あるきメデス

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鎌倉街道上道を歩く④ =武蔵嵐山から武蔵高萩まで=(埼玉)

2023-09-13 22:10:17 | 鎌倉街道上道を歩く
 第4回 2002年5月18日(土) 〈武蔵嵐山から武蔵高萩まで〉

 鎌倉街道上道も4回目となり、埼玉県の中央部にかかった。明け方の激しい雨で午前中
は傘が必要かと思ったが、東武東上線 武蔵嵐山駅に下りたらほぼ止んでいた。

 橋上駅に代わった新しい駅舎の天井に、かわいいツバメの子が見える。一応雨具を付け
て9時50分に、7人がスタートした。

 ==笛吹峠を越えて鳩山町へ==

 駅前を南進して国道254号線に出る。200mほどで国道に分かれて右折、国道バイ
パスを越えて都幾川の学校橋に下る。川原にはコサギやゴイサギが見えた。雨に濡れた新
緑の山々がみずみずしい。

 大蔵集落に入り、まず向徳寺に寄る。鎌倉時代に創建されたと伝えられる古寺。

  宝治3(1249)年に造られた銅造阿弥陀如来像及び両脇侍立像は、国の重要文化財。
以前は墓地にあった正応6(1293)年銘を初めとする板碑群は、山門横の建物に保存
されていた。

 かやぶきの家の先で十字路を西に進むと、源為義の次男、義賢の館であった大蔵館跡。
義賢は当地で武威を高めたが、久寿2(1155)年8月、甥の悪源太義平に討たれた。

 当時2歳の次子、駒王丸は畠山重忠に助けられて斎藤別当実盛により木曽に預けられ、
のち木曽義仲となったという。現在は大蔵神社↓があり、周辺に土塁、空堀が残っている。


     大倉神社の南側斜面に咲く黄色いツツジ
     

 不動坂の林にはエゴノキの白い花が満開。この先にもたくさんのエゴノキの花が咲いて
いた。左手林の中にある日吉神社に寄り、将軍沢集落を抜ける。日吉神社入り口付近にあ
った石碑
       


 広葉樹の新緑溢れる坂道を上って行くと両側は桜並木となり、笛吹峠に出た。


 「正平7(1352)年2月、新田義貞の三男義吉などが武蔵野の小手指ヶ原(こてさ
しがはら)古戦場で足利尊氏と戦い、最終的に決着がついたのがこの峠。尊氏は以後、関
東を完全に制圧した」などの説明板が立っている。


 峠を横切る東西の道は、板東十番札所岩殿観音と九番慈光寺を結ぶ巡礼街道である。大
蔵館跡といい笛吹峠といい、この辺りまさに鎌倉街道の中枢とも言えるところ。



 峠を下りきった左側の山の斜面に、「新編武蔵風土記稿」にもその名の由来が記されて
いるという、羽黒堂と呼ぶ小さい地蔵堂がある。
        

 ダイサギが悠々と飛ぶ大橋川沿いに出て、大橋集落に入る。
     
 橋の北側、駐輪場のそばに安永6(1777)年↑と↓文化3(1807)年刻の、苔
むした青面金剛や馬頭尊が並んでいた。
                

 「三差路近くの大橋家裏に板碑があった」と案内書(注)にある。車で帰ってきた人に
聞くと、以前は林だったが最近整地したとか。4基の板碑がきれいに揃えてあった。


 鳩川を越え、木造校舎時代は校舎の下を鎌倉街道の掘割が残っていたという、鳩山中の
先を入る。中央公民館に13時15分に着き、昼食に。

 雨の心配も無くなったので、雨具をしまって14時過ぎに出る。

 (注)「鎌倉街道夢紀行 上道コース」さきたま出版界発行

 ==毛呂山の街道跡から日高へ==

 県道を隔てて保健センターの東側は、「街道杉」と呼ばれた一本杉があったところ。近
年植え替えたという杉の木↓を確認し県道に戻る。
    

 鳩山町赤沼辺りに並ぶ石塔
 

 今宿の複雑な交差点を抜けて毛呂山町(もろやままち)に入る。越辺川(おっぺがわ)
沿いに出ると展望が開け、奥武蔵の山並みがよく見えてきた。

 ブック牧場という馬の牧場や、田んぼの中に出来たリプラ川角と呼ぶクリーンセンター
の横を抜け、以前の例会で寄った大類グランドで休憩。Koさんがコーヒーを入れてくれた。

 グランドの南の林から毛呂山町歴史民俗資料館を左に入る辺りは、昔ながらの土の道。
主要地方道39号との交差点に、「鎌倉街道(上道)」の大きな説明板がある。


 交差点を越えた左手に、街道筋には似つかわしくない黄と緑色で塗られた新しい家が見
える。ちょうど車で帰ってきた奥さんに声をかけられた。染色関係?の仕事をされている
Fuさんのアトリエ。東側の新しい二階家は、28匹の猫の住まいだという。

 拝見すると、野良猫だったというが行儀のよい猫が、四つの部屋にたくさんいる。こん
な立派な家に住まわせてもらえる猫君は幸せ。Fuさんから、「安曇野に別荘があるので、
ぜひお使い下さい」とも言われた。



 寄り道で思わぬ時間が過ぎ、16時半となる。この先も500m余り街道らしい雰囲気
の残る土の道が続いている。

 市場集落の市場神社には、背の高いイチョウや太いケヤキが立つ。集落を抜け、再び田
園地帯出ると高麗川(こまがわ)が迫り、土手で雄のキジが悠々と草を食べていた。

 高麗川にかかる森戸橋は、1車線分しか橋幅がない。こちらと向こうに10数台の車が
溜まり交互通行。我々もその間をすり抜けて渡る。

 橋の先で、車を避けて田んぼの中を貫く東側の道へ。1本の木の下に地蔵さんが立って
いる。外秩父の山並みの辺りが晴れてきた。


 きれいな流れを見せる小川を過ぎ、東武越生(おごせ)線 西大家(にしおおや)駅に
近い秋葉神社にて最後の休憩を。



 駅の南側に流れる掘割は、鎌倉街道の跡だとの説明板があったが、最近はコンクリート
板で整備され、面影が失われている。

 町屋の住宅地を抜けた広々とした畑作地帯では、雌雄のキジが歩いていた。駒寺野新田
を過ぎ、東西2㎞、南北1.5㎞ほどを整然と区画した道路が走る旭が丘の畑作地帯を抜
けた。

 薄暗くなった18時41分、今回のゴールとなるJR川越線 武蔵高萩駅に着いた。

(参加 7人、天気 曇後晴、距離 20㎞、地図(1/2.5万) 武蔵小川、越生、
 飯能、歩行地 嵐山町、鳩山町、毛呂山町、坂戸市、鶴ヶ島市、日高市)



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