あるきメデス

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吉川橋を渡って吉川駅へ(埼玉)

2015-10-21 20:57:09 | ウオーキング
 2015年10月18日(日)午後
 
 続カタツムリ歩行の例会が、ゴールの越谷市東町二丁目の水神社で13時頃散会となり、
帰路は中川の吉川橋を渡り、東側の吉川市内を少しだけ巡ることにした。

     
 東町二丁目を東へ、中川の吉川橋近くに小さな笠門神社が祭られている。
    

 吉川橋に近い県道52号際の墓地前には新しいお堂が出来ていたが、南面は草地になっ
ていた。


 その背後で西北からの元荒川が北からの中川と合流し、そばに架かる吉川橋を渡る。中
川の水量は豊富で、ゆったりと流れていた。 こちらは上流。


 下流の眺め。


 川が市境で、越谷市から吉川市に入る。渡り終えてすぐのところに「まるしん」という
和菓子屋があり、吉川名産のなまずにちなむ最中(もなか)があったので、購入した。
     

 東にすぐ、南北に走る県道67号と交わる吉川交番前交差点の手前に、延命寺の大きな
本堂が目に付く。


 延命寺は、永仁3年(1295)に清仙が開基したと伝わる古寺、3代将軍徳川家光の
頃には、祈願所として朱印地10石を賜っているという。武蔵国新西国三十三霊場の1番
札所でもある。
     

 本堂前にその札所第第一番標石が立つ。天明6年(1786)に、吉川観音講の54名
により建てられたもの。当時は、3年前の浅間山の噴火で天明飢饉(ききん)だったとか。
        

 境内には文安3年(1446)銘の十三仏板碑と文安4年銘の六字名号板碑があるとい
うが、確認は出来なかった。

 山門前には、江戸時代と推定される青面金剛石や庚申塔などが並んでいた。


 吉川交番前交差点を通過して、その先の芳川神社に背後から入る。芳川神社は、文治3
年(1187)に吉川氏が土着神を氏神諏訪神社として再興し、この地域の総鎮守とした
もの。


 境内には八坂神社、古峯神社、稲荷神社、吉川天満宮なども祭られている。
   

   
 社殿の背後にご神木の大きなクスノキ木が立ち、南面の鳥居際にはタブやクスノキが何
本か、大きく枝を広げていた。
       

 寺の南側から、県道67号との交差点へ。県道沿いには、古くからの米屋さんが残って
いる。


 西進して吉川小の北にある神社を探したが、住宅地に変わったらしい。芳川小の東には、
吉川名物うなぎを味わえる料亭がある。


  
 南に向かい、次の十字路を左折したところには銭湯があった。
    

 その隣が智勝院だが、境内に樹木は少ない。智勝院は江戸時代に火災にあい、寺歴を証
する資料などは堂宇とともに焼失し、開山や開基年代などは不詳らしい。武蔵国新西国三
十三ヶ所の第2番札所である


 県道西側の細い通りを南へ、県道に合するところには鷲神社の小さめの社殿が祭られて
いた。


 県道を横断して東へ、すぐ先の駐車場北側の広い民家に数本の柿の木があり、実がたく
さん色づく。


 その先の南側に大きな本堂が見えたが入れず、東からコの字状に回って日蔵院へ。コン
クリート造りの本堂は東向き。東側には幼稚園が併設されていた。


        
 本堂前面の屋根下に新しい薬師如来像が祭られ、傍らに弘安7年(1284)の板碑の
標柱が立つている。寺の方に聞くと、板碑は本堂内に保存さられているとのこと。いただ
いたリーフレットでは、吉川市最古の板碑らしいが、上部、下部とも欠損しているようだ。

 南側の県道52号を横断し、県道67号の東に平行する細い通りを南進して、JR武蔵
野線の吉川駅に14時35分に着いた。


 駅南口広場には、1995年5月に設置したという、金色で体長約5mと約1mの親子
なまずが輝いていた。



 14時46分発、府中本町行きの上り電車で帰途につく。

(天気 快晴、距離 4㎞弱、地図(1/2.5万) 越谷、歩行地 越谷市、吉川市
 午前からの合計距離 8㎞、同 歩数 17,500)




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