あるきメデス

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清瀬から東村山へ 博物館や旧跡などを巡る〈後半〉(東京・東久留米市、東村山市)

2021-10-09 18:40:50 | ウオーキング
 2021年10月6日(水) 〈続き〉

 西武池袋線清瀬駅の西側踏切を渡り小金井街道に合流した。


 松山一丁目交差点で左にカーブする小金井街道に分かれて狭い通りを南進し、間もなく
で左からの野火止用水沿いの野火止(のびどめ)通りへ。
     


 松山一丁目交差点で流れの左岸沿いの遊歩道に回る。そばに、「東久留米市立野火止遊
園」と呼ぶ平地林が残されていた。


 次の押出し橋交差点で野火止通りに分かれ、南に延びる新小金井街道に入る。左カーブ
して少し下った東側に、都指定史跡「下里本邑(しもざとほんむら)遺跡公園」がある。


 黒目川(くろめがわ)と出水川(でみずがわ)が合流するこの場所は、日当たりのよい
高台と豊かな水の流れ、さらに川に河川敷があることから原始・古代の人々が住む理想的
な条件を満たしていたとか。

 この地は、約3万年前の旧石器時代、縄文時代、弥生時代から奈良時代、平安時代と幾
つもの時代にわたり生活の場となった「複合遺跡」と呼ばれる貴重な遺跡という。

 遺跡の主要部約8000㎡が保存されていて、遺跡公園になっている。

 みどり豊富な公園内を一巡して、その面影の一部などを確認した。




     






 この木の下にあった説明パネル


 低地部分には、この遺跡の特徴を説明した「下里本邑遺跡館」があるというが、黒目川
の平成橋際まで進んだが見つからない。

 少し戻って、川の左岸に並ぶ下里第二住宅の案内図を見たらすぐ近くにあると分かり、
回ってみた。
     

 入口にあった遺跡の説明パネル。


 保存館では縄文時代の生活跡が再現されていて、さらに発掘調査時の写真や旧石器時代
の石器、縄文中期の土器などが展示され、外側から観られるようになっていた。






     



      南側を流れる黒目川の本邑橋からの下流の眺め。
     

       すぐ上流の右岸下部には、黒目川の湧水点のひとつになっている流れが見られた。
          


 新小金井街道を東久留米本村郵便局の先の下里一丁目交差点まで進み、右折して南西へ
の通りへ。再び黒目川を渡った辺りでは、柿の実がたくさん色づいている。




     
 近くの下里五丁目に氷川神社の森があったので、かなり細くなった黒目川の橋を渡り東
向きの鳥居から石段を上がる。
          

 創立年代は不詳のようだが、長禄元(1457)年9月再建の記録はあるようだ。

 静かな森に囲まれた拝殿で、新型コロナウィルスに感染しないよう祈り参拝した。

 境内北側には、招魂社や白山神社など小さな末社が16社並んでいた。


 神社の南側から、葉の色づいてきたハナミズキの街路樹の続く新山通りを南西へ。


 東久留米市のマンホール


 西団地前交差点のすぐ先、南側に入る細い通りの入口際の看板が眼に入り、すぐ先の真
言宗明王院下里不動尊に立ち寄る。

 境内はわずかでお堂も小さめだが、御札所には各種祈願の御札や御守りがたくさん並ん
でいた。
      

 南側の通りに出て、南西に少しで下里中の北側へ。。校舎と運動場の間の道路際に、
「東京都都指定史跡、新山(しんやま)遺跡」のパネルのかかる小さい建物があり、その
中に、発掘調査で見つかった縄文時代の住居跡が復元してある。


 この下里中と西隣の下里小の建設に伴う発掘調査で、この辺りが縄文中期の集落跡と分
かり、居住施設や埋葬施設、調理施設、祭祀施設などが見つかったようだ。






 下里小の北西側でもとの通り、新山通りに出た。さらに600m余り進み、送電線の下
を過ぎた次の細道との十字路を西に入る。

 新興住宅地が終わったところのY字路を左折して南南西へ、ケヤキの高木が立ち並ぶ古
い住宅地となり、右手に「国の登録有形文化財 村野家住宅」のパネルと「顧想園」の標
柱が立っていた。
     

 その説明パネル



 正面の薬医門は修復中のよう。個人住宅なので普段は見学できず、公開日は東久留米市
の広報やホームページなどで周知されるようだ。


 道路側は高い生け垣に囲まれてていて、わずかの隙間から建物の一部だけしか見えない。


     
 長い生け垣沿いに西進して南端の十字路を右折し、北西へと緑陰の道を進んで黒目川の
源流近くの細い流れを横切る。
     
 橋の周辺は特別緑地保全地区になっていて、その標柱が立っていた。
          

 その先、新興住宅地を500m余り進み、細い流れの出水川の出水川橋を渡る。
     

 さらに300m前後で野火止通りの中橋際へ。野火止用水沿いを左手にすぐ先、橋を渡
った流れの左岸が「恩多野火止水車苑」と呼ぶ緑陰の小公園。





 水車小屋があり、大きな水車が野火止用水からの流れを落として回っていた。
     



 ここには、江戸時代から終戦直後まで水車があったようで、それにちなんで水車苑をつ
くったことなどが記されていた。


     

 園内に休憩舎もあったので休み、水分補給をする。ここで今日の目的地はめぐり終えた。


 水車苑への橋から野火止用水を見下ろし、中橋に戻ってさらに先に進んで五差路の恩多
辻交差点まで行く。


 左折して南西への通りに入り、少し進んだところにあったうどん店、久兵衛屋に14時
10分に入る。

 冷やしたぬきそばランチ(814円税込み)を注文し、遅い昼食を済ませる。

 東村山市のマンホールデザインは、多摩湖の取水塔


 
 さらに700m余り進んで、14時48分に西武新宿線の久米川駅に着いた。

(天気 晴後曇、距離 10㎞、地図 1/2.5万・志木、所沢、「北多摩を歩いてみ
 ませんか」の地図、歩行地 清瀬市、東久留米市、東村山市、歩数 18,400 ) 



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