2017年4月2日(日)
カントリーウオークグループの、第242回例会に参加した。集合はJR高崎線の吹上
(ふきあげ)駅。穏やかな日差しで花見日和だが予想ほどは開花が進まず、見頃には少し
早そう。4組に分かれて10時15分に北口をスタートした。

マンホールのデザインは、鴻巣市の花・コスモスのよう。
== 駅の南側から荒川右岸のコスモアリーナふきあげへ ==
わがグループは最短で昼食地に向かうことにして、階段を上がって南口に回り、吹上小
の門前へ。正門を入ったところに、小学校としては珍しい日本庭園がある。


吹上小と富士電機の工場との間を南に進む。民家前の花壇に、サヤエンドウに似たマメ
科の赤い花が咲く。足立北部排水路には、シラサギとカモが仲良く遊んでいた。

排水路の先は大芦(おおあし)集落で、次の十字路際に開放的な境内の大芦氷川神社が
ある。社殿内には鴻巣市有形文化財の算額があるようだが、見ることはできない。

境内の、明治37~8年(1904~5)の日露戦争戦没者供養塔らしい「表忠」と刻
まれた石塔の上に、砲弾が載っていた。


次のY字路際には古くからのよろず店らしい「なんでもや」の看板のかかる店があるが、
今日は休業日だった。その背後の龍光寺に東側から入る。
龍光寺は元和3年(1617)に草庵を結び、寛永元年(1624)に龍光寺として開
山したとのこと。

現在の堂々たる本堂は昭和50年(1975)の改築とか。寺には市指定考古資料で市
内最古の嘉禎2年(1236)銘の板碑があるようだが、確認できなかった。
ちなみに、埼玉県内は全国で最も板碑が多く、約2万7千基あるといわれているようだ。

寺の南側に、広い敷地を白壁土塀で囲むN家の豪壮な母屋や土蔵が目に付く。南側にも
う1本走る足立北部排水路近くで、モモやスイセン、ボケなどが彩りを競う。

排水路の南のY字路際に、地図上にない鳥居と小さな社殿が二つ並ぶ。

左は日枝神社で、中をのぞくと安産子育てを祈願する珍しい形態の石像が奉納されてい
た。右手の社殿には、これも珍しい「道六神」の掲額がある。


一帯は新在家集落で、その中央部麦畑の向こうに、りっぱな長屋門の家が見えた。その
家の道路を挟んだ南側は、青い瓦屋根が目に付く医王寺である。

医王寺の創立は不明だが、慶長12年(1607)の御検地水帳には記載されていて、
大芦が開拓された延元年中(1336~40)当時の建立と思われるという。
本堂の左手、木々に覆われた盛土上には、御嶽講の講中が建立したかと思われる「御嶽
山座王大権現」の石碑が立っていた。

新在家集落の南端、荒川左岸堤防に近い三差路際に、新しい「野菜百円市」の無人小屋
があり、ちょうど近くの農家、Sさんが桜の花を持ってきたところ。

シュンギクなど野菜やキャベツの苗、花などを販売していて、どれも百円均一。Kさん
はシュンギクを求めた。


長さ約1.1㎞で日本一の水道橋という、荒川水管橋の近くで荒川左岸堤防上に上がる。
堤防下に、お地蔵さんのようなちょっと変わった石像があった。


堤防のあちこちでナノハナが咲き競い、堤内の畑には緑の麦畑が広がる。


東側近くにある「コスモアリーナふきあげ」↑に、11時55分に着いた。アリーナ前
の堤防に腰を下ろし、眼前の広大な荒川河川敷や水管橋、その向こうに霞む外秩父の笠山
や堂平山などの雄大な展望を眺めながら昼食にした。

== 元荒川沿いの公園で花見の宴を ==
食事を終えてミーティング後、ナノハナの前で記念撮影をして、13時10に午後の行
程へ。

アリーナ周辺に若木のソメイヨシノがあるが、やはりまだわずかしか開花してない。



堤防の両側に咲くナノハナや、堤内南側の芽吹き始めた広葉樹などを眺めながら、堤防
上を1㎞ほど進む。


突然、堤内の小さな空き地↑から軽飛行機が飛び立ちビックリ!。

堤防を下り、田んぼに囲まれた三町免集落を北に抜ける。日当たりの良い民家の庭先に、
たくさんの花が咲き競う。


中心部の十字路際の屋根下に、お地蔵さんなど石像が7体ほど並んでいた。この集落に
も、屋敷林に囲まれた昔ながらの農家らしい建物が何棟か見られた。

再び水田地帯を抜けて前砂集落へ。JR高崎線の線路の向こうに消防学校の塔屋などの
建物が近づく。

県道365号とJR高崎線の線路を越えて、三ツ木堰そばの三ツ木橋を渡り、元荒川左
岸の橋際で小休止する。


消防学校の敷地沿いに、アシが茂りヒドリガモが泳ぐ元荒川左岸を上流へ。

昭和35年(1960)竣工の歩道橋、アサヒ橋↓の横を過ぎるとソメイヨシノの並木が
現れたが、まだ花は少ない。


元荒川橋で県道307号を横断し、ナノハナ咲く左岸をさらに進む。


趣ある民家の横を通過した辺りから若木のシダレザクラが続くが、やはり満開にはまだ
早い。


次の砂山橋で右岸に回ると、チラホラ咲くソメイヨシノの並木が続き、進むにつれてか
なり咲く木も出てきた。




筑波橋からすぐ近い、国道17号際のセブンイレブンで缶ビールやつまみを仕入れて戻
る。右岸を進んで遠所(えんじょ)橋の先の公園に14時50分に入り、ソメイヨシノの
下にシートを広げて花見会場とする。


乾杯をして、持ち寄った飲み物やつまみ、買って来たものなどを口にしながら話が弾む。
午後は天気不安定の予想に反して青空が広がり、雨の心配はなくなった。


ゆっくりと歓談して17時に切り上げ、水車や水辺の横を西に抜けて公園を出た。


陽が傾き逆光となる元荒川右岸をさらに進むと、花の開花具合も増えた感じ。

新宿(あらじゅく)橋で流れに分かれて産業道路を南西に進み、17時25分に吹上駅
に戻った。
(参加 16人、天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 熊谷、東松山、歩行地
鴻巣市、歩数 16600)
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カントリーウオークグループの、第242回例会に参加した。集合はJR高崎線の吹上
(ふきあげ)駅。穏やかな日差しで花見日和だが予想ほどは開花が進まず、見頃には少し
早そう。4組に分かれて10時15分に北口をスタートした。

マンホールのデザインは、鴻巣市の花・コスモスのよう。

== 駅の南側から荒川右岸のコスモアリーナふきあげへ ==
わがグループは最短で昼食地に向かうことにして、階段を上がって南口に回り、吹上小
の門前へ。正門を入ったところに、小学校としては珍しい日本庭園がある。


吹上小と富士電機の工場との間を南に進む。民家前の花壇に、サヤエンドウに似たマメ
科の赤い花が咲く。足立北部排水路には、シラサギとカモが仲良く遊んでいた。

排水路の先は大芦(おおあし)集落で、次の十字路際に開放的な境内の大芦氷川神社が
ある。社殿内には鴻巣市有形文化財の算額があるようだが、見ることはできない。

境内の、明治37~8年(1904~5)の日露戦争戦没者供養塔らしい「表忠」と刻
まれた石塔の上に、砲弾が載っていた。


次のY字路際には古くからのよろず店らしい「なんでもや」の看板のかかる店があるが、
今日は休業日だった。その背後の龍光寺に東側から入る。
龍光寺は元和3年(1617)に草庵を結び、寛永元年(1624)に龍光寺として開
山したとのこと。

現在の堂々たる本堂は昭和50年(1975)の改築とか。寺には市指定考古資料で市
内最古の嘉禎2年(1236)銘の板碑があるようだが、確認できなかった。
ちなみに、埼玉県内は全国で最も板碑が多く、約2万7千基あるといわれているようだ。

寺の南側に、広い敷地を白壁土塀で囲むN家の豪壮な母屋や土蔵が目に付く。南側にも
う1本走る足立北部排水路近くで、モモやスイセン、ボケなどが彩りを競う。

排水路の南のY字路際に、地図上にない鳥居と小さな社殿が二つ並ぶ。

左は日枝神社で、中をのぞくと安産子育てを祈願する珍しい形態の石像が奉納されてい
た。右手の社殿には、これも珍しい「道六神」の掲額がある。


一帯は新在家集落で、その中央部麦畑の向こうに、りっぱな長屋門の家が見えた。その
家の道路を挟んだ南側は、青い瓦屋根が目に付く医王寺である。

医王寺の創立は不明だが、慶長12年(1607)の御検地水帳には記載されていて、
大芦が開拓された延元年中(1336~40)当時の建立と思われるという。
本堂の左手、木々に覆われた盛土上には、御嶽講の講中が建立したかと思われる「御嶽
山座王大権現」の石碑が立っていた。

新在家集落の南端、荒川左岸堤防に近い三差路際に、新しい「野菜百円市」の無人小屋
があり、ちょうど近くの農家、Sさんが桜の花を持ってきたところ。

シュンギクなど野菜やキャベツの苗、花などを販売していて、どれも百円均一。Kさん
はシュンギクを求めた。


長さ約1.1㎞で日本一の水道橋という、荒川水管橋の近くで荒川左岸堤防上に上がる。
堤防下に、お地蔵さんのようなちょっと変わった石像があった。


堤防のあちこちでナノハナが咲き競い、堤内の畑には緑の麦畑が広がる。


東側近くにある「コスモアリーナふきあげ」↑に、11時55分に着いた。アリーナ前
の堤防に腰を下ろし、眼前の広大な荒川河川敷や水管橋、その向こうに霞む外秩父の笠山
や堂平山などの雄大な展望を眺めながら昼食にした。

== 元荒川沿いの公園で花見の宴を ==
食事を終えてミーティング後、ナノハナの前で記念撮影をして、13時10に午後の行
程へ。

アリーナ周辺に若木のソメイヨシノがあるが、やはりまだわずかしか開花してない。



堤防の両側に咲くナノハナや、堤内南側の芽吹き始めた広葉樹などを眺めながら、堤防
上を1㎞ほど進む。


突然、堤内の小さな空き地↑から軽飛行機が飛び立ちビックリ!。

堤防を下り、田んぼに囲まれた三町免集落を北に抜ける。日当たりの良い民家の庭先に、
たくさんの花が咲き競う。


中心部の十字路際の屋根下に、お地蔵さんなど石像が7体ほど並んでいた。この集落に
も、屋敷林に囲まれた昔ながらの農家らしい建物が何棟か見られた。

再び水田地帯を抜けて前砂集落へ。JR高崎線の線路の向こうに消防学校の塔屋などの
建物が近づく。

県道365号とJR高崎線の線路を越えて、三ツ木堰そばの三ツ木橋を渡り、元荒川左
岸の橋際で小休止する。


消防学校の敷地沿いに、アシが茂りヒドリガモが泳ぐ元荒川左岸を上流へ。

昭和35年(1960)竣工の歩道橋、アサヒ橋↓の横を過ぎるとソメイヨシノの並木が
現れたが、まだ花は少ない。


元荒川橋で県道307号を横断し、ナノハナ咲く左岸をさらに進む。


趣ある民家の横を通過した辺りから若木のシダレザクラが続くが、やはり満開にはまだ
早い。


次の砂山橋で右岸に回ると、チラホラ咲くソメイヨシノの並木が続き、進むにつれてか
なり咲く木も出てきた。




筑波橋からすぐ近い、国道17号際のセブンイレブンで缶ビールやつまみを仕入れて戻
る。右岸を進んで遠所(えんじょ)橋の先の公園に14時50分に入り、ソメイヨシノの
下にシートを広げて花見会場とする。


乾杯をして、持ち寄った飲み物やつまみ、買って来たものなどを口にしながら話が弾む。
午後は天気不安定の予想に反して青空が広がり、雨の心配はなくなった。


ゆっくりと歓談して17時に切り上げ、水車や水辺の横を西に抜けて公園を出た。


陽が傾き逆光となる元荒川右岸をさらに進むと、花の開花具合も増えた感じ。

新宿(あらじゅく)橋で流れに分かれて産業道路を南西に進み、17時25分に吹上駅
に戻った。
(参加 16人、天気 晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 熊谷、東松山、歩行地
鴻巣市、歩数 16600)


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