あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

松久駅周辺をカントリーウオーク(埼玉)

2010-05-11 21:11:09 | カントリーウオーク
 2010年5月8日(土)

 さわやかな五月晴れに恵まれたこの日、埼玉県内を中心にカントリーウオークを
楽しんでいるグループの第173回例会を開催した。

 ユニークな建物で無人のJR八高線(はちこうせん)松久駅(まつひさえき)に集ま
った14人は、4組に分かれて10時18分にスタートした。

 ==甘粕から猪俣の社寺へ==

 商店もコンビニもない閑散とした駅前を南へ、甘粕集落の住宅地を抜けて平地林
の山すそに入ると、八重桜の花びらが、じゅうたんのように土の道に積もっていた。


 周辺の林や山は、色濃くなってきた新緑がいっぱい。ところどころにフジの花が
彩りを添える。


 緑陰の草の道を進んで車道に出て、多宝寺に向かう。日当たりのよい台地に、ブ
ルーベリーの畑があり、白い花がちょうど見ごろ。

 ブルーベリー畑は、この先に何か所もあり、美里町(みさとまち)の特産品のようだ。

 多宝寺の前には、ボタンやレンゲツツジ、ヤマツツジなどが鮮やかな彩りを見せ
ていた。

 甘粕集落を東に抜け、天神川を渡る。きれいな流れの両岸には、ナノハナがたく
さん咲いていた。


 普門寺古墳群を目指して広葉樹林の中を上がる。しかし途中から踏み跡ははっ
きりしなくなり、竹やぶをかき分けて進み、横断する1車線の車道に出た。古墳群
の標識を探したが見つからない。

 緑陰の車道を西に回り込んで下ると、猪俣の普門寺があった。

 創建は鎌倉時代の承元4年(1184)、武蔵七党の猪俣小平六邦憲によるもの。
現在の本堂は明治26年(1894)の再建という。

 境内のフジが見ごろ、本堂左側には、首都圏では貴重という四十九院仏像(すべ
ての如来、菩薩、明王、天が揃う)が並んでいる。


 賽銭(さいせん)箱がないのでお参りしただけで出ようとしたら、ご住職の奥様が
本堂を開けて、「お茶をどうぞ」と声をかけて下さった。

 それではと本堂に上がって参拝し、お茶と、タケノコのキムチ煮をいただく。欄間
には天女の像などが刻まれ、左右のふすまには、幾つもの絵図が並んでいる。

 ここでは賽銭箱は昔から無く、檀家の方からの芳志も、奥様が来られて40数年
の間に2回しかいただいてないのこと。2人のお子様とも僧侶で、長男はこの寺で、
次男は東京・練馬区の寺に奉職されているとのことだった。

 思いがけずのお接待をいただき、厚く御礼申し上げ寺を後にする。


 麦の穂の伸びた緩やかな丘陵に上がり、何台ものラジコン飛行機を飛ばすグル
ープの横を通過、ネギ畑の間を過ぎ、ポピーがいっぱい咲く畑の横に回る。



 ポピー畑の近くに行くには、緑化協力金200円を支払う必要があるが、回りから
見えるので入らず、そばの高台にある昼食地の高台院に12時15分に着いた。

 高台院明王寺の開祖は、地名となっている猪俣氏といわれるが、開山年次は不
明とのこと。

 寺は無住で、平成19年11月に改築を終えたという新しい本堂のぬれ縁を借り、
眼下のポピー畑や周辺の新緑などを眺め、さわやかな風を感じながら昼食をする。

 ==遺跡の森公園を抜ける==

 昼食を済ませ13時15分に出発、境内南側にある武蔵七党の一党、猪俣氏とし
て勇名をはせた猪俣小兵六範綱(のりつな)の墓に回る。

 毎年、8月15日の夜、小兵六とその一族の霊を慰めるため、この墓地と前方の
山に百八灯が点される「猪俣の百八灯」は、国の無形文化財になっているという。

 猪俣集落に入り、正円寺と二柱神社へ。正円寺には、永禄年間(1558~)と
天正年間(1573~)の鰐口があることが記されていたが、本堂には下がっていな
かった。隣接する二柱神社は、堂々たる造りの社殿である。


 集落の中ほどに小公園があり、「田舎の駅 丸八酒造跡地」の標識が立っていた。

 国道254号バイパスだろうか、一部完成した広い道路を通過し、大沢小のそばの
木陰で小休止する。

 天神川左岸沿いに500m余り進み、大きな建物の横から台地へ。国道254号を
横切り、さらに上がって遺跡の森総合公園に入った。

 「遺跡の森館」という展示施設のほか、体育館や武道館、町民センター、中央公
民館、広いグランドやテニスコートなどがある。


 北側のアカマツや広葉樹の森の中には、「木部山古墳群」と呼ばれる古墳が幾つ
か残っている。

 北側に下ると、四国八十八か所お砂踏み霊場や、曼陀羅(まんだら)塔のある真
東寺だが、帰りの列車の都合で寄らず、境内を通過するだけにした。


 この地に生まれた幕末の優れた指導者で、関流(せきりゆう)算術の大家として知
られる小林喜左右衛門良匡(よしまさ)のことを記した「関流算術の碑」の前を過ぎれ
ば駅は近い。出発地の松久駅に、15時ちょうどに着いた。

 途中で記念撮影をしなかったので、最後にユニークな駅舎の前に並んだ。

(天気 快晴後晴、参加 14人、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 本庄、寄居、歩行地
 美里町、歩数 18,100)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする