2017年2月5日(日)
== 与論島の後半を観光後フェリーで沖永良部島へ向かう ==
与論島の宿、プリンシアリゾートヨロンのコテージにて6時50分に起床、外を眺めると
雲が多い。
7時40分頃からフロント棟のレストランヴィーナスでバイキング朝食を済ませる。バイ
キングのメニューは豊富だった。
ホテル構内に咲くハイビスカス
9時にフロント棟前に集合して昨日のバスに乗り、午前中の残りの与論島観光に向かう。
最初は、島の中央部からやや東側、古里地区にある「ゆんぬ・あーどぅる焼の窯元」であ
る。20分ほどで到着した。
ゆんぬ・あーどぅる焼は、島で育ったサトウキビやヤシ、ソテツ、サンゴ、海藻などか
ら作った釉薬(ゆうやく)を使った与論島独自の焼物。「ゆんぬ」とは与論方言で与論島
のこと、「あーどぅる」は赤土のことをいうようで、与論・赤土焼ということのよう。
作者の山田幸子さんの作品は地元鹿児島県を始め、各地での陶芸コンテストにて優秀賞
を受賞されている。
たくさんの食器や湯呑みなどが所狭しと並べられて直売しており、ほかに面や革カバン、
野球のグラブやボール、運動靴、帽子なを形どった作品も展示され、庭先にも山田さんの
作品が並んでいた。15分程で窯元を後にする。
島の南島部、昨日最初に訪ねた与論民俗村近くの赤崎鍾乳洞に向かう途中、サトウキビ
を機械で収穫中の畑があった。
ハーベスタという機械を使用していて、前部で刈り取って後部にサトウキビの幹を保管
するようになっている。バスをそばに止めて、作業の模様を間近に見せてくれた。
漁港の横を通過して、昨日訪ねた与論民俗村に近い東区にある赤崎(あかさき)鍾乳洞
の入口に10時過ぎに着いた。
与論島は珊瑚礁が隆起してできた島、その大地が地下水によって侵食され、長い年月を
かけて造り上げられた大自然の彫刻が赤崎鍾乳洞であり、昭和40年(1965)に日本大学芸
術学部の学生により調査・発見されたとのこと。本洞は120m、支洞は130mと比較的小さ
な鍾乳洞のよう。
最初に右手の本洞に下りて、狭い遊歩道を進む。洞内には「幸福の門」「雪の棚田」
「剣の間」などと名付けられた見どころが多い。最奥まで進むとポッカリと外が見え、そ
こから引き返す。
左手の支洞にも回って一巡して入口に戻る。中には頭が支えそうな低くて狭い場所もあ
り、15分余りで赤崎鍾乳洞の観覧を終えた。
鍾乳洞の入口周辺には、たくさんのハイビスカスが咲いていた。
待機していたバスに乗り、島の南部を西進して与論小や与論中の近くにある与論城跡に
行く。与論城は、1405~1416年頃、琉球の北山王の3男王舅(おーしゃん)が与論の島主
として築城したが、途中で中北山王が滅亡したため築城を中止し未完成になっているとい
う。
城跡には当時の石垣が残り、城内に相撲場や琴平神社がある。
神社の西側からは周辺の展望が開け、眼下にサトウキビ畑や港、東シナ海などが一望で
きる。
咲きだしたヒカンザクラの横を下り、北側のサザンクロスセンター↓に行く。
ちなみに、サザンクロスとは南十字星のこと。与論島は南十字星が観測できる国内最北
端のようで昨夜は南十字星が見られるかと期待したが、曇天で星は全く見ることができな
かった。
ここサザンクロスセンターは、与論島の情報発信基地ともいえる資料館だが、まずは5
階の展望台に上がると島内が一望でき、北東の水平線上に霞んではいるが午後向かう沖永
良部島も望まれた。
水平線上に見えるのは沖永良部島
展望を楽しんだ後、4階から与論の自然や歴史、文化、民具、漁業、郷土芸能などを紹
介する展示を見ながら1階に下った。
ここで与論島観光を終え、11時25分頃サザンクロスセンターを出て20分ほどで与論港に
行く。車内では、ガイドの西さんが与論音頭を披露してくれた。
港には、これから乗船するフェリーが接岸しようとしていた。
フェリーは、沖縄本島の那覇港を出て同じ沖縄本島の本部(もとぶ)港を経て与論港に
入り、沖永良部島の和泊港、徳之島の亀徳港、奄美大島の名瀬港を経て鹿児島港に向かう
上り便で、総所要時間は25時間30分になる。
我々は2等の団体向け大部屋に入り、昼食の弁当が配られる。乗客は少なく船内は閑散
としていた。
フェリーは12時10分に出航した。ロビーのテーブルで配布され弁当を食べ、その後デッ
キに上がって強い風に吹かれながら海や行く手の沖永良部島の島影などを眺めたり、船室
で横になったりする。〈続く〉
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== 与論島の後半を観光後フェリーで沖永良部島へ向かう ==
与論島の宿、プリンシアリゾートヨロンのコテージにて6時50分に起床、外を眺めると
雲が多い。
7時40分頃からフロント棟のレストランヴィーナスでバイキング朝食を済ませる。バイ
キングのメニューは豊富だった。
ホテル構内に咲くハイビスカス
9時にフロント棟前に集合して昨日のバスに乗り、午前中の残りの与論島観光に向かう。
最初は、島の中央部からやや東側、古里地区にある「ゆんぬ・あーどぅる焼の窯元」であ
る。20分ほどで到着した。
ゆんぬ・あーどぅる焼は、島で育ったサトウキビやヤシ、ソテツ、サンゴ、海藻などか
ら作った釉薬(ゆうやく)を使った与論島独自の焼物。「ゆんぬ」とは与論方言で与論島
のこと、「あーどぅる」は赤土のことをいうようで、与論・赤土焼ということのよう。
作者の山田幸子さんの作品は地元鹿児島県を始め、各地での陶芸コンテストにて優秀賞
を受賞されている。
たくさんの食器や湯呑みなどが所狭しと並べられて直売しており、ほかに面や革カバン、
野球のグラブやボール、運動靴、帽子なを形どった作品も展示され、庭先にも山田さんの
作品が並んでいた。15分程で窯元を後にする。
島の南島部、昨日最初に訪ねた与論民俗村近くの赤崎鍾乳洞に向かう途中、サトウキビ
を機械で収穫中の畑があった。
ハーベスタという機械を使用していて、前部で刈り取って後部にサトウキビの幹を保管
するようになっている。バスをそばに止めて、作業の模様を間近に見せてくれた。
漁港の横を通過して、昨日訪ねた与論民俗村に近い東区にある赤崎(あかさき)鍾乳洞
の入口に10時過ぎに着いた。
与論島は珊瑚礁が隆起してできた島、その大地が地下水によって侵食され、長い年月を
かけて造り上げられた大自然の彫刻が赤崎鍾乳洞であり、昭和40年(1965)に日本大学芸
術学部の学生により調査・発見されたとのこと。本洞は120m、支洞は130mと比較的小さ
な鍾乳洞のよう。
最初に右手の本洞に下りて、狭い遊歩道を進む。洞内には「幸福の門」「雪の棚田」
「剣の間」などと名付けられた見どころが多い。最奥まで進むとポッカリと外が見え、そ
こから引き返す。
左手の支洞にも回って一巡して入口に戻る。中には頭が支えそうな低くて狭い場所もあ
り、15分余りで赤崎鍾乳洞の観覧を終えた。
鍾乳洞の入口周辺には、たくさんのハイビスカスが咲いていた。
待機していたバスに乗り、島の南部を西進して与論小や与論中の近くにある与論城跡に
行く。与論城は、1405~1416年頃、琉球の北山王の3男王舅(おーしゃん)が与論の島主
として築城したが、途中で中北山王が滅亡したため築城を中止し未完成になっているとい
う。
城跡には当時の石垣が残り、城内に相撲場や琴平神社がある。
神社の西側からは周辺の展望が開け、眼下にサトウキビ畑や港、東シナ海などが一望で
きる。
咲きだしたヒカンザクラの横を下り、北側のサザンクロスセンター↓に行く。
ちなみに、サザンクロスとは南十字星のこと。与論島は南十字星が観測できる国内最北
端のようで昨夜は南十字星が見られるかと期待したが、曇天で星は全く見ることができな
かった。
ここサザンクロスセンターは、与論島の情報発信基地ともいえる資料館だが、まずは5
階の展望台に上がると島内が一望でき、北東の水平線上に霞んではいるが午後向かう沖永
良部島も望まれた。
水平線上に見えるのは沖永良部島
展望を楽しんだ後、4階から与論の自然や歴史、文化、民具、漁業、郷土芸能などを紹
介する展示を見ながら1階に下った。
ここで与論島観光を終え、11時25分頃サザンクロスセンターを出て20分ほどで与論港に
行く。車内では、ガイドの西さんが与論音頭を披露してくれた。
港には、これから乗船するフェリーが接岸しようとしていた。
フェリーは、沖縄本島の那覇港を出て同じ沖縄本島の本部(もとぶ)港を経て与論港に
入り、沖永良部島の和泊港、徳之島の亀徳港、奄美大島の名瀬港を経て鹿児島港に向かう
上り便で、総所要時間は25時間30分になる。
我々は2等の団体向け大部屋に入り、昼食の弁当が配られる。乗客は少なく船内は閑散
としていた。
フェリーは12時10分に出航した。ロビーのテーブルで配布され弁当を食べ、その後デッ
キに上がって強い風に吹かれながら海や行く手の沖永良部島の島影などを眺めたり、船室
で横になったりする。〈続く〉
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