「旅を楽しくする地図・地名講座」というのに昨年11月から参加しているのですが、今日は第6回目の講座でした。今日のテーマは「江戸・東京散歩」です。
太田道灌が江戸城を築き、徳川家康が1603年に江戸城に入って以来江戸は日本の実質的な首都となりました。その江戸の今昔を、明治初期や大正期の地形図と今日の地形図とを比べてみると大変興味があります。大名屋敷跡がホテルになっていたり、山手線が輪になっていなかったり、江戸の中心が日本橋界隈から銀座に移ったり、東京湾の埋め立てがどんどん進んだことなどがわかります。
講義終了後、不忍池から不忍通りを南へ向かい、昌平橋を渡って靖国通りに出て、淡路町から駿河台下へ、さらに明大通りを御茶ノ水駅に上がり、外堀通りを通ってメトロ後楽園駅まで散歩しました。江戸の名残はないかと探してみたら、外堀通りに神田上水の掛樋跡の碑がみつかり、昔の絵図も彫り込まれていました。
太田道灌が江戸城を築き、徳川家康が1603年に江戸城に入って以来江戸は日本の実質的な首都となりました。その江戸の今昔を、明治初期や大正期の地形図と今日の地形図とを比べてみると大変興味があります。大名屋敷跡がホテルになっていたり、山手線が輪になっていなかったり、江戸の中心が日本橋界隈から銀座に移ったり、東京湾の埋め立てがどんどん進んだことなどがわかります。
講義終了後、不忍池から不忍通りを南へ向かい、昌平橋を渡って靖国通りに出て、淡路町から駿河台下へ、さらに明大通りを御茶ノ水駅に上がり、外堀通りを通ってメトロ後楽園駅まで散歩しました。江戸の名残はないかと探してみたら、外堀通りに神田上水の掛樋跡の碑がみつかり、昔の絵図も彫り込まれていました。
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