あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

長岡天満宮から長岡宮跡へ

2006-04-17 12:32:03 | 京都を歩く
06年4月11日(火)続き
 桂離宮の参観を終えて桂駅から阪急電車に乗り、3つ目の長岡天神駅で
降りる。10時54分に駅前をスタートした。

 駅近くに「乙訓(おとくに)地域は、西山の山麓に竹林が広がり、京タケノコと、
かごやざるなど竹製品のの特産地…」との看板があった。

 駅名にもなっている長岡天満宮は、西に500m足らずである。手前に、桂離宮
ゆかりの八条宮智仁親王が開いた、潅漑用の溜池、八条池がある。向うに見え
るのは料亭らしい。
 
 真ん中を横切っている中堤には、りっぱなキリシマツツジ両側に植えられて
いて、4月下旬という花どきは見事だろうと思われた。

 見返り天神ともいわれる長岡天満宮は、菅原道真公が昌泰4年(901)に
左遷され太宰府に向かう途中、かつて在原業平らと詩歌管弦を楽しんだこの地
に立ち寄り、名残を惜しんだという。

 境内は、ピンクのしだれ桜やソメイヨシノなどが見ごろで、モミジも淡い新緑
の若葉を広げていた。


 西北に進んで市民体育館の北側山すそにある長法寺(ちょうほうじ))へ。
延喜年間(901~923)に創建された天台宗延暦寺の末寺。平安時代の
仏画の傑作、国宝・絹本釈迦金棺出現図の模本があるというが、拝観はでき
ないとのことだった。

 さらに北に進み、西山(せいざん)浄土宗総本山・光明寺(こうみょうじ)に
着く。まず門前にある境内を描いた全景図を見て、予想外の境内の広さに驚く。

 光明寺は、建久9年(1198)、法然上人の弟子、熊谷直実が草庵を開いた
のがはじまり。法然上人が念仏の法門を最初に説いた地だという。

 総門をくぐってゆるやかな石段を上がると、大きな本堂(御影堂)など幾つ
もの大きな建物が並んでいる。

 本堂は、宝暦3年(1753)の建立。境内はやはりソメイヨシノがあちこち
で満開の花を競っていた。

 本堂の近くには、高さ15m、根元周囲4.6m、樹齢4~500年といわれる
ビャクシンの巨樹が立っていた。

 寺の門前には、竹製品を販売する旧家が残っていた。

 13時半近く、近くにあった「もみじの里」という手打ちうどん店に入り、遅い
昼食をする。                             
                              (さらに続く)

 


 

 

 
 

 

 

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