あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

品川駅から東京駅まで歩く

2008-03-13 23:17:11 | 江戸・東京を歩く
 今日は、東京・品川駅東口の歯科医院へ定期検診に
出かけたため、LLウオークの入力が出来なかったので、
品川駅から東京駅まで歩いたレポートをアップします。

=======================



 13時半近く、歯科医院での治療が終わり、品川駅
東口付近の店で昼食をして帰途につく。

 写真は、品川駅東口の駅ビル。

 快晴で暖かなのと、途中の寄り道も考えていたので、
東京駅まで歩いて行くことにする。

 なぜ自宅から1時間半もかけて、品川の歯科医院
まで行くのかといえば、10年以上前に、品川駅東口
のこのビルに勤めていたときに、お世話になったから。


 以来、半年ごとに「歯の点検にお出で下さい」との
はがきをもらうので、行ってチェックしてもらったり、虫
歯が痛んだりしたときに治療に出かけたりして、ずっ
とお世話になっている。

 品川駅東口は、新しいビルが林立し、当時とすっか
り変わってしまった。線路に沿って隣の駅・田町方向
に向かう。

 芝浦水再生センター沿いにある芝浦中央公園の、
モクレンの芽がかなりふくらんでいた。


 品川駅と田町駅との中間にある、小さな高浜公園
の横から、20本以上あると思われるJR線路の下
を、東西に抜ける地下道があるのをご存じだろうか。

 ここが東側入口である。


 地下道の高さは170㎝足らず。背の高いトラックなど
は通れず、乗用車のみ。それも西から東への一方通行
で、片側に歩道(写真では右側)がついている。

 私は、頭をかがめずに何とか通れるが、170㎝以上
の人は頭を下げないと天井にぶつかってしまう。

 西に抜けたところ、国道15号(第1京浜)際に、史蹟・
高輪大木戸(たかなわおおきど)跡がある。

 江戸中期の享保9年(1724)に築造されたもので、
江戸の入口として道幅約6間(約10m)の旧東海道の
両側に石垣を築き、夜は閉じて通行止めにしたという。 

 国道15号を北に向かうと、笹川記念財団のビルが
あり、笹川良平氏が母親を背負ったこの銅像は、ご存
じの方も多いことと思う。


 札の辻(ふだのつじ)交差点からは、国道1号を通
して東京タワーが望まれる。

 札の辻には、天保2年(1831)につくられ、江戸
六大高札場のひとつだった高札場があったとのこと。

 田町駅入り口や都営地下鉄三田駅のすぐ先に、西郷
隆盛と勝海舟が会見し、江戸開城に合意した記念碑が
ある。

 明治維新前夜の慶應4年(1868)3月14日に、
勝海舟が江戸を戦火から救うため、西郷と会見して
無血開城を決めた場所である。

 この記念碑の横を入り、国道とJR線路との間の細
い通りにある喫茶「草の花」に入る。

 以前にも紹介したことがあるが、ここのオーナー・
Yさんは、私たちカントリウオークグループの仲間。

 会報3月号を届けに寄ったのだが、あいにくご不在。
おいしいコーヒーを味わい、お店の人に会報を託して
「草の花」を後にした。

 さらに国道15号を先に進む。芝4交差点で大きく左
にカーブして金杉橋を渡る。橋から東京港側を見下ろ
すと、たくさんの屋形船が並んでいた。


 JR浜松町駅に近い都営地下鉄大門駅上を通過し、
国道15号は新橋駅の手前でJRのガードをくぐって、
線路の東側に回る。

 国道を離れ、そのまま線路の西側を進んで新橋駅
西口広場に出る。ここには、SL・C11 292号が
静態保存されている。

 この付近で、デートや夜の宴会の待ち合わせをした
人も多いのではなかろうか。 あなたはいかが?

 線路沿いを進んで、高いアンテナ塔のある東京電力
本社や、帝国ホテルのタワービル横を過ぎると有楽町。

 電気ビル南館1階にある「ふるさと情報プラザ」は、私
のいつもの立ち寄り場所。今日も寄って地方の自治体
のパンフレットを幾つかもらう。

 有楽町駅で東側に出て、交通会館にも入る。ここには
北海道、長野、滋賀など幾つかの道県のアンテナショ
ップがあるので、立ち寄り場所のひとつだ。

 今日最後の立ち寄り場所は、東京駅八重洲口の八重
洲ブックセンター。B1の地図売り場や観光本コーナー
などをのぞく。

 いつ行けるか分からぬが、熊野古道中辺路のいい地
図があったので求め、東京駅八重洲口へ。


 八重洲地下街から丸の内地下に回り、17時前後に、
東京メトロ丸ノ内線で池袋に向かった。
 
 品川駅から東京駅まで、多少迂回や寄り道もしたの
で、歩行距離は約9㎞であった。

 JRだと品川~東京間の営業距離は6.8㎞。新幹線
の駅間距離では最短であろうが、東海道新幹線のひと
駅間を歩いたことになる。


 
 
 

 

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 牛久沼から涸沼へ88㎞はち... | トップ | 「e-Tax」での確定申告を終える »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
田町は懐かしい (ほはと)
2008-03-14 09:07:27
小生は勤め人時代に、田町駅に20-30年通いました。
写真など懐かしく眺めました。田町駅近くの三菱ビルの前の西郷・勝の会見場の石碑は、三菱ビルのできた昭和41年ごろにできたと思います。手入れがいいのか写真では新しく見えます。丁度この場所で、第一京浜国道が左に曲がるところには都電の車庫があったのですが、今では都営アパートになっていますね。昭和41年には都電はもう走っていなかったですが、アパートは昭和50年ころできたかな?
しかし田町~品川間の地下道は知りませんでした。いつごろできたのでしょうかね。
返信する
江戸開城記念碑 (saikoroat)
2008-03-14 10:29:27
 西郷・勝の記念碑は真新しいので、最近のものかと思いましたが、もう40年以上経つのですか。誰かが、毎日手入れしているのかもしれません。
 そういえば、ほはとさんの会社は三田にありましたね。都電の車庫上を都営住宅にしているところは杉並などほかにもあり、同じような建物なので見るとすぐ分かります。
 地下道は、高輪大木戸跡のすぐ横を少し下って行きます。私は品川に勤めていたときに、この地下道を抜けて三田にある別のビルによく行きました。
返信する

コメントを投稿

江戸・東京を歩く」カテゴリの最新記事