あるきメデス

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春の装いあふれる西武球場前駅から小手指駅へ(埼玉・所沢)

2017-04-15 13:17:53 | ウオーキング
 2017年4月14日(金)

 快晴となったので、咲き残る桜に期待して、所沢市作成のウオーキング地図の西エリア
①「小手指ヶ原(こてさしがはら)古戦場と狭山湖(さやまこ)の逆コースを歩くことに
した。

 西武狭山線の終点、西武球場前駅に下車して、10時42分にスタートする。県道55
号を跨道橋を超えた北側斜面のソメイヨシノは、まだきれいな花を残している。



 すぐ先の斜面に幾つもの堂塔の立つのが狭山不動尊で、国重要文化財の勅額門から入る。

 門は、もと東京・芝の徳川家2代将軍秀忠の御廟、台徳院に寛永9年(1632)に建
立したものとか。傍らには、太田道灌が城塞を構えた城山城趾から移植したという、樹齢
500年のご神木のイチョウが立っていた。

 その上の御成門も同じ台徳院に建立されたもので、やはり国重要文化財。格天井(ごう
てんじょう)の中央に、天女の描かれた円い鏡天井のあるのは珍しいらしい。


 緩やかな参道を上がって行くとあちこちのソメイヨシノが花を残し、萌えだした新緑が
気持ちよい。
     

 さらに上がると総門の先に第一多宝塔がある。弘治元年(1555)に大阪・高槻市の
畠山神社に建立したと伝えられ、桃山時代の特色をよく表していて形も良く、埼玉県文化
財になっている。
     


 総門のすぐ上が本堂で、建物の周囲にはたくさん石灯ろうが並び、前の草地にはニホン
サクラソウが咲く。
    

 総門下を左手(西)に回ると、第二多宝塔が建っている。室町中期の永享7年(1435)
に兵庫県東條町の槣鹿寺に建立されたもので、室町中期の様式をよく残しているという。



 近くの羅漢堂山門際にはシダレザクラが咲き残り、鐘楼の先にはヤマザクラが咲いてい
た。奥の弁天堂の傍らのシダレザクラも見頃である。


     

         

 第二多宝塔の横から立ち並ぶ灯ろうの間を進んで、境内西北側の桜井門から狭山不動尊
を出た。ちなみに桜井門は、奈良県十津川(とつかわ)の桜井寺の山門として建立された
もの。ちなみに桜井寺は、幕末に尊皇攘夷志士の一派、天誅組(てんちゅうぐみ)の本陣
として利用されているようだ。


 桜井門を出て、東京都民の水がめのひとつ狭山湖の東南側岸沿いを北に進む。この先一
帯は県立狭山自然公園で、湖岸のソメイヨシノや広葉樹のやわらかな新緑が気持ちよい。



 湖の堤防上に延びる遊歩道や広い芝生地などには、ミツバツツジやソメイヨシノが花を
見せる。


 堤防の南端、休憩舎のそばから真っ直ぐに伸びる堤防上の遊歩道を進む。





 右手斜面には桜や新緑が広がり、所沢市街中心部の高層マンション群などが望まれる。





 広い湖面を囲む広葉樹林もやわらかな新緑に覆われ、取水塔の向こうには、奥多摩の大
岳山周辺の山並みが霞み見えた。



 堤防の北端近くからは、堤防の下部、東北側斜面に咲き残るソメイヨシノがたくさん見
下ろせる。



 堤防の北端にも休憩舎があり、その先のソメイヨシノや広葉樹の芽吹きがなおも続いて
いた。






 県立狭山自然公園を後にして、交通量の多い車道を横断して東へ、わが家の水道の給水
元である所沢市西部浄水場横を過ぎる。

 すぐ先の「とことこソーラー北野」にはたくさんのソーラーパネルが並び、発電出力は
1,053㎾とか。

 ここは市の産業廃棄物処理場だったところで、満杯になった上に土で覆って活用してい
るもの。


 南側は市の第12号保存樹林になっていて、ブナ科やヒノキ科の樹木が多いよう。その
先には特産狭山茶の茶畑が現れ、周辺にも狭山丘陵の新緑が広がる。



 下り道となり、行く手にこの先行く全徳寺の大屋根や小手指駅周辺の高層マンションな
どが見える。近くの畑の隅にたくさんのフキノトウが並んでいた。

 すぐ先が藤森稲荷神社で社殿は小さいが、傍らに市の保存樹木のフジの古木があり、ガ
ッチリしたフジ棚の上に枝を伸ばしていた。
     


 周辺の民家には花が多く、多彩な彩りが楽しめ、大きなこいのぼりが風を受けて泳ぐ。
     

 細道を北に、突き当たりが上から見えた全徳寺である。開創は永禄年間(1558~
70)で、新しい本堂は平成元年(1989)の再建のよう。

 境内の大きなソメイヨシノは散り、葉桜に衣装を変えていた。


 本堂前の草地には、先祖代々の菩提を供養するK家が、平成14年(2000)に奉納
した十六羅漢が並んでいた。


 県道179号を横断してすぐ先のT字路を東へ、周辺の民家の広い庭先にも花が咲き、
ケヤキやモミジの彩りも気持ちよい。


 南北に走る交通量の多い車道を横断して、戦前は県社だった北野天神社に入る。

 北野天神社は、景行天皇の時代に日本武尊が東征の折、この地に2神を祭り、以来武蔵
国の縁起式内社入間郡5座のひとつに数えられていたという由緒ある神社。

 その後長徳元年(995)に菅原道真の子孫が武蔵守となり、京都の北野天満宮を祭っ
て以来、北野天神と称せられるようになったとか。武家の信仰も厚く、源義家や頼朝、足
利尊氏、前田利家などによりしばしば社殿が造営され、現在の本殿は安永年間(1770
~)のものという。

 拝殿前のソメイヨシノがまだかなりの花を残し、南側の参道際には日本武尊お手植えの
「尊桜(みことざくら)」の4度目のひこばえという、ヤマザクラらしい木が斜めに枝を
伸ばして咲いていた。


     
 入ってきた西側参道北側の民家には、大きなシダレザクラが咲く。参道の先をさらに西
に少し戻って北へ、咲き出したブルーベリー畑や点在する民家や畑の間を進む。



 北野総合運動場の近くを北西に進むと、北野中の西側にこんもりした森が見え、「小手
指ヶ原古戦場」碑が立っていた。
       
 この辺りは、鎌倉末期から南北朝時代にかけてしばしば合戦が展開されたところ。特に
歴史的合戦は、元弘3年(1333)に上野国(こうずけのくに)新田庄(にったしよう)
(群馬県太田市)の新田義貞の鎌倉攻めで、迎え撃つ鎌倉幕府軍と小手指ヶ原で30余回
も打ち合い、のち幕府軍は分倍河原(東京都府中市)から鎌倉に退き滅亡するに至った。

 背後のこんもりした小高い塚は白旗塚で、源氏の末裔(まつえい)である新田義貞が陣
を張り、源氏の象徴の白旗を立てたと伝承されるという。
   
 塚の山頂には、2つの祠(ほこら)と「白旗塚浅間神社」碑が並んでいる。

 すぐ北側には所沢市立埋蔵文化財調査センターがあり、市内で出土された文化財が時代
別に整理公開され、平日のみ観覧できる。


 また、国指定天然記念物のミヤコタナゴなどが水槽で飼育され、公開されていた。
    


 北側の民家に大きなキクモモが花盛り。そばの畑の小麦はもう穂が出ていた。
       

 近くの誓詞橋(せいしばし)交差点で国道463号を渡り、北側の歩道を少し東進して
茶畑の横から畑道を北へ。茶畑の向こうにゴールの小手指駅周辺のマンション群が望まれ
る。



 畑の中に大きなソメイヨシノが花を残し、北側の平地林は淡い新緑の彩りを見せている。
ソメイヨシノの北側を東進して所沢西高のグランド前を通過する。



 西武池袋線の小手指車両基地が近づき、水の無い大きな調整池の横から線路際を東進す
る。わずかに残る桑畑の向こうの平地林も、淡い新緑に覆われていた。


 ゴールの西武池袋線小手指駅南口には、14時20分に着いた。


 あちこちに咲き競う花を見たり撮ったりしたので予想外に時間がかかったが、好天で暖
かく春の彩りを満喫した。

(天気 快晴 距離 8㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 所沢市、歩数
 15,600) 




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