あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

甲斐小泉から小淵沢へ 信玄棒道を歩く(山梨)

2015-10-27 23:21:27 | カントリーウオーク
 2015年10月24日(土)

 カントリーウオークグループの、「特別例会」と呼ぶ1泊のカントリーウオークに参加
した。

 JR中央線高尾駅に集合し、8時44分発小淵沢行きに乗る。途中、追い抜きの急行列
車の遅れがあり、小淵沢駅に11時12分に着いた。

 小海線ホームに急ぎ、11時19分発小諸行2両編成の下り列車に乗り、次の無人駅、
甲斐小泉に11時27分に下車する。

 駅舎は、北杜市(ほくとし)の蝶で国蝶でもあるオオムラサキが型どられ、駅のそばに
平山郁夫(ひらやまいくお)シルクロード美術館がある。好天でこの時期としては暖かめ、
歩くには絶好の日和である。近くにコンビニは無いかと少し探し、11時40分に駅前を
出た。

 今日のコースは、2007年10月3日の午前中に、やまさん、茅ヶ崎のIさんと国際
ウオーキングトレイル実踏で歩いたのと、ほぼ同じになるはず。

 駅前の平山郁夫通りを西へ少しで「北杜市史跡・小荒間(こあらま)古戦場跡」の説明
板がある。

 天文9年(1540)2月、信濃の村上義清が押し寄せた軍勢を武田晴信(信玄)が討
ち、勝利を得た場所らしい。背後には、武田信玄腰掛石↓が残されていた。
    

 小荒間郵便局の先の変則交差点際にコンビニ・Yショップがあり、弁当の無い人は購入
し、交差点の南西側、カラマツなどが色づき始めた森の中の「三分一(さんぷいち)湧水
公園」に入り、かやぶきの東屋や、その周辺で昼食にした。




 道路の東側には、大きなかやぶき屋根の建物が見える。


 三分一湧水は、豊富な水量の湧水を農業用水として利用するための堰(せき)。戦国時
代、水争いをしていた三つの村に等配分するために武田信玄が築いたという伝説が残り、
堰の真ん中には三角の石柱が設置されている。

 八ヶ岳の伏流水が公園の林の中から1日に約8,500トン湧出しており、水温は年間を
通じて約10℃とか。「日本名水百選」に選定されており、流れに手を入れてみたら冷た
かった。

 公園内の林間には、「大荒れの碑」と呼ぶ大石もあった。昭和18年(1943)9月
5日の山津波で押し上げられたもの。三分一湧水も土石流で埋まったが、旧六ヶ村の人々
が掘り出して元の通りにしたのだという。


 昼食を終えて線路沿いの道に回り、最初のT字路を北に入る。すぐ先のT字路際に「小
荒間口留番所跡(くちどめばんしょあと)」の説明板があり、小さなほこらなどが祭られ
ている。

 口留番所は、国境で旅人や物資の移動を監視するところ。江戸時代に甲斐国には25か
所置かれ、この番所は天文年間(1532~55)、信州大門峠に通じる棒道に設置され
ていたものといわれているという。

    
 色鮮やかなコスモスの咲く道、すぐ先の法性寺に入る。

 無住で開放的な寺、南側の展望が広がるが、今日は霞んでいて甲斐駒ヶ岳など南アルプ
ス北部の山並みは判然としない。

 西側の墓地付近からは、背後の八ヶ岳連峰南面の山並みが望まれた。


     
 小荒間中集落の北西端に進む。家並みが途絶えた辺りの小公園に、養蚕の盛んな頃に建
立したらしい「蠶玉太神」碑があり、その前後の路傍には古い観音像が立っている。
            
 観音像は、江戸末期に旅人の安全を願い、村人々が1町(約109m)ごとに安置した
のだという。

 小さな流れの古杣川(ふるそまがわ)を渡ると舗装が途切れ、「信玄棒道コース」の道
標が立っていた。


 棒道(ぼうみち)は、八ヶ岳山麓から信州に抜ける古(いにしえ)の道で、棒のように
真っ直ぐに伸びているので「棒道」と呼ばれている。

 江戸時代の書「甲斐国志」によれば、棒道は上・中・下の3本あり、このうち上の棒道
が武田信玄が作った軍用道路と考えられるとか。これから歩くのは、その上の棒道の一部
である。

 木々の紅葉、黄葉が始まった信玄棒道を西北西に向かう。間もなく路傍に西国三十三観
音の32番千手観音の石像があった。
       

 この棒道には、西国三十三観音の石像が1町毎に立ち、その先には坂東三十三観音が1
番観音から一部を除き16番まであるという。

 少し先に廃屋らしいログハウスが残り、その前に木彫のトトロが立つ。
    

 さらに進むと坂東1番十一面観音立像↓があり、その先も1町毎に古い観音石像が続い
ていた。
         

     
 ところどころに小さな流れも見られ、林間の緩やかな傾斜の気持ちよい道が続く。


     

 別荘地の北側を過ぎると、両側が10mくらい切り開かれている。7番聖観世音文字塔
の先辺りで、10分ほど休憩した。



 11番聖観音立像前を通過して間もなくのT字路に、南に延びる「まきばの郷遊歩道」
の看板が立っている。

 その先、南側一帯は小淵沢カントリークラブのエリアとなり、林間コースでプレイする
ゴルファーの姿も望まれ、切り開かれていた道も狭まる。


 標高1133m地点周辺には、ダンコウバイの黄葉があちこちで目に入る。
  


 ゴルフ場の西北端まで進むと、火の見櫓(やぐら)跡の表示と「歴史の道百選 棒道」
の説明板がある。
    
 それによれば、「上の棒道は、韮崎から穴山、渋沢、小荒間、柏原などを経て、長野県
長門町の大門峠までのコース」であることなどが記されていた。

 ここは地図上の標高1140.8m三角点の地点。三角点を探したが見つからない。
ここで棒道から離れるので小休止していたら、乗馬の女性2人が通過し、後からさらに2
人の乗馬女性も過ぎる。


 左折して、南東へ下る舗装路を進む。右側に平行して交通量の多い県道11号・八ヶ岳
高原ラインが走るが、こちらは車の通行はわずかである。

       
 大東豊集落のUカーブ状交差点際に「開拓之碑」があり、裏面に昭和21年(1946)
からこの地の開拓で入植した人の名簿が刻まれていた。傍らのナナカマドの実が色づく。
そばの空き地で小休止した。
    



 さらに下ると、ウラシマソウの実もよい彩り。



 右からの県道11号に合し、その歩道を下る。赤松林が増え、歩道沿いのモミジやスス
キなどが逆光に映える。
    

 標高1004m地点の先にある「道の駅こぶちざわ」に入り、45分ほど休憩とする。



 道の駅には、地元や近隣の特産品を中心の売店や、観光案内所、足湯などがあり、マイ
カーの人達で賑わう。


 構内には、昨年のNHK朝のドラマ「花子とアン」に登場し、大正天皇の従妹にあたる
柳原白蓮(やなぎはらびゃくれん)が、昭和30年(1955)にこの地を訪れた時に詠
(うた)った歌碑もある。
       
 歌碑には「八ヶ岳に 夏の日させど 小淵沢 秋はやくして ひぐらしのなく」と刻ま
れている。

 道の駅の東側にも、宿泊施設や温泉、レストラン、会議・研修室、体験工房↓などあり、
一帯は「スパティオ小淵沢」と呼ばれている。


 それら施設の前を東に抜ける道路には、平成になって設置された観音像が短い間隔で並
んでいた。次の交差点を左折して、車の少ない旧道を南下する。

       
 カラマツに絡むツタの葉がよい彩り。ハロウィンを来週末に控え、カボチャを並べた家
もある。


 見覚えのある建物があった。やまさん、Iさんと8年前の10月3日に昼食をした「ふ
らい屋 杣(そま)」という食堂。味もサービスも良く、近くの会社の人も次々に訪れて
いたことを思い出す。


 JR小海線の踏切りを渡り、「花パーク フィオート小淵沢」の横を過ぎる。


 花パークの駐車場のコスモスが鮮やかな彩り。



 前方には、霞む甲斐駒ヶ岳など南アルプル北部の山並みが広がり、背後に八ヶ岳連峰南
部の編笠山や権現岳などが、秋色の彩りを見せる


 中央自動車道下をトンネルで抜け、左への旧道を進むと小淵沢町の家並みが増える。


 なまこ壁の長屋門に囲われた木造3階建ての建物があり、門には「泉園」の標札が架か
り、大きな土蔵もある。長屋門の中にはりっぱな老松が目に入った。

 帰宅後調べたら、料理の宿「泉園(いずみえん)」と呼ぶところ。3階建ての建物は明
治中期の建築で、その座敷で地元食材を生かしたこだわりの料理が味わえ、別棟4室のコ
テージに宿泊も出来るという。

 駅西側の線路下をガードで南に抜けて、今日のゴール、JR小淵沢駅には15時40分
に着いた。


 15時48分発、始発のホリデー快速ビュー山梨号はオール2階建て車両。2階席に座
って今夜の宿のある甲府駅に向かう。

(天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 小淵沢、歩行地 北杜市、歩数
 16,600、累積標高差 上り約130m、下り約290m)
 




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コメント (2)
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