2013年3月23日(土)
所沢市にある山里探訪会と、秩父まるごと博物館共催の、第4回「武甲の里山を歩く」
に参加する。
集合は西武秩父線の芦ヶ久保駅。所沢市周辺と秩父市の人が中心で50人前後集まり、
秩父まるごと博物館の中谷理事長の挨拶、コースを企画した山里探訪会代表の飯野さんか
らコース説明があり、2班に分かれて10時4分に出発した。
駅前広場にはこんな張り紙があった。ここまで熊さんが来るとは思えぬが…。
駅付近の殿界戸(とのかいと)集落は、横瀬(よこぜ)川沿いを走る国道299号に沿
って、北側の斜面に階段状に並んでいる。駅から国道に下りて東に向かう。
公会堂の先の民家の前に、大日如来の石仏を祭った小さな大日堂があった。そのあたり
で右カーブする横瀬川左岸と国道との間には、弁天岩と呼ぶ高さ4mほどの巨岩が横たわ
っている。
近くの白梅がちょうど見ごろである。
少し先の大畑集落の路傍には、古い庚申塔や六十六部供養塔、馬頭尊、地蔵尊の4体が
並んでいる。
1月から降雨が少ないので、横瀬川の流量は少ない。
赤谷集落に入る辺りで、二二九沢(にふくざわ)と呼ぶ流れが横瀬川に流入している。
もとの名は田坂沢と呼んでいたようだが、昭和22(1947)年9月の台風で沢が氾濫
し、死者を出す大惨事を引き起こしたので、この惨事の年を忘れぬために沢の名を改めた
という。そばのお堂に、漆ヶ崎地蔵が祭られていた。
赤谷集落から大野峠に向かう道に入る。お地蔵さんの横を上がって行くと紅梅が花を見
せる。
近くの民家や畑は斜面にあるので、石垣で囲んでいる。
掛樋(かけひ)からまろやかな湧水が流れ落ち、近くにまだ花の咲き残るツバキの古木
に支えられた大岩がある。
ここに椿堂と呼ぶお堂があったようだが、現在はその先の民家の前に移され、小さい堂
内には、木造の十一面観音が祭られていた。
国道の赤谷トンネルの手前、石垣に囲まれた急階段上には赤谷観音堂がある。通称「姥
神(うばがみ)観音堂」と呼ばれているとか。普段は見られないようだが、今日は地元の
赤岩さんに開けてもらい拝観する。
堂内には千手観音と十六善神、馬頭観音が祭られ、「千匹猿」と呼ぶたくさんの猿の縫
い物が下がっている。
明治年間の奉納という、旅籠や観音堂参拝風景を描いた「姥神の絵馬」や、沢山の繭玉
(まゆだま)が奉納された額などもあった。
そばの杉の木の下には、赤岩家のものという、富士小御嶽、富士浅間、摩利支店を祭っ
た三社様のお堂もある。
国道の、短い赤岩トンネルには入らず、右手の旧道を回る。トンネルの先にマンサクが
咲き、古いお地蔵さんのそばに、車にひかれたらしいテンの死骸が横たわる。
家並みは途切れ、路傍にはシタザクラという、初めて見る桜とは見えない花が咲いてい
た。二子沢のそばで、国道は長さ1918mの正丸(しようまる)トンネルに入る。
トンネル手前で国道を左に分けた県道際は、芦ヶ久保小学校の入山(いりやま)分校跡。
校庭もないような小さな空き地には現在、携帯電話のアンテナ設備が設けられている。
分校は昭和27(1952)年4月に開校し、昭和42(1967)年3月に統合によ
り廃校したとの記念碑があり、校門も残っていた。ここで小休止して軽食の時間となり、
その後、植物に詳しいIさんが、途中で採集してきた草木をいろいろ紹介してくれた。
県道は10分足らずで旧正丸峠への道標に従い、左に入る林道南沢線へ。入山の小集落
を抜け、南沢橋を渡って間もなく、大きな枯れ木の下に三つの石像が立っていた。
その一つの自然石は「追分の道標」と呼ばれ、「右なぐり八王子 左子(ね)のごんげ
ん江戸」と刻まれている。右の名栗への道は、現在はほとんど歩く人は無いらしい。
ほかの2体の石仏は、生長した木に押されて、根元で崩れ落ちそうになって立っていた。
左手の南沢に水は無く、平成10年の県の工事による、間伐材で造られた砂防ダムが続
いている。
林道終点に12時25分に着き、わずかな平地で昼食に。スタート時は快晴だったが、
次第に雲が全天に広がり、薄寒くなってきた。
30分ほどで出発し、その先は細い山道となる。あたりにはカタクリの葉が沢山出てい
て、あと何日かすると花も見られそう。
周辺の樹木は枯れ枝のままだが、ところどころにアブラチャンが沢山の小さな花を見せ
ている。斜面が崩れて歩きにくいところもあった。
熊のひっかき傷らしい木の横を通過し、標高665mの旧正丸峠に上がった。
ここでIさんから、上がってきた横瀬町側はコナラ、ミズナラ、ホウノキなどの落葉樹
が主で、下る飯能市側は杉やヒノキが多いなどの説明がある。
下り道も上り同様に急傾斜は無く、緩やかな斜度が続く。杉木立の下にも、アブラチャ
ンがところどころに花を見せる。
旧国道に下る近くに、ヤマネコノメソウと呼ぶ、初めて聞く草があった。旧国道を少し
で、再び杉木立の中の山道に入る。
大岩と大ケヤキのところで小休止して、もう一度Iさんが周辺の植物を紹介してくれた。
すっかり摩耗した古い馬頭観音像のところには、草花が供えられている。
背の高い杉林を抜けると周辺が開け、ツツジやアズマイチゲが咲く。
坂本の集落では白梅が見頃で、民家のそばの畑ではフキノトウモ沢山咲き競っていた。
近くの民家の道路側に「右大野 左ちちぶ道」と刻まれた道標が立ち、すぐ先には八坂
神社と子育地蔵尊のお堂が並んでいる。
道路の反対側の岩にたくさんの岩松が植えられ、その上に日月と思われる石が祭られて
いた。
国道299号に出て「高麗川源流」標識を過ぎ、14時54分に正丸駅前にゴールした。
山里探訪会代表の飯野さんから、今後の企画の紹介などがあり、散会となる。
(天気 快晴後曇、距離 8.5㎞、地図(1/2.5万) 正丸、歩行地 横瀬町、飯能市、
標高差 上り約480m、下り約490m、歩数 15,700)
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所沢市にある山里探訪会と、秩父まるごと博物館共催の、第4回「武甲の里山を歩く」
に参加する。
集合は西武秩父線の芦ヶ久保駅。所沢市周辺と秩父市の人が中心で50人前後集まり、
秩父まるごと博物館の中谷理事長の挨拶、コースを企画した山里探訪会代表の飯野さんか
らコース説明があり、2班に分かれて10時4分に出発した。
駅前広場にはこんな張り紙があった。ここまで熊さんが来るとは思えぬが…。
駅付近の殿界戸(とのかいと)集落は、横瀬(よこぜ)川沿いを走る国道299号に沿
って、北側の斜面に階段状に並んでいる。駅から国道に下りて東に向かう。
公会堂の先の民家の前に、大日如来の石仏を祭った小さな大日堂があった。そのあたり
で右カーブする横瀬川左岸と国道との間には、弁天岩と呼ぶ高さ4mほどの巨岩が横たわ
っている。
近くの白梅がちょうど見ごろである。
少し先の大畑集落の路傍には、古い庚申塔や六十六部供養塔、馬頭尊、地蔵尊の4体が
並んでいる。
1月から降雨が少ないので、横瀬川の流量は少ない。
赤谷集落に入る辺りで、二二九沢(にふくざわ)と呼ぶ流れが横瀬川に流入している。
もとの名は田坂沢と呼んでいたようだが、昭和22(1947)年9月の台風で沢が氾濫
し、死者を出す大惨事を引き起こしたので、この惨事の年を忘れぬために沢の名を改めた
という。そばのお堂に、漆ヶ崎地蔵が祭られていた。
赤谷集落から大野峠に向かう道に入る。お地蔵さんの横を上がって行くと紅梅が花を見
せる。
近くの民家や畑は斜面にあるので、石垣で囲んでいる。
掛樋(かけひ)からまろやかな湧水が流れ落ち、近くにまだ花の咲き残るツバキの古木
に支えられた大岩がある。
ここに椿堂と呼ぶお堂があったようだが、現在はその先の民家の前に移され、小さい堂
内には、木造の十一面観音が祭られていた。
国道の赤谷トンネルの手前、石垣に囲まれた急階段上には赤谷観音堂がある。通称「姥
神(うばがみ)観音堂」と呼ばれているとか。普段は見られないようだが、今日は地元の
赤岩さんに開けてもらい拝観する。
堂内には千手観音と十六善神、馬頭観音が祭られ、「千匹猿」と呼ぶたくさんの猿の縫
い物が下がっている。
明治年間の奉納という、旅籠や観音堂参拝風景を描いた「姥神の絵馬」や、沢山の繭玉
(まゆだま)が奉納された額などもあった。
そばの杉の木の下には、赤岩家のものという、富士小御嶽、富士浅間、摩利支店を祭っ
た三社様のお堂もある。
国道の、短い赤岩トンネルには入らず、右手の旧道を回る。トンネルの先にマンサクが
咲き、古いお地蔵さんのそばに、車にひかれたらしいテンの死骸が横たわる。
家並みは途切れ、路傍にはシタザクラという、初めて見る桜とは見えない花が咲いてい
た。二子沢のそばで、国道は長さ1918mの正丸(しようまる)トンネルに入る。
トンネル手前で国道を左に分けた県道際は、芦ヶ久保小学校の入山(いりやま)分校跡。
校庭もないような小さな空き地には現在、携帯電話のアンテナ設備が設けられている。
分校は昭和27(1952)年4月に開校し、昭和42(1967)年3月に統合によ
り廃校したとの記念碑があり、校門も残っていた。ここで小休止して軽食の時間となり、
その後、植物に詳しいIさんが、途中で採集してきた草木をいろいろ紹介してくれた。
県道は10分足らずで旧正丸峠への道標に従い、左に入る林道南沢線へ。入山の小集落
を抜け、南沢橋を渡って間もなく、大きな枯れ木の下に三つの石像が立っていた。
その一つの自然石は「追分の道標」と呼ばれ、「右なぐり八王子 左子(ね)のごんげ
ん江戸」と刻まれている。右の名栗への道は、現在はほとんど歩く人は無いらしい。
ほかの2体の石仏は、生長した木に押されて、根元で崩れ落ちそうになって立っていた。
左手の南沢に水は無く、平成10年の県の工事による、間伐材で造られた砂防ダムが続
いている。
林道終点に12時25分に着き、わずかな平地で昼食に。スタート時は快晴だったが、
次第に雲が全天に広がり、薄寒くなってきた。
30分ほどで出発し、その先は細い山道となる。あたりにはカタクリの葉が沢山出てい
て、あと何日かすると花も見られそう。
周辺の樹木は枯れ枝のままだが、ところどころにアブラチャンが沢山の小さな花を見せ
ている。斜面が崩れて歩きにくいところもあった。
熊のひっかき傷らしい木の横を通過し、標高665mの旧正丸峠に上がった。
ここでIさんから、上がってきた横瀬町側はコナラ、ミズナラ、ホウノキなどの落葉樹
が主で、下る飯能市側は杉やヒノキが多いなどの説明がある。
下り道も上り同様に急傾斜は無く、緩やかな斜度が続く。杉木立の下にも、アブラチャ
ンがところどころに花を見せる。
旧国道に下る近くに、ヤマネコノメソウと呼ぶ、初めて聞く草があった。旧国道を少し
で、再び杉木立の中の山道に入る。
大岩と大ケヤキのところで小休止して、もう一度Iさんが周辺の植物を紹介してくれた。
すっかり摩耗した古い馬頭観音像のところには、草花が供えられている。
背の高い杉林を抜けると周辺が開け、ツツジやアズマイチゲが咲く。
坂本の集落では白梅が見頃で、民家のそばの畑ではフキノトウモ沢山咲き競っていた。
近くの民家の道路側に「右大野 左ちちぶ道」と刻まれた道標が立ち、すぐ先には八坂
神社と子育地蔵尊のお堂が並んでいる。
道路の反対側の岩にたくさんの岩松が植えられ、その上に日月と思われる石が祭られて
いた。
国道299号に出て「高麗川源流」標識を過ぎ、14時54分に正丸駅前にゴールした。
山里探訪会代表の飯野さんから、今後の企画の紹介などがあり、散会となる。
(天気 快晴後曇、距離 8.5㎞、地図(1/2.5万) 正丸、歩行地 横瀬町、飯能市、
標高差 上り約480m、下り約490m、歩数 15,700)
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