あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

サツマイモの日に ゆかりの所沢市の東部を巡る(埼玉)

2015-10-15 18:04:14 | ウオーキング
 2015年10月13日(火)

 所沢市作成のウオーキング地図のひとつ、「ウオーキングナビ③東エリア」の「戦国・
江戸時代から平成の新時代探索コースのおすすめルート」という、ちょっと分かりにくい
タイトルのコースを歩いてみることにした。

 JR武蔵野線の東所沢駅を11時30分にスタートした。駅横の通りを南へ、最初の交
差点を東進してすぐに南に入ると、一面に畑と平地林の展望が広がる。


 畑の中を東進して車道に出て南へ、右カーブ点の段丘上に東福寺の大きな観音像が立っ
ていた。観音像の前の急階段を下り、境内から観音像を再拝する。
     

 東福寺の本尊、木造阿弥陀如来像は鎌倉から室町時代の造立と推定され、所沢市指定文
化財になっている。


 本堂の東側には神社も祭られていた。



 寺のある本郷集落の、中心を貫く車道を東北に抜けると畑が広がり、都県境の柳瀬川の
南側に、清瀬市の中里団地が望まれる。畑の隅のコスモスが花盛り。


 JR武蔵野線の高架下を北に抜け、木々に覆われた城山神社の石段を上がる。
    


 一帯は埼玉県指定史跡の「滝の城跡」で、神社は本丸跡に立っている。
        

 南側の展望が開け、JR武蔵野線の高架や中里団地などが一望できる。


 滝の城は、狭山丘陵の一角が低地に向かって落ちる崖を利用し、東南を流れる柳瀬川を
防御線とした平山城で、本丸を中心に遺構がよく保存されている。

 城は、北条氏照の持城だったと推定され、天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原
城攻略の際、落城したものと考えられているという。


 内堀や三の丸跡沿いの遊歩道を回って城跡を北東に抜け、県道179号に出る。

 関越自動車道と東川(あずまがわ)の上を通過し、次の交差点の先で左への細道に入り、
うっそうとしたカシやスギ、ケヤキなどの森を背にした東光寺へ。



 大きな本堂の左上には、金比羅大王を祭るお堂があり、本堂前には安政6年(1859)
造立の庚申塔が立っていた。
        

 縁日は毎月10日で、特に賑わうのは3月の大祭の時とか。朝早く参拝するほど御利益
があるとされ「朝金比羅」ともいわれているようだ。13時を過ぎたので、山門の近くで
昼食をした。


 さらに東北に向かい、工場地帯の背後で2本の送電線下を抜ける。天神社↑の横を過ぎ
て、交通量の多い国道463号に合した。


 交差点を渡ったすぐ北東に「柳瀬荘」の看板があるが、公開日は毎週木曜なので門は閉
じていて長屋門だけしか見えない。


 柳瀬荘は、「電力王」と言われた財界人、松永安左エ門の別荘で、昭和23年(1948)
に東京国立博物館に寄贈されたもの。

 柳瀬荘内には、国の重要文化財の黄林閣(おうりんかく)と、斜月亭(しゃげつてい)、
久木庵(きゅうもくあん)などがあるようだが、広葉樹林に覆われた斜面上部にあるのか、
確認できなかった。

 柳瀬荘の敷地左手と工場の間の薄暗い林間の細道を上がり、上の車道に出て畑の中を西
進する。


 ネギ畑の横を過ぎ、二つ目の送電線が近づいた辺りに、くず鉄の処理施設があり、膨大
な鉄材のスクラップに目を奪われた。





 堀割を走る関越自動車道の側道に入り、すぐ左手の国道463号との交差部で信号を渡
る。


 折り返して関越道西側の側道を進むはずが、国道の歩道沿いに進んでしまった。左折す
べき道路が無く、おかしいと思いながら次の交差点で、送電線の方向と亀ヶ谷交差点の標
識で間違いに気づく。


 右折して北に向かったので、距離的にはほぼ同じで、二つ目の交差点際に、東京オリン
ピッククレー射撃記念碑があった。
    
 昭和39年(1964)の東京オリンピックの際のクレー射撃場が、この周辺につくら
れたが、昭和47年には閉鎖された。
             

 背後は広大な畑が広がり、前面の道路の東側には工場や倉庫が立ち並び、当時の面影は
全くない。碑の前を走る道路のみが、いまも「オリンピック道路」と呼ばれ、その名残を
留めている。

 交通量の多いそのオリンピック道路沿いに、次のポイントに関係する川越いもの案内板
が立っていた。
         

 300mほどで南永井交差点を通過し、近くの舘野製本の建物の先を右折すると、民家
の横に、「史跡南永井さつまいも始作地之碑」がある。


 寛延4年(1751)、南永井村の名主、吉田弥右衛門が、息子にいまの千葉県市原市
に種いもの買い付けに行かせ、以後この地で飢饉(ききん)に強いとされるさつまいもの
栽培に武蔵野地方で初めて成功し、近隣に広めたとのこと。今は「川越いも」の名で知ら
れるが、ルーツは所沢のここなのだという。
          
 ちなみに、今日、10月13日は「さつまいもの日」。サツマイモの旬が10月である
ことと、川越いもに由来する言葉「九里四里(くりより)うまい十三里」の十三里を合わ
せて、『川越いも友の会』が記念日に制定したもの。


 そういえば、碑の前にわずかなサツマイモが植えられているが、通過した両側の畑には
サツマイモ畑は見当たらず、この先にも無かったのが残念だった。実は今日、このコース
を歩くことにしたのは、さつまいもの日なのでゆかりの記念碑を訪ねようとしたことから。

 コース地図では、手前の交差点に戻って西進するようになっているが、すぐ北側に平行
して南永井集落沿いの旧道があるので、こちらを進むことにした。


 すぐ先に八幡神社があったが、来歴などは記されてない。そばの民家の庭先のシュウメ
イギクが見ごろ。
    

 さらに進むと、所沢市の「ふるさとの樹(巨樹)」に指定されたケヤキの大木が立ち、
車も少ない静かな里道である。
        


 茶畑が増え、少しクランク状に曲がった先は生け垣や屋敷林が増え、りっぱな長屋門を
構えた農家もあった。


 地図上のコースに合してY字路を左へ、すぐに左折して送電線沿いの旧道を南に進む。


 行く手に高い煙突の所沢市東部クリーンセンタが近づき、西方には秩父の武甲山や大持
山小持山などの稜線が望まれる。


 道路を隔てた東側には、リサイクルふれあい館「エコロ」があり、環境配慮に関するキ
ーワードである3Rについての啓発と展示があるようだが、休館日で入れない。


 3Rとは、リデュース(ごみの発生抑制)リユース(再使用)リサイクル(ゴミの再生
利用)の優先順位で、廃棄物の削減に努めるのがよいという考え方だという。

 工場が増えた辺りの十字路を左折して東へ、国道463号の新郷交差点を渡ってさらに
東進する。


 16時半を過ぎて落日が近づき、西の空は茜(あかね)色に染まる。畑の中に「開拓の
碑」があり、昭和24年(1949)からここ柳瀬地区に30戸の入植者が入って開拓を
始め、4年後には電灯が導入されたことなどが記されていた。
    

 少し先で南下して東川の橋を渡り、南側台地の東所沢公園を抜ける。公園内の豊富な広
葉樹林の西に間もなく陽が落ちそう。


 スタートしたJR武蔵野線の東所沢駅に、16時52分にゴールした。

 
(天気 快晴後晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 志木、歩行地 所沢市、歩数
 25,200)


 今日歩いた行程は、前半の柳瀬荘までは良かったが、その先は広い畑作地帯ながらあち
こちに工場や倉庫、廃棄物処理場が目に付き、景観はいまひとつ。交通量の多い車道もか
なりあり、森に囲まれた寺社もなく、分かりにくいコースタイトルとあわせ、市で設定し
たにしては、是非歩かれてはとはお勧めできないコースだった。




埼玉県 ブログランキングへ




にほんブログ村


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする