2015年10月13日(火)
所沢市作成のウオーキング地図のひとつ、「ウオーキングナビ③東エリア」の「戦国・
江戸時代から平成の新時代探索コースのおすすめルート」という、ちょっと分かりにくい
タイトルのコースを歩いてみることにした。
JR武蔵野線の東所沢駅を11時30分にスタートした。駅横の通りを南へ、最初の交
差点を東進してすぐに南に入ると、一面に畑と平地林の展望が広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/3d/7fea33e83243555f6ec7085e9c3c71f5.jpg)
畑の中を東進して車道に出て南へ、右カーブ点の段丘上に東福寺の大きな観音像が立っ
ていた。観音像の前の急階段を下り、境内から観音像を再拝する。
東福寺の本尊、木造阿弥陀如来像は鎌倉から室町時代の造立と推定され、所沢市指定文
化財になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/54/a4ca1114552ecbf9ad13a1458b3498e1.jpg)
本堂の東側には神社も祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/9a/7f5ca40995e89d417a316c65fbf8aff8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/a0/9b8ca742549dd6cc9fb0878decea2838.jpg)
寺のある本郷集落の、中心を貫く車道を東北に抜けると畑が広がり、都県境の柳瀬川の
南側に、清瀬市の中里団地が望まれる。畑の隅のコスモスが花盛り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/22/47fd4bd2caa91ed7198d01b6d444e977.jpg)
JR武蔵野線の高架下を北に抜け、木々に覆われた城山神社の石段を上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/94/3f6c6905a4492a37837af5395279914f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/5e/44784a78b0724f18f5c67887fa34f1ff.jpg)
一帯は埼玉県指定史跡の「滝の城跡」で、神社は本丸跡に立っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/9a/fc33716f9bf7c4e8b2ceda2a1741fa30.jpg)
南側の展望が開け、JR武蔵野線の高架や中里団地などが一望できる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/1b/bf484ae26494082679daa16404e6524c.jpg)
滝の城は、狭山丘陵の一角が低地に向かって落ちる崖を利用し、東南を流れる柳瀬川を
防御線とした平山城で、本丸を中心に遺構がよく保存されている。
城は、北条氏照の持城だったと推定され、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原
城攻略の際、落城したものと考えられているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/1f/662b04a14cd7496ebe2f93e3e7a8811c.jpg)
内堀や三の丸跡沿いの遊歩道を回って城跡を北東に抜け、県道179号に出る。
関越自動車道と東川(あずまがわ)の上を通過し、次の交差点の先で左への細道に入り、
うっそうとしたカシやスギ、ケヤキなどの森を背にした東光寺へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/f8/1ae5c9c11ebbb31f35e8f823904083f1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/7e/00a3fdd20b9c764a40a7621920e54591.jpg)
大きな本堂の左上には、金比羅大王を祭るお堂があり、本堂前には安政6年(1859)
造立の庚申塔が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e3/085d38e3bbdb2a7b29c74d9ecc146e2a.jpg)
縁日は毎月10日で、特に賑わうのは3月の大祭の時とか。朝早く参拝するほど御利益
があるとされ「朝金比羅」ともいわれているようだ。13時を過ぎたので、山門の近くで
昼食をした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/59/722336221dc1a094a8ec8c7f96c25d52.jpg)
さらに東北に向かい、工場地帯の背後で2本の送電線下を抜ける。天神社↑の横を過ぎ
て、交通量の多い国道463号に合した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/b0/897d03de354905a95a4b255417c491d8.jpg)
交差点を渡ったすぐ北東に「柳瀬荘」の看板があるが、公開日は毎週木曜なので門は閉
じていて長屋門だけしか見えない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/ba/f84af61926ac53653f4ad5064f73ebac.jpg)
柳瀬荘は、「電力王」と言われた財界人、松永安左エ門の別荘で、昭和23年(1948)
に東京国立博物館に寄贈されたもの。
柳瀬荘内には、国の重要文化財の黄林閣(おうりんかく)と、斜月亭(しゃげつてい)、
久木庵(きゅうもくあん)などがあるようだが、広葉樹林に覆われた斜面上部にあるのか、
確認できなかった。
柳瀬荘の敷地左手と工場の間の薄暗い林間の細道を上がり、上の車道に出て畑の中を西
進する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/c8/76f35ce848f15039cc1649ea12b7192c.jpg)
ネギ畑の横を過ぎ、二つ目の送電線が近づいた辺りに、くず鉄の処理施設があり、膨大
な鉄材のスクラップに目を奪われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/dc/9ce95c4d264f4aa13dddf84ecdac8c97.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/1a/305513ec3b433a9a0eedfd6126c85ebf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/c5/a9b5983641e6708a71e5199fa14fd2f9.jpg)
堀割を走る関越自動車道の側道に入り、すぐ左手の国道463号との交差部で信号を渡
る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/12/34514965d733cc1efc569b1b03ddd140.jpg)
折り返して関越道西側の側道を進むはずが、国道の歩道沿いに進んでしまった。左折す
べき道路が無く、おかしいと思いながら次の交差点で、送電線の方向と亀ヶ谷交差点の標
識で間違いに気づく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/05/d0f708639b9bb4b1e8dbd77601c3d00b.jpg)
右折して北に向かったので、距離的にはほぼ同じで、二つ目の交差点際に、東京オリン
ピッククレー射撃記念碑があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/8c/ac1e327fd13cbb8a1f12289cdfa9659b.jpg)
昭和39年(1964)の東京オリンピックの際のクレー射撃場が、この周辺につくら
れたが、昭和47年には閉鎖された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/46/15c60f307e1399001da3a643a6dd6926.jpg)
背後は広大な畑が広がり、前面の道路の東側には工場や倉庫が立ち並び、当時の面影は
全くない。碑の前を走る道路のみが、いまも「オリンピック道路」と呼ばれ、その名残を
留めている。
交通量の多いそのオリンピック道路沿いに、次のポイントに関係する川越いもの案内板
が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/9c/03908da81cc7d7e1a26afab3e9df0011.jpg)
300mほどで南永井交差点を通過し、近くの舘野製本の建物の先を右折すると、民家
の横に、「史跡南永井さつまいも始作地之碑」がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/9b/1d20c60cc6239ba39fbfc33b77f02a76.jpg)
寛延4年(1751)、南永井村の名主、吉田弥右衛門が、息子にいまの千葉県市原市
に種いもの買い付けに行かせ、以後この地で飢饉(ききん)に強いとされるさつまいもの
栽培に武蔵野地方で初めて成功し、近隣に広めたとのこと。今は「川越いも」の名で知ら
れるが、ルーツは所沢のここなのだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/44/5783bc3fba67b5002512e51009d80c3f.jpg)
ちなみに、今日、10月13日は「さつまいもの日」。サツマイモの旬が10月である
ことと、川越いもに由来する言葉「九里四里(くりより)うまい十三里」の十三里を合わ
せて、『川越いも友の会』が記念日に制定したもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/96/628085f104a1ac11abccf55c48ea436e.jpg)
そういえば、碑の前にわずかなサツマイモが植えられているが、通過した両側の畑には
サツマイモ畑は見当たらず、この先にも無かったのが残念だった。実は今日、このコース
を歩くことにしたのは、さつまいもの日なのでゆかりの記念碑を訪ねようとしたことから。
コース地図では、手前の交差点に戻って西進するようになっているが、すぐ北側に平行
して南永井集落沿いの旧道があるので、こちらを進むことにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/9e/9f174e5f10c5021c7ee9475f8e8d49ac.jpg)
すぐ先に八幡神社があったが、来歴などは記されてない。そばの民家の庭先のシュウメ
イギクが見ごろ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/4a/2e02380dde746099f45a1ecab2d1dece.jpg)
さらに進むと、所沢市の「ふるさとの樹(巨樹)」に指定されたケヤキの大木が立ち、
車も少ない静かな里道である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/51/8e164c971c5fd093e8164e0f9e5aea3d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/0e/1e734bcfe2be8aa45a01f7fed4da51ca.jpg)
茶畑が増え、少しクランク状に曲がった先は生け垣や屋敷林が増え、りっぱな長屋門を
構えた農家もあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/3b/276a5b693b679ff22b962ed64f041577.jpg)
地図上のコースに合してY字路を左へ、すぐに左折して送電線沿いの旧道を南に進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/98/f273bea0b17bebe053b69bd03cc759e3.jpg)
行く手に高い煙突の所沢市東部クリーンセンタが近づき、西方には秩父の武甲山や大持
山小持山などの稜線が望まれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/1c/fe51f5ae6653b6aac3fb145602983b61.jpg)
道路を隔てた東側には、リサイクルふれあい館「エコロ」があり、環境配慮に関するキ
ーワードである3Rについての啓発と展示があるようだが、休館日で入れない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/9c/6f2340ae23ca99acb57cd774d5b01b2b.jpg)
3Rとは、リデュース(ごみの発生抑制)リユース(再使用)リサイクル(ゴミの再生
利用)の優先順位で、廃棄物の削減に努めるのがよいという考え方だという。
工場が増えた辺りの十字路を左折して東へ、国道463号の新郷交差点を渡ってさらに
東進する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/e2/80882c88c9fce70666fd0b6420549b4b.jpg)
16時半を過ぎて落日が近づき、西の空は茜(あかね)色に染まる。畑の中に「開拓の
碑」があり、昭和24年(1949)からここ柳瀬地区に30戸の入植者が入って開拓を
始め、4年後には電灯が導入されたことなどが記されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/29/8c9f099bea7f1cfceff611fa674058c6.jpg)
少し先で南下して東川の橋を渡り、南側台地の東所沢公園を抜ける。公園内の豊富な広
葉樹林の西に間もなく陽が落ちそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/6b/6f576168ba4dcf5a8554666b4adf8e1d.jpg)
スタートしたJR武蔵野線の東所沢駅に、16時52分にゴールした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/40/3110cd7f5cae7c588a60e1e934356db2.jpg)
(天気 快晴後晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 志木、歩行地 所沢市、歩数
25,200)
今日歩いた行程は、前半の柳瀬荘までは良かったが、その先は広い畑作地帯ながらあち
こちに工場や倉庫、廃棄物処理場が目に付き、景観はいまひとつ。交通量の多い車道もか
なりあり、森に囲まれた寺社もなく、分かりにくいコースタイトルとあわせ、市で設定し
たにしては、是非歩かれてはとはお勧めできないコースだった。
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所沢市作成のウオーキング地図のひとつ、「ウオーキングナビ③東エリア」の「戦国・
江戸時代から平成の新時代探索コースのおすすめルート」という、ちょっと分かりにくい
タイトルのコースを歩いてみることにした。
JR武蔵野線の東所沢駅を11時30分にスタートした。駅横の通りを南へ、最初の交
差点を東進してすぐに南に入ると、一面に畑と平地林の展望が広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/3d/7fea33e83243555f6ec7085e9c3c71f5.jpg)
畑の中を東進して車道に出て南へ、右カーブ点の段丘上に東福寺の大きな観音像が立っ
ていた。観音像の前の急階段を下り、境内から観音像を再拝する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/2b/4910c2df6dfbc20c42a05e1cfad27271.jpg)
東福寺の本尊、木造阿弥陀如来像は鎌倉から室町時代の造立と推定され、所沢市指定文
化財になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/54/a4ca1114552ecbf9ad13a1458b3498e1.jpg)
本堂の東側には神社も祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/9a/7f5ca40995e89d417a316c65fbf8aff8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/a0/9b8ca742549dd6cc9fb0878decea2838.jpg)
寺のある本郷集落の、中心を貫く車道を東北に抜けると畑が広がり、都県境の柳瀬川の
南側に、清瀬市の中里団地が望まれる。畑の隅のコスモスが花盛り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/22/47fd4bd2caa91ed7198d01b6d444e977.jpg)
JR武蔵野線の高架下を北に抜け、木々に覆われた城山神社の石段を上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/94/3f6c6905a4492a37837af5395279914f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/5e/44784a78b0724f18f5c67887fa34f1ff.jpg)
一帯は埼玉県指定史跡の「滝の城跡」で、神社は本丸跡に立っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/9a/fc33716f9bf7c4e8b2ceda2a1741fa30.jpg)
南側の展望が開け、JR武蔵野線の高架や中里団地などが一望できる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/1b/bf484ae26494082679daa16404e6524c.jpg)
滝の城は、狭山丘陵の一角が低地に向かって落ちる崖を利用し、東南を流れる柳瀬川を
防御線とした平山城で、本丸を中心に遺構がよく保存されている。
城は、北条氏照の持城だったと推定され、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原
城攻略の際、落城したものと考えられているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/1f/662b04a14cd7496ebe2f93e3e7a8811c.jpg)
内堀や三の丸跡沿いの遊歩道を回って城跡を北東に抜け、県道179号に出る。
関越自動車道と東川(あずまがわ)の上を通過し、次の交差点の先で左への細道に入り、
うっそうとしたカシやスギ、ケヤキなどの森を背にした東光寺へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/f8/1ae5c9c11ebbb31f35e8f823904083f1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/7e/00a3fdd20b9c764a40a7621920e54591.jpg)
大きな本堂の左上には、金比羅大王を祭るお堂があり、本堂前には安政6年(1859)
造立の庚申塔が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e3/085d38e3bbdb2a7b29c74d9ecc146e2a.jpg)
縁日は毎月10日で、特に賑わうのは3月の大祭の時とか。朝早く参拝するほど御利益
があるとされ「朝金比羅」ともいわれているようだ。13時を過ぎたので、山門の近くで
昼食をした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/59/722336221dc1a094a8ec8c7f96c25d52.jpg)
さらに東北に向かい、工場地帯の背後で2本の送電線下を抜ける。天神社↑の横を過ぎ
て、交通量の多い国道463号に合した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/b0/897d03de354905a95a4b255417c491d8.jpg)
交差点を渡ったすぐ北東に「柳瀬荘」の看板があるが、公開日は毎週木曜なので門は閉
じていて長屋門だけしか見えない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/ba/f84af61926ac53653f4ad5064f73ebac.jpg)
柳瀬荘は、「電力王」と言われた財界人、松永安左エ門の別荘で、昭和23年(1948)
に東京国立博物館に寄贈されたもの。
柳瀬荘内には、国の重要文化財の黄林閣(おうりんかく)と、斜月亭(しゃげつてい)、
久木庵(きゅうもくあん)などがあるようだが、広葉樹林に覆われた斜面上部にあるのか、
確認できなかった。
柳瀬荘の敷地左手と工場の間の薄暗い林間の細道を上がり、上の車道に出て畑の中を西
進する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/c8/76f35ce848f15039cc1649ea12b7192c.jpg)
ネギ畑の横を過ぎ、二つ目の送電線が近づいた辺りに、くず鉄の処理施設があり、膨大
な鉄材のスクラップに目を奪われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/dc/9ce95c4d264f4aa13dddf84ecdac8c97.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/1a/305513ec3b433a9a0eedfd6126c85ebf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/c5/a9b5983641e6708a71e5199fa14fd2f9.jpg)
堀割を走る関越自動車道の側道に入り、すぐ左手の国道463号との交差部で信号を渡
る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/12/34514965d733cc1efc569b1b03ddd140.jpg)
折り返して関越道西側の側道を進むはずが、国道の歩道沿いに進んでしまった。左折す
べき道路が無く、おかしいと思いながら次の交差点で、送電線の方向と亀ヶ谷交差点の標
識で間違いに気づく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/05/d0f708639b9bb4b1e8dbd77601c3d00b.jpg)
右折して北に向かったので、距離的にはほぼ同じで、二つ目の交差点際に、東京オリン
ピッククレー射撃記念碑があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/8c/ac1e327fd13cbb8a1f12289cdfa9659b.jpg)
昭和39年(1964)の東京オリンピックの際のクレー射撃場が、この周辺につくら
れたが、昭和47年には閉鎖された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/46/15c60f307e1399001da3a643a6dd6926.jpg)
背後は広大な畑が広がり、前面の道路の東側には工場や倉庫が立ち並び、当時の面影は
全くない。碑の前を走る道路のみが、いまも「オリンピック道路」と呼ばれ、その名残を
留めている。
交通量の多いそのオリンピック道路沿いに、次のポイントに関係する川越いもの案内板
が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/9c/03908da81cc7d7e1a26afab3e9df0011.jpg)
300mほどで南永井交差点を通過し、近くの舘野製本の建物の先を右折すると、民家
の横に、「史跡南永井さつまいも始作地之碑」がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/9b/1d20c60cc6239ba39fbfc33b77f02a76.jpg)
寛延4年(1751)、南永井村の名主、吉田弥右衛門が、息子にいまの千葉県市原市
に種いもの買い付けに行かせ、以後この地で飢饉(ききん)に強いとされるさつまいもの
栽培に武蔵野地方で初めて成功し、近隣に広めたとのこと。今は「川越いも」の名で知ら
れるが、ルーツは所沢のここなのだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/44/5783bc3fba67b5002512e51009d80c3f.jpg)
ちなみに、今日、10月13日は「さつまいもの日」。サツマイモの旬が10月である
ことと、川越いもに由来する言葉「九里四里(くりより)うまい十三里」の十三里を合わ
せて、『川越いも友の会』が記念日に制定したもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/96/628085f104a1ac11abccf55c48ea436e.jpg)
そういえば、碑の前にわずかなサツマイモが植えられているが、通過した両側の畑には
サツマイモ畑は見当たらず、この先にも無かったのが残念だった。実は今日、このコース
を歩くことにしたのは、さつまいもの日なのでゆかりの記念碑を訪ねようとしたことから。
コース地図では、手前の交差点に戻って西進するようになっているが、すぐ北側に平行
して南永井集落沿いの旧道があるので、こちらを進むことにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/9e/9f174e5f10c5021c7ee9475f8e8d49ac.jpg)
すぐ先に八幡神社があったが、来歴などは記されてない。そばの民家の庭先のシュウメ
イギクが見ごろ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/4a/2e02380dde746099f45a1ecab2d1dece.jpg)
さらに進むと、所沢市の「ふるさとの樹(巨樹)」に指定されたケヤキの大木が立ち、
車も少ない静かな里道である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/51/8e164c971c5fd093e8164e0f9e5aea3d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/0e/1e734bcfe2be8aa45a01f7fed4da51ca.jpg)
茶畑が増え、少しクランク状に曲がった先は生け垣や屋敷林が増え、りっぱな長屋門を
構えた農家もあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/3b/276a5b693b679ff22b962ed64f041577.jpg)
地図上のコースに合してY字路を左へ、すぐに左折して送電線沿いの旧道を南に進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/98/f273bea0b17bebe053b69bd03cc759e3.jpg)
行く手に高い煙突の所沢市東部クリーンセンタが近づき、西方には秩父の武甲山や大持
山小持山などの稜線が望まれる。
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道路を隔てた東側には、リサイクルふれあい館「エコロ」があり、環境配慮に関するキ
ーワードである3Rについての啓発と展示があるようだが、休館日で入れない。
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3Rとは、リデュース(ごみの発生抑制)リユース(再使用)リサイクル(ゴミの再生
利用)の優先順位で、廃棄物の削減に努めるのがよいという考え方だという。
工場が増えた辺りの十字路を左折して東へ、国道463号の新郷交差点を渡ってさらに
東進する。
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16時半を過ぎて落日が近づき、西の空は茜(あかね)色に染まる。畑の中に「開拓の
碑」があり、昭和24年(1949)からここ柳瀬地区に30戸の入植者が入って開拓を
始め、4年後には電灯が導入されたことなどが記されていた。
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少し先で南下して東川の橋を渡り、南側台地の東所沢公園を抜ける。公園内の豊富な広
葉樹林の西に間もなく陽が落ちそう。
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スタートしたJR武蔵野線の東所沢駅に、16時52分にゴールした。
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(天気 快晴後晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 志木、歩行地 所沢市、歩数
25,200)
今日歩いた行程は、前半の柳瀬荘までは良かったが、その先は広い畑作地帯ながらあち
こちに工場や倉庫、廃棄物処理場が目に付き、景観はいまひとつ。交通量の多い車道もか
なりあり、森に囲まれた寺社もなく、分かりにくいコースタイトルとあわせ、市で設定し
たにしては、是非歩かれてはとはお勧めできないコースだった。
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