あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

東京都心の三角点・水準点巡り

2013-05-15 21:08:51 | 地図
 2013年5月7日(火)

 連休明けも好天に恵まれた。先日解散した地図歩きグループのメンバーNさんと、東京
都心にある三角点と水準点巡りに出かけることにした。

 目的地は、「地図と愉しむ東京歴史散歩」(竹内正浩著、中公新書)の最初、「石垣に
刻まれた幻の水準点」に紹介された三角点や水準点を回ろうというものである。

 JR新橋駅に10時に集合して西口のSL広場を出て、最初に愛宕山に向かう。新橋4
丁目の日比谷通りに、「浅野内匠頭終焉之地」碑が立っていた。

 元禄14(1701)年3月14日、旧田村右京太夫屋敷跡で自刃したという。

 すぐ先で、道路工事中らしい広い空き地を横断する。同書にて「マッカーサー道路」と
記された環状2号線のようで、道路は地下に通すのだと帰宅後知る。


 愛宕通りに出て南にすぐで愛宕山の下に着いた。鳥居をくぐり「出世の階段」と呼ばれ
る男坂の階段を上がることにした。

 男坂は山上にある愛宕神社に向かって正面を上がる86段の急勾配の石段で、寛永年間
(1624~44)に間垣平九郎(まがきへいくろう)が馬で上下したと伝えられている。


 石段を上がった正面に愛宕神社の朱塗りの門があるが、参拝は後にして明治9(1876)
年以降に設置した日本最初の水準点といわれる「几号(きごう)水準点」を探す。


 水準点は、社殿手前右手の石碑の台座の隅に刻まれていた。石碑の文字は読みにくいが、
「愛宕神社起倒流拳法碑」らしい。



 地形図上には25.7mの三角点もあるので、その位置周辺を探したが見つからない。ち
ょうど来た近所の方が、「見たことがある」と探して教えてくれた。


 弁天池の横の大石の前に「三角点」の標石が立っていたが、三角点は鉄の蓋に覆われて
いて、開けてみることは出来なかった。


 二つの目的物を確認後、神社に参拝する。拝殿内部には奉納された大きな額が掲げられ、
そのひとつに間垣平九郎の絵もあった。


 境内には、「この石をなでて福を身につけて下さい」と記された招き石もあり、招福に
期待して私もなでる。


 南側にあるNHK放送博物館の観覧も予定していたが、連休開けの火曜日で休館してい
た。神社の背後から、山の北側を回る女坂を下って愛宕山を去る。

 愛宕通りを北に向かうと、すぐ先の交差点際にそば処「砂場」の古い木造建築が残って
いる。周辺はビルばかりなので目についた。


 外堀通りを横断して内幸町へ。経済産業省別館前に、「帝国議事堂跡」の説明板が立っ
ていた。

 明治23(1890)年11月に開催された、第1回帝国議会に合わせて仮議事堂とし
て木造で建設されたが、翌年1月には出火して全焼し、3年後に木造二階建ての議事堂が
再建されたという。

 次の目的地、日比谷公園に南西の西幸門(にしさいわいもん)から入る。園内には、二
つの水準点が残っているという。


 日比谷図書館の横から日比谷公会堂の東に回り、公園の南東端にある烏帽子岩の中央下
部の、草に覆われた几号水準点を確認した。




 烏帽子岩は江戸時代、江戸城外郭の市ヶ谷御門の石垣の中にあったが、道路拡張に伴い
石垣が取り壊され、ここに移したという。


 日比谷通りに沿った園路を北に向かう。第二花壇や大噴水を眺めながら進んで、公園の
東北にある心字池(しんじいけ)に回る。




 池の南端付近に南極の石が無造作に置かれていた。昭和基地から4㎞の、オングル島の
慎太郎山で採取した重さ150の片麻岩で、昭和41(1966)年4月にここに設置し
たとのこと。


 二つ目の几号水準点は、すぐ先の池畔にある「亀石」と呼ぶ平べったい石に刻まれてい
た。



 いずれも表示はなく、東京歴史散歩の本がなければ探せなかっただろう。


 日比谷公園の二つの水準点は見つかったので、少し早いが園内にある松本楼でのカレー
昼食とする。


 2階の宴会場「銀杏」でのカレービュッフエは11時半からのオープン。ちょうどオー
プンしたばかりなので空いていた。

 3種のカレー、スープ、料理、デザートなどがバイキング方式で飲食できる。窓の外の
新緑や窓辺の花などを眺めながら味わった。

 公園西側の霞門を出て、農林水産省や外務省の北側を進み、六本木通りから伸びる都道
412号に回る。


 国会議事堂を左上に見て国会前交差点を渡り、憲政記念館南側の公園に入った。

 公園の東南端に、地形図には記されてない1等水準点があった。そばに日本水準原点が
あるので、記されないのだろうか…。


 日本中の標高の基準となる水準原点は、少し上がったピークに近い、重厚な石造りの建
物にある。

 明治24(1891)年の設置当時は東京湾の平均海面から24.5mされたが、大正
12(1923)年の関東地震と一昨年3月の東北地方太平洋沖地震の地殻変動で、現在
の標高は24.39mに改正したという。

 標庫と呼ぶローマ神殿のような石造平屋の建物は、東京都有形文化財に指定されている。



 そばの広場には、憲政記念館建設時の昭和35(1980)年に完成した、高さ31.5
mの時計塔が立っている。



 東に見える丸の内のオフィスビルや皇居・桜田堀を眺めながら、国会前交差点に下る。
これから行く桜田門が工事中で、建物が覆われているのも望まれる。


 桜田門の皇居外苑側石垣にも、几号水準点が刻まれているようだが、そばに行ったらや
はり工事中の板塀に囲まれていて、探すことは出来なかった。

 門を入って皇居外苑に回り、二重橋前広場を通過する。付近には、西欧系らしい外国人
観光客が何組も見られた。



 巴櫓(ともえやぐら)↑を見ながら桔梗堀(ききょうぼり)の角を曲がり、大手門前に
行く。大手門から皇居東御苑に入って几号水準点を確かめる予定だったが、ここも連休後
の火曜日で閉園していた。

 今日の三角点、水準点めぐりは終えることにして東京駅に向かう。

 国道1号・日比谷通りから、東京駅丸の内口正面に通じる行幸通りに入り、復元された
東京駅を見る。


 南口方面に回り、旧東京中央郵便局を改築した「KITTE(きって)」と呼ぶ新しい
ビルに入った。6階まで吹き抜けの広場からエレベーターに乗って屋上に出る。



 眼下に東京駅丸の内南口が見下ろせ、東京駅の有楽町寄り線路や新幹線などのホームが
一望である。

 休日だが年配の人を中心に観光客が多く、昨日までの連休にはさらに賑わったものと思
われた。


 KITTEを出て東京駅丸の内南口に入り、大ドームを見上げる。


 松の植えられた中央口にも回ってカメラを構える。ここで解散することにして、14時
頃にNさんと分かれた。


 私は八重洲口に回って八重洲ブックセンターに行き、新しい地形図などを購入してから
帰路についた。

(天気 快晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 東京首部、歩行地 港区、千代田区)




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4 コメント

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愛宕神社近辺 (ht)
2013-05-16 09:49:28
今年新橋駅から梅の花が綺麗な時に、赤坂見附に向けて歩きました、田舎とは違う風情があります。
返信する
江戸の名残 (saikoroat)
2013-05-16 10:21:19
都心には江戸の名残の場所が多く、緑も結構あり、
歴史散歩には良い場所が多いですね。
返信する
日比谷公園 (same)
2013-05-16 19:11:12
ご一緒したかったです。

前の職場が近かったので日比谷公園はよく行ってましたが、心字池の水準点は知りませんでした。愛宕山の三角点は鉄の蓋を開けて見たような気がします。

田の神さあ(たのかんさあ)の記事も懐かしく詠みました。愛嬌のある田の神さあが多く、昔から花が絶えないなどみなさんが大事にしてました。

それと私の友人に都城島津家の末裔(と本人が豪語している)がおります。友人はまた日本海軍の父山本権兵衛の遠縁でもあるらしいです。口グセは鹿児島市内ではパッとしないけど、都城(鹿児島弁ではミヤコンジョ)では大セレブだそうです。
返信する
Nさんと楽しく (saikoroat)
2013-05-16 22:39:38
天気もよく、Nさんと楽しく巡りました。
桜田門と東御苑の確認ができなかったのが残念ですが、
別の機会に再訪したいと思います。

初めての宮崎県でしたが、いろいろなところで親切に対応してもらい、
よい印象で回ることが出来ました。
返信する

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