2015年10月1日(木)
今年も残すところあと3か月になり、早くも1年の3/4を経過してしまいました。
さて、少し旧聞になりましたが、9月24日(木)に日本ユネスコ国内委員会から、
『2017年のユネスコの「世界記憶遺産」登録に向けた国内候補として、群馬県にある
国の特別史跡「上野三碑」(こうずけさんぴ)と、第2時世界大戦中に外交官の故杉原千
畝(すぎはらちうね)氏が当時のリトアニアの日本大使館でユダヤ人向けに発給した「命
のビザ」のリスト、とすることに決まった』ことが発表されたのを、テレビや新聞で報道
されたことを覚えておられますでしょうか…。
実は私は、この2つの国内候補ゆかりの地を今年訪れていたこともあり、ぜひとも2年
後の2017年に世界記憶遺産として登録されることを期待しています。
最初の候補「上野三碑」を訪ね歩いたのは、4月9日(木)でした。上野三碑のあるの
は群馬県高崎市の上信電鉄の沿線で、多胡碑(たごひ)、山上碑(やまのうえひ)、そし
て金井沢碑(かないさわひ)の3つの碑です。
上野三碑とは、高崎市教育委員会文化財保護課編集、歴史と文化を考える会発行のパン
フレット↑に以下のように紹介されています。
最初に訪ねた多胡碑は、上信電鉄吉井駅の北東、馬庭駅の北西側にあります。碑のある
一帯は「石碑(いしぶみ)の里公園」になっていて、碑はりっぱな覆屋の中に保護されて
いました。
多胡碑には、奈良時代初期の和銅4年(711)に「中央政府からの命令で、上野国の
片岡郡・緑野郡・甘良郡の3郡内から300戸を割(さ)き、新たに多胡郡を建てた」こ
とが記されているようですが、ガラス窓越しなので文字はよく読めませんでした。
公園内にはた多胡碑記念館もあり、上野三碑や日本三古碑、書道史、世界の古代文字の
ことなどが展示されています。
また、公園内には幾つかの歌碑がありますが、そのひとつが、群馬県令(現在の知事)
・楫取素彦(かとりもとひこ)の歌碑です。
歌碑には、「深草のうちに埋もれし石文の 世にめづらるゝ時は来にけり」と刻まれて
います。
楫取素彦は、いま放映中の今年のNHKテレビ大河ドラマ「花燃ゆ」の、ヒロインであ
る文(ふみ)が、美和子と名を変えて再婚する、亡き姉の夫だった人。「花燃ゆ」も終盤
に入り、今月からは群馬県がテレビの舞台になるのではないかと思われます。
その楫取素彦は、多胡碑の保管管理に力を尽くしており、この歌碑は、大正5年(1916)
に当時の島(ぬでしま)福七郎 吉井町長が建立したようです。
少し回り道しましたが、次の山上碑は、上信電鉄で2つ高崎寄りの山名(やまなえき)
の西方にありました。
駅から向かう道の途中には、上野三碑の世界記憶遺産登録を目指す看板が。
山すそにある山上碑に隣接して山上古墳があり、山上碑も覆屋に収められています。
山上碑は、天武時代の681年の建立で、完存のものとしては日本最古の石碑とか。
碑文は、隣接する山上古墳に埋葬されている、佐野三家(さのみやけ)を管理する豪族
の子女である黒売(くろめ)と、その子、長利(ちょうり)の系譜を述べたもので、黒売
の追善供養碑の性格もあわせ持っているようです。
3つめの金井沢碑の最寄り駅は、さらに2つ高崎寄りの根小屋駅ですが、山上碑から稜
線上の「石碑(いしぶみ)の道」を経由して行きました。
ここも、コンクリート造りの覆屋に守られています。
金井沢碑は、神亀3年(726)、三家(みやけ)氏が祖先の供養と一族の繁栄を祈っ
て建立した石碑とのこと。碑に刻まれている「上野国群馬郡(こうずけのくにくるまのこ
おり)」が、最古の「群馬」の名の使用例で、県名のルーツになっているようです。
次の登録候補、外交官の故杉原千畝(すぎはらちうね)氏が、第2時世界大戦中、当時
のリトアニアの日本大使館でユダヤ人向けに発給した、「命のビザ」のリストにゆかりの
地には、「バルト3国とポーランド8日間」のツアーに参加して、7月14日(火)に訪
れました。
外務省のリトアニア領事館領事代理だった杉原千畝は、1940年7月~8月にかけて、
ナチスドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた、主にユダヤ系難民の
ために人道主義と博愛精神に基づき、外務省の訓令に反してシベリア鉄道経由で日本を通
過するためのビザを発給し続け、6,000人といわれる人の避難民を救済したのです。
そのゆかりの地の一つが、7月14日の前日宿泊した、リトアニアの首都ビリニュスの
ホテルの近くにあった、杉原千畝の記念碑です。
記念碑は、杉原の出身校である早稲田大学が、杉原氏の功績を称えて2001年に建立
したもの。碑には、発給した日本通過ビザのコピー写真も埋め込まれていました。
午後は、ビリニュスの西約103㎞の、リトアニア第2の都市カウナスの町外れにある、
杉原記念館に行きました。
少し大きめの住宅のようなここが、当時のリトアニア領事館。館内には杉原千畝が使っ
た執務室や机などが、当時のままに残されています。
ここにも、発給したビザのコピーが展示されていました。
記念館で購入した「杉原千畝ガイドブック」。
いま、シリアからの難民が大変な数、ヨーロッパに毎日移動しているようですが、国に
より対応が分かれていて、EUでも対処がまとまらないようですが、ぜひとも杉原千畝の
精神を活かして欲しいものです。
また、「積極的平和主義」をうたう日本政府は、難民受け入れには極めて消極的なよう
ですが、難民受け入れにももっと取り組むべきではないでしょうか…。
ちなみに、杉原千畝の外交官時代のことを記した新潮文庫の新刊が、今日、10月1日
に発刊されたと新聞広告で見たので、さっそく購入しました。
あわせて、映画「杉原千畝」が12月5日からロードショー公開されるようなので、観
賞したいと考えているところです。
なお、上野三碑を訪ねた時のレポートはこちらを、杉原千畝ゆかりの地への旅のレポー
トは午前と午後とに分けてアップしています。
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今年も残すところあと3か月になり、早くも1年の3/4を経過してしまいました。
さて、少し旧聞になりましたが、9月24日(木)に日本ユネスコ国内委員会から、
『2017年のユネスコの「世界記憶遺産」登録に向けた国内候補として、群馬県にある
国の特別史跡「上野三碑」(こうずけさんぴ)と、第2時世界大戦中に外交官の故杉原千
畝(すぎはらちうね)氏が当時のリトアニアの日本大使館でユダヤ人向けに発給した「命
のビザ」のリスト、とすることに決まった』ことが発表されたのを、テレビや新聞で報道
されたことを覚えておられますでしょうか…。
実は私は、この2つの国内候補ゆかりの地を今年訪れていたこともあり、ぜひとも2年
後の2017年に世界記憶遺産として登録されることを期待しています。
最初の候補「上野三碑」を訪ね歩いたのは、4月9日(木)でした。上野三碑のあるの
は群馬県高崎市の上信電鉄の沿線で、多胡碑(たごひ)、山上碑(やまのうえひ)、そし
て金井沢碑(かないさわひ)の3つの碑です。
上野三碑とは、高崎市教育委員会文化財保護課編集、歴史と文化を考える会発行のパン
フレット↑に以下のように紹介されています。
最初に訪ねた多胡碑は、上信電鉄吉井駅の北東、馬庭駅の北西側にあります。碑のある
一帯は「石碑(いしぶみ)の里公園」になっていて、碑はりっぱな覆屋の中に保護されて
いました。
多胡碑には、奈良時代初期の和銅4年(711)に「中央政府からの命令で、上野国の
片岡郡・緑野郡・甘良郡の3郡内から300戸を割(さ)き、新たに多胡郡を建てた」こ
とが記されているようですが、ガラス窓越しなので文字はよく読めませんでした。
公園内にはた多胡碑記念館もあり、上野三碑や日本三古碑、書道史、世界の古代文字の
ことなどが展示されています。
また、公園内には幾つかの歌碑がありますが、そのひとつが、群馬県令(現在の知事)
・楫取素彦(かとりもとひこ)の歌碑です。
歌碑には、「深草のうちに埋もれし石文の 世にめづらるゝ時は来にけり」と刻まれて
います。
楫取素彦は、いま放映中の今年のNHKテレビ大河ドラマ「花燃ゆ」の、ヒロインであ
る文(ふみ)が、美和子と名を変えて再婚する、亡き姉の夫だった人。「花燃ゆ」も終盤
に入り、今月からは群馬県がテレビの舞台になるのではないかと思われます。
その楫取素彦は、多胡碑の保管管理に力を尽くしており、この歌碑は、大正5年(1916)
に当時の島(ぬでしま)福七郎 吉井町長が建立したようです。
少し回り道しましたが、次の山上碑は、上信電鉄で2つ高崎寄りの山名(やまなえき)
の西方にありました。
駅から向かう道の途中には、上野三碑の世界記憶遺産登録を目指す看板が。
山すそにある山上碑に隣接して山上古墳があり、山上碑も覆屋に収められています。
山上碑は、天武時代の681年の建立で、完存のものとしては日本最古の石碑とか。
碑文は、隣接する山上古墳に埋葬されている、佐野三家(さのみやけ)を管理する豪族
の子女である黒売(くろめ)と、その子、長利(ちょうり)の系譜を述べたもので、黒売
の追善供養碑の性格もあわせ持っているようです。
3つめの金井沢碑の最寄り駅は、さらに2つ高崎寄りの根小屋駅ですが、山上碑から稜
線上の「石碑(いしぶみ)の道」を経由して行きました。
ここも、コンクリート造りの覆屋に守られています。
金井沢碑は、神亀3年(726)、三家(みやけ)氏が祖先の供養と一族の繁栄を祈っ
て建立した石碑とのこと。碑に刻まれている「上野国群馬郡(こうずけのくにくるまのこ
おり)」が、最古の「群馬」の名の使用例で、県名のルーツになっているようです。
次の登録候補、外交官の故杉原千畝(すぎはらちうね)氏が、第2時世界大戦中、当時
のリトアニアの日本大使館でユダヤ人向けに発給した、「命のビザ」のリストにゆかりの
地には、「バルト3国とポーランド8日間」のツアーに参加して、7月14日(火)に訪
れました。
外務省のリトアニア領事館領事代理だった杉原千畝は、1940年7月~8月にかけて、
ナチスドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた、主にユダヤ系難民の
ために人道主義と博愛精神に基づき、外務省の訓令に反してシベリア鉄道経由で日本を通
過するためのビザを発給し続け、6,000人といわれる人の避難民を救済したのです。
そのゆかりの地の一つが、7月14日の前日宿泊した、リトアニアの首都ビリニュスの
ホテルの近くにあった、杉原千畝の記念碑です。
記念碑は、杉原の出身校である早稲田大学が、杉原氏の功績を称えて2001年に建立
したもの。碑には、発給した日本通過ビザのコピー写真も埋め込まれていました。
午後は、ビリニュスの西約103㎞の、リトアニア第2の都市カウナスの町外れにある、
杉原記念館に行きました。
少し大きめの住宅のようなここが、当時のリトアニア領事館。館内には杉原千畝が使っ
た執務室や机などが、当時のままに残されています。
ここにも、発給したビザのコピーが展示されていました。
記念館で購入した「杉原千畝ガイドブック」。
いま、シリアからの難民が大変な数、ヨーロッパに毎日移動しているようですが、国に
より対応が分かれていて、EUでも対処がまとまらないようですが、ぜひとも杉原千畝の
精神を活かして欲しいものです。
また、「積極的平和主義」をうたう日本政府は、難民受け入れには極めて消極的なよう
ですが、難民受け入れにももっと取り組むべきではないでしょうか…。
ちなみに、杉原千畝の外交官時代のことを記した新潮文庫の新刊が、今日、10月1日
に発刊されたと新聞広告で見たので、さっそく購入しました。
あわせて、映画「杉原千畝」が12月5日からロードショー公開されるようなので、観
賞したいと考えているところです。
なお、上野三碑を訪ねた時のレポートはこちらを、杉原千畝ゆかりの地への旅のレポー
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