あるきメデス

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奈良・唐招提寺から平城宮跡へ

2010-05-15 23:24:52 | 奈良を歩く
 2010年4月21日(水)

 昨年秋に10年がかりの解体修理を終えた、唐招提寺金堂を拝観しようと、近鉄
橿原線の西の京駅に降りました。

 線路の東側を北へ、10分足らずで唐招提寺の玄関、南大門を入ります。正面に
堂々と立つのが、平成の大修理を終えた金堂、わが国現存最大の天平建築です。


 金堂の東北に2棟の校倉(あぜくら)造りの建物が残っています。経蔵と宝蔵、
これは経蔵だったと思います。


 新緑に覆われた広い境内の東北部にあるのが、聖武天皇の招請に答えて唐か
ら来日してこの寺を開山した鑑真和上(がんじんわじょう)の御廟(墓)です。

 鑑真和上は、この寺で天平宝字7年(763)、76歳にて世を去りました。
 
 御廟前に、和上の故郷・揚州から贈られた瓊花(けいか)が植えられ、例年なら
可憐な白い花を咲かせるころなのですが、今年は春先の天候不順で、まだ開花
前でした。   


 御廟の南にある新宝蔵に入り、国宝である金堂の鴟尾(しび)や、重要文化財の
仏像など17点ほかを拝観し、唐招提寺を後にしました。

 寺の東南端で、南北に流れる秋篠川を渡り、左岸沿いの自転車道を北に向かい
ます。


 1.5㎞ほど進んで川を離れ、近鉄奈良線の踏切を渡り、東側一帯に広大な草
地が広がる、平城宮跡に入りました。

 まず、北東にある平城宮跡資料館に入ろうとしたれ、「平城宮遷都1300年祭」
(4月24日~11月7日)のオープンを3日後に控え、休館中でした。

 それではと、南側中央部に完成している朱雀門に向かいます。平城宮跡の南
側を、近鉄奈良線が走っています。


 朱雀門のすぐ北に、新しい踏切が完成していたのですが、1300年祭までは使
えないのか閉鎖されていて、東側の既存の踏切を回って朱雀門に行きました。

 平城宮の入口にあたる、南側から見た朱雀門。

 この左手には、平城京歴史館があるのですが、これも閉鎖中、館の外に、平城
遷都1300年祭を機に復元した、遣唐使船が展示されていました。

 全長約30m、マスト高約15mで、当時のものを原寸大に復元したようですが、
このような小さな船で唐まで航海するのは、さぞかし大変だったろうと想像され
ます。

 渡った近鉄線の踏切の南側は兵部省跡。兵部省は奈良時代の官庁のひとつ
で、兵士、兵器、軍事施設の管理や、武官の人事などを担当した部署です。礎
石などが復元されていました。


 平城宮の中央部に戻ると、3日後から運行を開始する「ハートフルトラム」と呼ぶ
観覧者運搬用の電気自動車が、試運転を始めたところでした。

 
 ハーフトラムの運行ルートの北側が、1300年祭の目玉施設ともいえる、完成
したばかりの第一次大極殿。この日はまだ、そばに行くことはできませんでした。

 手前のテントは、オープンセレモニーのための施設のようです。

 第一次大極殿の東側は、第二次大極殿があったところ。その南側にある第二次
朝堂院跡。


 第二次朝堂院跡に上がると、西にアンテナ塔の林立する生駒山が望まれます。


 そして東には、大仏殿や若草山などが見えています。


 広い草地のあちこちに、1300年祭に向けた、飾り物が見られました。


 復元された第一次大極殿の南側に、一部復元された第一次朝堂院の建物と
塀が見られます。


 このあと、平城宮跡の東南にある、東院庭園に向かいました。 (続く)
コメント
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