みみなし)山が遠望できる。

道の駅「ふたかみパーク當麻」で、最後の休憩。午後は気温が上がり暑さを感じ
るので、多くの人がソフトクリームでのどを潤した。


新緑の山並みを眺めながら當麻小の横を進み、謡曲「当麻」や中将姫で知られ
る當麻寺(たいまでら)に入った。
當麻寺は、この地の豪族當麻氏が天平年間初頭(730ころ)、氏神として創建
したとか、また別の説もあるらしい。謡曲「当麻」は、当麻曼陀羅の縁起に基づき
念仏の効力を説いた曲。足利時代、世阿弥は、主人公の尼の名を中将姫として
「当麻」を作曲したという。

広い境内には、いずれも国宝の本堂や金堂、講堂、西塔と東塔、日本最古とい
われる鐘を吊す鐘楼などがあるが、16時を過ぎたので、ゆっくり拝観できなかっ
たのが残念だった。
境内で散会となり、土産物店や落ち着いたたたずまいの住宅などの並ぶ門前
の通りを駅に向かう。
16時41分に近鉄南大阪線当麻寺駅に着く。下り電車で橿原神宮前駅を経由
して、奈良市内の宿に向かった。
(天気 快晴後曇、距離 18㎞、地図(1/2.5万) 信貴山、大和高田、歩行地
斑鳩町、河合町、王寺町、香芝市、葛城市、歩数 31,400)