2010年4月21日(水)
昨年秋に10年がかりの解体修理を終えた、唐招提寺金堂を拝観しようと、近鉄
橿原線の西の京駅に降りました。
線路の東側を北へ、10分足らずで唐招提寺の玄関、南大門を入ります。正面に
堂々と立つのが、平成の大修理を終えた金堂、わが国現存最大の天平建築です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/1b/e4b8c40d42b94cccd7019b619f959d14.jpg)
金堂の東北に2棟の校倉(あぜくら)造りの建物が残っています。経蔵と宝蔵、
これは経蔵だったと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/c6/734ecaccca400ee7a1b3150458a55387.jpg)
新緑に覆われた広い境内の東北部にあるのが、聖武天皇の招請に答えて唐か
ら来日してこの寺を開山した鑑真和上(がんじんわじょう)の御廟(墓)です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/cd/db87eb9df9c76dcb4838b774e15847c8.jpg)
鑑真和上は、この寺で天平宝字7年(763)、76歳にて世を去りました。
御廟前に、和上の故郷・揚州から贈られた瓊花(けいか)が植えられ、例年なら
可憐な白い花を咲かせるころなのですが、今年は春先の天候不順で、まだ開花
前でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/09/17c6ec26c4e9b9f40a06f0301c344831.jpg)
御廟の南にある新宝蔵に入り、国宝である金堂の鴟尾(しび)や、重要文化財の
仏像など17点ほかを拝観し、唐招提寺を後にしました。
寺の東南端で、南北に流れる秋篠川を渡り、左岸沿いの自転車道を北に向かい
ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/03/0660013d1b3f2aa1d1e3c578ebdd8975.jpg)
1.5㎞ほど進んで川を離れ、近鉄奈良線の踏切を渡り、東側一帯に広大な草
地が広がる、平城宮跡に入りました。
まず、北東にある平城宮跡資料館に入ろうとしたれ、「平城宮遷都1300年祭」
(4月24日~11月7日)のオープンを3日後に控え、休館中でした。
それではと、南側中央部に完成している朱雀門に向かいます。平城宮跡の南
側を、近鉄奈良線が走っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/d6/de4eb30b111800d0729ec83ee2bbeec6.jpg)
朱雀門のすぐ北に、新しい踏切が完成していたのですが、1300年祭までは使
えないのか閉鎖されていて、東側の既存の踏切を回って朱雀門に行きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/b1/0c87e13a47e91cf5b11ad826ab24b45a.jpg)
平城宮の入口にあたる、南側から見た朱雀門。
この左手には、平城京歴史館があるのですが、これも閉鎖中、館の外に、平城
遷都1300年祭を機に復元した、遣唐使船が展示されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/dc/020dab008eb978aca41fcb12906990e1.jpg)
全長約30m、マスト高約15mで、当時のものを原寸大に復元したようですが、
このような小さな船で唐まで航海するのは、さぞかし大変だったろうと想像され
ます。
渡った近鉄線の踏切の南側は兵部省跡。兵部省は奈良時代の官庁のひとつ
で、兵士、兵器、軍事施設の管理や、武官の人事などを担当した部署です。礎
石などが復元されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/fa/626ec839ce3838ca2db729d4bbd99d1c.jpg)
平城宮の中央部に戻ると、3日後から運行を開始する「ハートフルトラム」と呼ぶ
観覧者運搬用の電気自動車が、試運転を始めたところでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/02/ad03b8e12a505ac5e0bbc902f5ec27d8.jpg)
ハーフトラムの運行ルートの北側が、1300年祭の目玉施設ともいえる、完成
したばかりの第一次大極殿。この日はまだ、そばに行くことはできませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/c2/d81e2c5f07f1bb5250c5313fe2f73951.jpg)
手前のテントは、オープンセレモニーのための施設のようです。
第一次大極殿の東側は、第二次大極殿があったところ。その南側にある第二次
朝堂院跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/7e/1b7d0f14374574d6a584c6304c0c6661.jpg)
第二次朝堂院跡に上がると、西にアンテナ塔の林立する生駒山が望まれます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/a0/95b24d0f304625440fa2a3dfceabeb79.jpg)
そして東には、大仏殿や若草山などが見えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/1c/1c6f8634416891d5fb2174d65b74b99b.jpg)
広い草地のあちこちに、1300年祭に向けた、飾り物が見られました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/03/e43255929cdee326420c29eb971409fb.jpg)
復元された第一次大極殿の南側に、一部復元された第一次朝堂院の建物と
塀が見られます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/63/0b0b77922f9507b9414a38c8cf1a012e.jpg)
このあと、平城宮跡の東南にある、東院庭園に向かいました。 (続く)
昨年秋に10年がかりの解体修理を終えた、唐招提寺金堂を拝観しようと、近鉄
橿原線の西の京駅に降りました。
線路の東側を北へ、10分足らずで唐招提寺の玄関、南大門を入ります。正面に
堂々と立つのが、平成の大修理を終えた金堂、わが国現存最大の天平建築です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/1b/e4b8c40d42b94cccd7019b619f959d14.jpg)
金堂の東北に2棟の校倉(あぜくら)造りの建物が残っています。経蔵と宝蔵、
これは経蔵だったと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/c6/734ecaccca400ee7a1b3150458a55387.jpg)
新緑に覆われた広い境内の東北部にあるのが、聖武天皇の招請に答えて唐か
ら来日してこの寺を開山した鑑真和上(がんじんわじょう)の御廟(墓)です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/cd/db87eb9df9c76dcb4838b774e15847c8.jpg)
鑑真和上は、この寺で天平宝字7年(763)、76歳にて世を去りました。
御廟前に、和上の故郷・揚州から贈られた瓊花(けいか)が植えられ、例年なら
可憐な白い花を咲かせるころなのですが、今年は春先の天候不順で、まだ開花
前でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/09/17c6ec26c4e9b9f40a06f0301c344831.jpg)
御廟の南にある新宝蔵に入り、国宝である金堂の鴟尾(しび)や、重要文化財の
仏像など17点ほかを拝観し、唐招提寺を後にしました。
寺の東南端で、南北に流れる秋篠川を渡り、左岸沿いの自転車道を北に向かい
ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/03/0660013d1b3f2aa1d1e3c578ebdd8975.jpg)
1.5㎞ほど進んで川を離れ、近鉄奈良線の踏切を渡り、東側一帯に広大な草
地が広がる、平城宮跡に入りました。
まず、北東にある平城宮跡資料館に入ろうとしたれ、「平城宮遷都1300年祭」
(4月24日~11月7日)のオープンを3日後に控え、休館中でした。
それではと、南側中央部に完成している朱雀門に向かいます。平城宮跡の南
側を、近鉄奈良線が走っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/d6/de4eb30b111800d0729ec83ee2bbeec6.jpg)
朱雀門のすぐ北に、新しい踏切が完成していたのですが、1300年祭までは使
えないのか閉鎖されていて、東側の既存の踏切を回って朱雀門に行きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/b1/0c87e13a47e91cf5b11ad826ab24b45a.jpg)
平城宮の入口にあたる、南側から見た朱雀門。
この左手には、平城京歴史館があるのですが、これも閉鎖中、館の外に、平城
遷都1300年祭を機に復元した、遣唐使船が展示されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/dc/020dab008eb978aca41fcb12906990e1.jpg)
全長約30m、マスト高約15mで、当時のものを原寸大に復元したようですが、
このような小さな船で唐まで航海するのは、さぞかし大変だったろうと想像され
ます。
渡った近鉄線の踏切の南側は兵部省跡。兵部省は奈良時代の官庁のひとつ
で、兵士、兵器、軍事施設の管理や、武官の人事などを担当した部署です。礎
石などが復元されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/fa/626ec839ce3838ca2db729d4bbd99d1c.jpg)
平城宮の中央部に戻ると、3日後から運行を開始する「ハートフルトラム」と呼ぶ
観覧者運搬用の電気自動車が、試運転を始めたところでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/02/ad03b8e12a505ac5e0bbc902f5ec27d8.jpg)
ハーフトラムの運行ルートの北側が、1300年祭の目玉施設ともいえる、完成
したばかりの第一次大極殿。この日はまだ、そばに行くことはできませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/c2/d81e2c5f07f1bb5250c5313fe2f73951.jpg)
手前のテントは、オープンセレモニーのための施設のようです。
第一次大極殿の東側は、第二次大極殿があったところ。その南側にある第二次
朝堂院跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/7e/1b7d0f14374574d6a584c6304c0c6661.jpg)
第二次朝堂院跡に上がると、西にアンテナ塔の林立する生駒山が望まれます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/a0/95b24d0f304625440fa2a3dfceabeb79.jpg)
そして東には、大仏殿や若草山などが見えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/1c/1c6f8634416891d5fb2174d65b74b99b.jpg)
広い草地のあちこちに、1300年祭に向けた、飾り物が見られました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/03/e43255929cdee326420c29eb971409fb.jpg)
復元された第一次大極殿の南側に、一部復元された第一次朝堂院の建物と
塀が見られます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/63/0b0b77922f9507b9414a38c8cf1a012e.jpg)
このあと、平城宮跡の東南にある、東院庭園に向かいました。 (続く)