2002年9月14日(土) 〈北府中から町田まで〉
予報は雨だったが曇り空。気温も20℃前後と歩きやすそうな日和である。JR武蔵野
線北府中駅に集まった6人は、一応雨具を付けて9時40分にスタートした。
== 府中の寺社を回り多摩ニュータウンへ ==
府中街道を南へ進み、京王線を越えて府中市の中心部に入る。
大きな高札場のある交差点を東に回り大国魂(おおくにたま)神社へ。
京王線府中駅まで続く参道には大ケヤキが並ぶ。源頼義・義家父子が奉納したのが始ま
りとか。太いケヤキのそばに源義家像が立っていた。
大国魂神社は、武蔵国の国府だった府中の中心にある。立派な社殿に参拝。
嘉永7(1854)年再建という鼓楼(ころう)や、国の重要文化財に指定されている
子供を乗せた狛犬↓などを見て西に抜ける。
JR府中本町駅の北西、南武線の北側にある善明寺に寄る。建長5(1253)年に造
られたという国重要文化財の阿弥陀鉄仏座像は、収蔵庫にあり拝観できない。
アカマツ、ツツジ、ソテツなどの間に灯篭や自然石を廃した日本庭園が素晴らしい。
鎌倉街道を挟んだ西側は高安寺。足利尊氏再興の寺で、徳川家から御朱印十五石を拝領
していたという。広い境内に立派な総門、山門↑、本堂↓、鐘楼、観音堂などが立つ。
背の高く重厚な山門の四方に、さまざまな楽器を持ち、羽を付けた楽士などの精巧な彫
刻が施されており、目を奪われる。
境内には、「府中市百選」のタラヨウジュやクスノキ、台湾桜、枝垂れ松、コウヤマキ
などの樹木が多い。サルスベリが花盛りだった。
二つの寺を挟んだ鎌倉街道は遊歩道になって南に延び、中央自動車道の先で街道と分か
れ、多摩川北岸にある「郷土の森公園」まで続いている。
府中市南町1丁目にて
遊歩道から多摩川左岸のサイクリング路に出て、関戸橋を渡ると多摩市である。
新大栗橋交差点から右斜めの旧道に入る。大栗川の先、関戸五丁目の地蔵堂のそばに
「関戸古戦場跡」の碑があり、「元弘3(1333)年5月、幕府軍と新田軍が合戦、新
田軍が勝利した」と記されていた。
すぐ先の観音寺は刑場跡だったといわれ、墓地には板碑がたくさん集められていた。
観音寺は、多摩川三十三観音と多摩八十八か所札所で、江戸時代狩野派の絵師・柳沢五
流と、華道の一派の創始者である柳沢伴主父子の墓もある。
その先の熊野神社は、鎌倉時代の建暦3(1213)年に設けられた霞の関木戸柵跡。
約45㎝間隔に丸柱の痕跡が残っていた。
多摩市役所前を通過し、多摩ニュータウンの住宅群に入る。13時25分、乞田川(こ
ったがわ)と京王線の間の小公園に入り、昼食にした。
食事の半ばから雨が落ちてきたが、なんとか傘は差さずに済んだ。
== 多摩ニュータウンを抜けて小野路へ ==
ニュータウンの豊ヶ丘住宅群を抜けると、町田市東北部の丘陵地帯。恵泉女学園大の東
側で雑木林の林道へ。静かな土の道は、多摩ニュータウンとは対照的に鎌倉街道らしさを
残している。
途中、東南に少し回り道はしたが、休耕田沿いの草の道で、思いがけずのカントリーウ
オークを楽しんだ。
林が終わると小野路(おのじ)町の集落。宿場町の雰囲気が残る家並みが続くが、車の
交差が出来ない狭い街道は交通量が多い。注意しながら進み、小島資料館の先で三差路に
出てホッとした。
右折した山際に小野神社があった。小野篁(おののたかむら)の子孫、小野孝泰が武蔵
国府として天禄年間(972~)に赴任し、小野篁を祀ったという古社。
ちょうど年に一度の秋祭りの日で、本殿、神楽殿、囃子舞台などを飾って、夜の神楽の
準備中。御輿(みこし)所をのぞくと、大小2基の立派な御輿が鎮座していた。
神楽殿を見下ろす芝生で休憩する。
神社から200mくらい、坂の途中で旧道へ。野津田公園の駐車場そばに「大山道一里
塚」の案内標がある。
一里塚は、元和3(1617)年、駿河の久能山に埋葬した徳川家康の遺骨を、日光東
照宮に移したときに造られたとのこと。
== 野津田から町田市街へ ==
街道は、谷間にある野津田公園の陸上競技場横を抜けているが、右に回り南多摩外科病
院前に出て、公園の西側で小休止。台地上なので、眼下の競技場や東側に広がる緑の丘陵
などの展望がよい。
桜並木を野津田高から日本聾話(ろうわ)学校前に進み、林の中を下って県道に出た。
小田急と神奈川中央バスの大きな車庫が並ぶ。車庫の先で右折、鶴見川の丸山橋を渡る。
七国山の北斜面を、オミナエシや秋ソバの花などを見ながら上がる。七国山ファマーズ
センターの先で10数戸の新興住宅地を抜け、七国山の稜線に出た。東側に広いソバ畑が
あり、白い花がじゅうたんのように広がっている。
その先500mほどは、薄暗くなってきた林。中ほどに鎌倉井戸がある。新田義貞が北
条泰家を追ってここを越えた時、馬に水を使わせたという。木枠があるのでのぞいて見た
が、水は見えなかった。
今井谷戸交差点の少し先から恩田川沿いへ。日蓮上人が佐渡流罪の途中、ひと息入れた
という宏善寺で最後の休憩。本堂はコンクリート製。シダレザクラやよく手入れされたツ
ツジなどの庭がよい。
暗くなってきたので先を急ぐ。養雲寺の先で恩田川の西に出て、県道Y字路の西側にあ
る菅原神社に寄る。菅原道真ゆかりの神社で、境内裏手は「井戸の沢古戦場跡」だという
が、54段の石段を上がって参拝しただけで出た。
神社西側の裏道から県道3号に出るつもりが、町田郵便局の通りに出て回り道してしま
う。18時35分にゴールのJR横浜線・小田急小田原線の町田駅に着いた。
(参加 6人、天気 曇、距離 21.5㎞、地図(1/2.5万) 立川、武蔵府中、
原町田、歩行地 府中市、多摩市、町田市)
徒歩の旅ランキング
にほんブログ村
予報は雨だったが曇り空。気温も20℃前後と歩きやすそうな日和である。JR武蔵野
線北府中駅に集まった6人は、一応雨具を付けて9時40分にスタートした。
== 府中の寺社を回り多摩ニュータウンへ ==
府中街道を南へ進み、京王線を越えて府中市の中心部に入る。
大きな高札場のある交差点を東に回り大国魂(おおくにたま)神社へ。
京王線府中駅まで続く参道には大ケヤキが並ぶ。源頼義・義家父子が奉納したのが始ま
りとか。太いケヤキのそばに源義家像が立っていた。
大国魂神社は、武蔵国の国府だった府中の中心にある。立派な社殿に参拝。
嘉永7(1854)年再建という鼓楼(ころう)や、国の重要文化財に指定されている
子供を乗せた狛犬↓などを見て西に抜ける。
JR府中本町駅の北西、南武線の北側にある善明寺に寄る。建長5(1253)年に造
られたという国重要文化財の阿弥陀鉄仏座像は、収蔵庫にあり拝観できない。
アカマツ、ツツジ、ソテツなどの間に灯篭や自然石を廃した日本庭園が素晴らしい。
鎌倉街道を挟んだ西側は高安寺。足利尊氏再興の寺で、徳川家から御朱印十五石を拝領
していたという。広い境内に立派な総門、山門↑、本堂↓、鐘楼、観音堂などが立つ。
背の高く重厚な山門の四方に、さまざまな楽器を持ち、羽を付けた楽士などの精巧な彫
刻が施されており、目を奪われる。
境内には、「府中市百選」のタラヨウジュやクスノキ、台湾桜、枝垂れ松、コウヤマキ
などの樹木が多い。サルスベリが花盛りだった。
二つの寺を挟んだ鎌倉街道は遊歩道になって南に延び、中央自動車道の先で街道と分か
れ、多摩川北岸にある「郷土の森公園」まで続いている。
府中市南町1丁目にて
遊歩道から多摩川左岸のサイクリング路に出て、関戸橋を渡ると多摩市である。
新大栗橋交差点から右斜めの旧道に入る。大栗川の先、関戸五丁目の地蔵堂のそばに
「関戸古戦場跡」の碑があり、「元弘3(1333)年5月、幕府軍と新田軍が合戦、新
田軍が勝利した」と記されていた。
すぐ先の観音寺は刑場跡だったといわれ、墓地には板碑がたくさん集められていた。
観音寺は、多摩川三十三観音と多摩八十八か所札所で、江戸時代狩野派の絵師・柳沢五
流と、華道の一派の創始者である柳沢伴主父子の墓もある。
その先の熊野神社は、鎌倉時代の建暦3(1213)年に設けられた霞の関木戸柵跡。
約45㎝間隔に丸柱の痕跡が残っていた。
多摩市役所前を通過し、多摩ニュータウンの住宅群に入る。13時25分、乞田川(こ
ったがわ)と京王線の間の小公園に入り、昼食にした。
食事の半ばから雨が落ちてきたが、なんとか傘は差さずに済んだ。
== 多摩ニュータウンを抜けて小野路へ ==
ニュータウンの豊ヶ丘住宅群を抜けると、町田市東北部の丘陵地帯。恵泉女学園大の東
側で雑木林の林道へ。静かな土の道は、多摩ニュータウンとは対照的に鎌倉街道らしさを
残している。
途中、東南に少し回り道はしたが、休耕田沿いの草の道で、思いがけずのカントリーウ
オークを楽しんだ。
林が終わると小野路(おのじ)町の集落。宿場町の雰囲気が残る家並みが続くが、車の
交差が出来ない狭い街道は交通量が多い。注意しながら進み、小島資料館の先で三差路に
出てホッとした。
右折した山際に小野神社があった。小野篁(おののたかむら)の子孫、小野孝泰が武蔵
国府として天禄年間(972~)に赴任し、小野篁を祀ったという古社。
ちょうど年に一度の秋祭りの日で、本殿、神楽殿、囃子舞台などを飾って、夜の神楽の
準備中。御輿(みこし)所をのぞくと、大小2基の立派な御輿が鎮座していた。
神楽殿を見下ろす芝生で休憩する。
神社から200mくらい、坂の途中で旧道へ。野津田公園の駐車場そばに「大山道一里
塚」の案内標がある。
一里塚は、元和3(1617)年、駿河の久能山に埋葬した徳川家康の遺骨を、日光東
照宮に移したときに造られたとのこと。
== 野津田から町田市街へ ==
街道は、谷間にある野津田公園の陸上競技場横を抜けているが、右に回り南多摩外科病
院前に出て、公園の西側で小休止。台地上なので、眼下の競技場や東側に広がる緑の丘陵
などの展望がよい。
桜並木を野津田高から日本聾話(ろうわ)学校前に進み、林の中を下って県道に出た。
小田急と神奈川中央バスの大きな車庫が並ぶ。車庫の先で右折、鶴見川の丸山橋を渡る。
七国山の北斜面を、オミナエシや秋ソバの花などを見ながら上がる。七国山ファマーズ
センターの先で10数戸の新興住宅地を抜け、七国山の稜線に出た。東側に広いソバ畑が
あり、白い花がじゅうたんのように広がっている。
その先500mほどは、薄暗くなってきた林。中ほどに鎌倉井戸がある。新田義貞が北
条泰家を追ってここを越えた時、馬に水を使わせたという。木枠があるのでのぞいて見た
が、水は見えなかった。
今井谷戸交差点の少し先から恩田川沿いへ。日蓮上人が佐渡流罪の途中、ひと息入れた
という宏善寺で最後の休憩。本堂はコンクリート製。シダレザクラやよく手入れされたツ
ツジなどの庭がよい。
暗くなってきたので先を急ぐ。養雲寺の先で恩田川の西に出て、県道Y字路の西側にあ
る菅原神社に寄る。菅原道真ゆかりの神社で、境内裏手は「井戸の沢古戦場跡」だという
が、54段の石段を上がって参拝しただけで出た。
神社西側の裏道から県道3号に出るつもりが、町田郵便局の通りに出て回り道してしま
う。18時35分にゴールのJR横浜線・小田急小田原線の町田駅に着いた。
(参加 6人、天気 曇、距離 21.5㎞、地図(1/2.5万) 立川、武蔵府中、
原町田、歩行地 府中市、多摩市、町田市)
徒歩の旅ランキング
にほんブログ村