第4日 2019年5月31日(金)
== パドヴァから世界遺産フェラーラとラヴェンナ観光へ(2/3・フェラーラ) ==
パドヴァ旧市街の南部を出て、バスは5分ほどで流量豊富な川を越える。
緩やかな山並みなどを眺めながら進み、ポー川を渡って間もなくの11時14分に次の
観光地のフェラーラに着いた。
フェラーラの予想最高気温は25℃とのことで、少し暑さが気になる。
フェラーラ(Ferrra)は、ヴェネト州の南、エミリア ロマーニャ(Emilia Romagna)州に
あり、人口約13万人の基礎自治体でフェラーラ県の県都。州都ボローニャの北東約66
㎞に位置している。
14世紀にこの地を治めたエステ(Estence)家により整備され、ルネサンス期にはフィ
レンツェと並び文化の中心地のひとつとして栄えたという。フェラーラのルネサンス期の
市街とポー川デルタ地帯は、1995年に世界文化遺産に登録されている。
フェラーラの日本語ガイドはジャン カルロさん。2日後に訪ねるモデナに在住し、京
都に8年間住んでいたとのことで日本語は極めて堪能。
その上独特の巻き舌での「ル」音の連続は、ほかの人には真似できそうにない。
そのカルロさんに従い、旧市街中心部にあるエステンス(Estense)城へ。
掘に囲まれていて4隅に塔のあるレンガ造りの建物で、1385年から建造が始まり、
16世紀に補修されたよう。
当初の目的は、増税に反対する市民からエステ家自身を守るための城だったが、完成時
の16世紀には優美な中庭や大理石のテラス、フレスコ画で装飾された広間などが造られ
て一族の豪壮な住居になり、現在は多くの部屋が公開されていて、塔へも上ることができ
るという。
堀を見ながら城に向かって進み、跳ね橋を渡って城内に入る。
中には多くの観光客が訪れていた。
城内から見た北側の町並み。
さらに進むと大砲が残されている。その横でカルロさんから説明を聞いたが、メモして
ないのでいつ使われたものかは分からない。
城を抜けて広場に出た。たくさんの露店があり、ここも大勢の人出で賑わう。
その一角に、説教をしているようなジローラモ・サヴォナローラ(Girolamo Savonarola)
像が立っていた。
ジローラモ・サヴォナローラ は、1452年にフェラーラで生まれたドミニコ会の修道
士。フィレンツェで神権政治を行い、宗教改革の先駆者と評価されることもあるようだ。
時計塔のある城の主要部らしい辺りから、賑やかな露店などのぞきながら南に進む。
南側にはサン・ジョルジョ(San Giorgio)大聖堂があるが工事中で、大きな幕に大聖堂
正面の写真が描かれていた。
サン・ジョルジョ大聖堂はフェラーラ大聖堂とも呼ばれ、1135年に建てられたロマ
ネスク様式の聖堂。1235年には正面にゴシック様式も付加されたとか。3つの屋根を
持つ独特の形状のようだが、全体が見えないのが残念だ。
大聖堂の近くにはフェラーラ市庁舎がある。元々はエステ家が13世紀に建てた邸宅だ
ったよう。
入口前の2つの柱上に銅像があり、フェラーラ領主・ニコロ3世と子供の像だという。
12時02~25分までフリータイムとなったので、大聖堂周辺の広場や露店、大聖堂
の横の長い建物などを巡って眺める。
大聖堂に付属する鐘楼は、フェラーラで唯一の石造建築物のよう。1412年に創建さ
れ、未完のままで、ローマ古典主義と14世紀の彫刻を基盤としたデザインだという。
12時25分に集合して、近くの昼食をするレストランに入って昼食をした。
13時45分頃レストランを出てバスの駐車場に行き、13時55分にフェラーラを後
にする。
この後は、南東約約90㎞のラヴェンナに向かう。(続く)
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== パドヴァから世界遺産フェラーラとラヴェンナ観光へ(2/3・フェラーラ) ==
パドヴァ旧市街の南部を出て、バスは5分ほどで流量豊富な川を越える。
緩やかな山並みなどを眺めながら進み、ポー川を渡って間もなくの11時14分に次の
観光地のフェラーラに着いた。
フェラーラの予想最高気温は25℃とのことで、少し暑さが気になる。
フェラーラ(Ferrra)は、ヴェネト州の南、エミリア ロマーニャ(Emilia Romagna)州に
あり、人口約13万人の基礎自治体でフェラーラ県の県都。州都ボローニャの北東約66
㎞に位置している。
14世紀にこの地を治めたエステ(Estence)家により整備され、ルネサンス期にはフィ
レンツェと並び文化の中心地のひとつとして栄えたという。フェラーラのルネサンス期の
市街とポー川デルタ地帯は、1995年に世界文化遺産に登録されている。
フェラーラの日本語ガイドはジャン カルロさん。2日後に訪ねるモデナに在住し、京
都に8年間住んでいたとのことで日本語は極めて堪能。
その上独特の巻き舌での「ル」音の連続は、ほかの人には真似できそうにない。
そのカルロさんに従い、旧市街中心部にあるエステンス(Estense)城へ。
掘に囲まれていて4隅に塔のあるレンガ造りの建物で、1385年から建造が始まり、
16世紀に補修されたよう。
当初の目的は、増税に反対する市民からエステ家自身を守るための城だったが、完成時
の16世紀には優美な中庭や大理石のテラス、フレスコ画で装飾された広間などが造られ
て一族の豪壮な住居になり、現在は多くの部屋が公開されていて、塔へも上ることができ
るという。
堀を見ながら城に向かって進み、跳ね橋を渡って城内に入る。
中には多くの観光客が訪れていた。
城内から見た北側の町並み。
さらに進むと大砲が残されている。その横でカルロさんから説明を聞いたが、メモして
ないのでいつ使われたものかは分からない。
城を抜けて広場に出た。たくさんの露店があり、ここも大勢の人出で賑わう。
その一角に、説教をしているようなジローラモ・サヴォナローラ(Girolamo Savonarola)
像が立っていた。
ジローラモ・サヴォナローラ は、1452年にフェラーラで生まれたドミニコ会の修道
士。フィレンツェで神権政治を行い、宗教改革の先駆者と評価されることもあるようだ。
時計塔のある城の主要部らしい辺りから、賑やかな露店などのぞきながら南に進む。
南側にはサン・ジョルジョ(San Giorgio)大聖堂があるが工事中で、大きな幕に大聖堂
正面の写真が描かれていた。
サン・ジョルジョ大聖堂はフェラーラ大聖堂とも呼ばれ、1135年に建てられたロマ
ネスク様式の聖堂。1235年には正面にゴシック様式も付加されたとか。3つの屋根を
持つ独特の形状のようだが、全体が見えないのが残念だ。
大聖堂の近くにはフェラーラ市庁舎がある。元々はエステ家が13世紀に建てた邸宅だ
ったよう。
入口前の2つの柱上に銅像があり、フェラーラ領主・ニコロ3世と子供の像だという。
12時02~25分までフリータイムとなったので、大聖堂周辺の広場や露店、大聖堂
の横の長い建物などを巡って眺める。
大聖堂に付属する鐘楼は、フェラーラで唯一の石造建築物のよう。1412年に創建さ
れ、未完のままで、ローマ古典主義と14世紀の彫刻を基盤としたデザインだという。
12時25分に集合して、近くの昼食をするレストランに入って昼食をした。
13時45分頃レストランを出てバスの駐車場に行き、13時55分にフェラーラを後
にする。
この後は、南東約約90㎞のラヴェンナに向かう。(続く)
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やはり晴れた日の方が、街並みの彩りもよいですね。