上秋4
秋風に 鳴く雁が声(ネ)ぞ ひびくなる
誰が玉づさ かけて来つらむ 紀友則 (古今集 ・207)
<大意> 秋風が吹いて南に渡る雁の鳴く声が聞こえて来たが、誰への便りを首に懸けて
きたのであろうか
<万葉仮名表記>
秋風丹(ニ) 鳴(ナク)雁(カリ)歟(カ)声(子)曾(ソ )響(ヒビク)成(ナル)
誰(タ)歟(カ)玉梓(タマヅサ)緒(ヲ)懸(カケ)手(テ)来(キ)都(ツ)濫(ラム)
oooooooooooo
爽やかな秋風が頬を撫ぜる夕暮れ時、どこからともなく初雁の鳴く声が耳に届いた。“お便りですよ“とのお報せだ。見上げると、澄み切った西の空に、一羽を先頭にして、後ろ両側にそれぞれ整列をなして南に向かう群れ。誰への”便り“を携えているのであろう。
遥かな遠方より届けられた“お便り”。胸踊り、震える手を抑えつゝ、封を切って読み進めていくうちに、こころの籠った美しい文、行ごとに涙が零れて止まない。と当歌の問いに対し、漢詩で答えてくれました。胸が熱くなるお便りであったのでした。
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<『新撰万葉集』漢詩および読み下し文> [下平声八庚韻]
聴得帰鴻雲裏声、 聴き得たり帰鴻(キコウ) 雲裏(ウンリ)の声、
千般珍重遠方情。 千般珍重す 遠方の情。
繋書入手開緘処、 書を繋け入手して緘(カン)を開く処、
錦字一行涙数行。 錦字(キンジ)一行 涙 数行。
註] 鴻:大型の雁; 緘:手紙の封。
<漢詩の現代語訳>
はるか雲の向こうから雁の鳴く声が聞こえてきたが、
内容が何事であれ、遠方から届けられた大切な思いなのだ。
掛けられた書を手にして開封するや、
煌びやかな文字の一行を読むごとに 数行の涙が溢れてきた。
<簡体字およびピンイン>
听得帰鸿云里声、 Tīng dé guī hóng yún lǐ shēng,
千般珍重远方情。 qiān bān zhēnzhòng yuǎnfāng qíng.
系书入手开缄处、 Xì shū rùshǒu kāi jiān chù,
锦字一行涙数行。 Jǐn zì yī háng lèi shù háng.
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当歌の作者・紀友則(?~905)は、百人一首に撰ばれた素晴らしい歌を残している(百33番、閑話休題144)。満開の桜花の下、ひらひらと舞い散る花に対して、何故にこんなに散り急ぐのか?と。当歌は、「是貞親王家歌合」に出詠された歌である。
友則(?~905)は、紀貫之(百35番、閑話休題140)のいとこで、平安時代前期に活躍した。歌人として高く評価されながら、40歳過ぎまで無官・不遇であった。彼の才能を認め、取り立てたのは時の権力者・藤原時平ではなかったか、と、歌集に残る贈答歌から想像される。
すなわち:偶々、友則が時平と会った折、「その歳まで何故に花も咲かず、実も結ばなかったのか」と時平に問われて、「春は、毎年来るのに、花の咲かない木をなぜ植えたのか」と返歌したと。その後、友則は職を得た。三十六歌仙の一人である。貫之らと『古今和歌集』の編纂に携わっていたが、完成を見ないで病没した。
雁と便りとの関係は、中国の故事に拠る。漢武帝の頃、蘇武は、捕虜交換の使いとして北國・匈奴に赴いたが、捉えられ、北海の辺りに追いやられた。次代・昭帝の時、狩で仕留めた雁の足につけられた帛(キヌ)に「蘇武は健在」とあったと、蘇武の返還を要求、蘇武は無事に帰還できた(『漢書』蘇武伝)。雁書、雁の玉梓、等々の故事である。
『新撰万葉集』漢詩について:前述の如く、当歌を元にした“本歌取り”の詩であると言えよう。しかし歌では疑問を投げかけ、読者にあれこれと想像する機会を与えているのに対し、漢詩では回答が出て、“味”が無くなったかな と。但し漢詩では、便りの内容に大きな感動を覚えて、訴えています。
この漢詩については、以下、作詩規則上気になる点があります。
1) 結句中脚韻の“行”について。“行”には意味の違いにより、大きく発音、したがって“韻”が異なる:・行く、行為:“xíng”、下平声八庚韻; ・(1行2行の)行:“háng”、下平声七陽韻。本詩では、後者に当たり、起・承句の下平声八庚韻とは合わない。(上記ピンイン表示中、青色表示)。
2) 結句中4番目の字(“4字”)が孤平:平字“行”が、仄字“一”と“涙”に挟まれている。七言絶句では、「“4字”の孤平は厳禁」とされている。“x一行y数行”の“対”表現では許される か?
3) 結句中の冒韻:結句の韻字“行”が、句の最後・脚部以外の場所で出ている。絶対的な規則ではなさそうですが、「詩の韻字と同じ韻目に属する字は、脚韻部以外の場所では避ける」ことになっている。本詩の場合のように、““x一行y数行”と“対”となる場合は赦される か?
『新撰万葉集』について:『萬葉集』に継ぐ新しい和歌の撰集として、宇多帝が企図した『新撰万葉集』の編纂は、時宜を得た企画であったと思われます。実際は、次帝・醍醐朝で、最初の勅撰和歌集として『古今和歌集』の結実を見た。
『新撰万葉集』を紐解き始めて、諸々の疑問がモヤモヤとして、脳内に蟠っていて、整理ができないでいる。・和歌の撰集を目指しながら、何故に漢詩を添えたのか? ・添えられた漢詩は、道真の作であろうか? 等々。
先に百人一首シリーズで、百人一首5番・猿丸太夫:「奥山に 紅葉踏みわけ……」に関する『新撰万葉集』漢詩に触れました(閑話休題141)。本稿シリーズを含めて、計4首の漢詩を振り返って見たとき、同集中の漢詩は、筆者の如き初学生にとって手に負える資料ではない との判断に至った。ここでこのシリーズは置くことにする。
秋風に 鳴く雁が声(ネ)ぞ ひびくなる
誰が玉づさ かけて来つらむ 紀友則 (古今集 ・207)
<大意> 秋風が吹いて南に渡る雁の鳴く声が聞こえて来たが、誰への便りを首に懸けて
きたのであろうか
<万葉仮名表記>
秋風丹(ニ) 鳴(ナク)雁(カリ)歟(カ)声(子)曾(ソ )響(ヒビク)成(ナル)
誰(タ)歟(カ)玉梓(タマヅサ)緒(ヲ)懸(カケ)手(テ)来(キ)都(ツ)濫(ラム)
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爽やかな秋風が頬を撫ぜる夕暮れ時、どこからともなく初雁の鳴く声が耳に届いた。“お便りですよ“とのお報せだ。見上げると、澄み切った西の空に、一羽を先頭にして、後ろ両側にそれぞれ整列をなして南に向かう群れ。誰への”便り“を携えているのであろう。
遥かな遠方より届けられた“お便り”。胸踊り、震える手を抑えつゝ、封を切って読み進めていくうちに、こころの籠った美しい文、行ごとに涙が零れて止まない。と当歌の問いに対し、漢詩で答えてくれました。胸が熱くなるお便りであったのでした。
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<『新撰万葉集』漢詩および読み下し文> [下平声八庚韻]
聴得帰鴻雲裏声、 聴き得たり帰鴻(キコウ) 雲裏(ウンリ)の声、
千般珍重遠方情。 千般珍重す 遠方の情。
繋書入手開緘処、 書を繋け入手して緘(カン)を開く処、
錦字一行涙数行。 錦字(キンジ)一行 涙 数行。
註] 鴻:大型の雁; 緘:手紙の封。
<漢詩の現代語訳>
はるか雲の向こうから雁の鳴く声が聞こえてきたが、
内容が何事であれ、遠方から届けられた大切な思いなのだ。
掛けられた書を手にして開封するや、
煌びやかな文字の一行を読むごとに 数行の涙が溢れてきた。
<簡体字およびピンイン>
听得帰鸿云里声、 Tīng dé guī hóng yún lǐ shēng,
千般珍重远方情。 qiān bān zhēnzhòng yuǎnfāng qíng.
系书入手开缄处、 Xì shū rùshǒu kāi jiān chù,
锦字一行涙数行。 Jǐn zì yī háng lèi shù háng.
xxxxxxxxxxxxxx
当歌の作者・紀友則(?~905)は、百人一首に撰ばれた素晴らしい歌を残している(百33番、閑話休題144)。満開の桜花の下、ひらひらと舞い散る花に対して、何故にこんなに散り急ぐのか?と。当歌は、「是貞親王家歌合」に出詠された歌である。
友則(?~905)は、紀貫之(百35番、閑話休題140)のいとこで、平安時代前期に活躍した。歌人として高く評価されながら、40歳過ぎまで無官・不遇であった。彼の才能を認め、取り立てたのは時の権力者・藤原時平ではなかったか、と、歌集に残る贈答歌から想像される。
すなわち:偶々、友則が時平と会った折、「その歳まで何故に花も咲かず、実も結ばなかったのか」と時平に問われて、「春は、毎年来るのに、花の咲かない木をなぜ植えたのか」と返歌したと。その後、友則は職を得た。三十六歌仙の一人である。貫之らと『古今和歌集』の編纂に携わっていたが、完成を見ないで病没した。
雁と便りとの関係は、中国の故事に拠る。漢武帝の頃、蘇武は、捕虜交換の使いとして北國・匈奴に赴いたが、捉えられ、北海の辺りに追いやられた。次代・昭帝の時、狩で仕留めた雁の足につけられた帛(キヌ)に「蘇武は健在」とあったと、蘇武の返還を要求、蘇武は無事に帰還できた(『漢書』蘇武伝)。雁書、雁の玉梓、等々の故事である。
『新撰万葉集』漢詩について:前述の如く、当歌を元にした“本歌取り”の詩であると言えよう。しかし歌では疑問を投げかけ、読者にあれこれと想像する機会を与えているのに対し、漢詩では回答が出て、“味”が無くなったかな と。但し漢詩では、便りの内容に大きな感動を覚えて、訴えています。
この漢詩については、以下、作詩規則上気になる点があります。
1) 結句中脚韻の“行”について。“行”には意味の違いにより、大きく発音、したがって“韻”が異なる:・行く、行為:“xíng”、下平声八庚韻; ・(1行2行の)行:“háng”、下平声七陽韻。本詩では、後者に当たり、起・承句の下平声八庚韻とは合わない。(上記ピンイン表示中、青色表示)。
2) 結句中4番目の字(“4字”)が孤平:平字“行”が、仄字“一”と“涙”に挟まれている。七言絶句では、「“4字”の孤平は厳禁」とされている。“x一行y数行”の“対”表現では許される か?
3) 結句中の冒韻:結句の韻字“行”が、句の最後・脚部以外の場所で出ている。絶対的な規則ではなさそうですが、「詩の韻字と同じ韻目に属する字は、脚韻部以外の場所では避ける」ことになっている。本詩の場合のように、““x一行y数行”と“対”となる場合は赦される か?
『新撰万葉集』について:『萬葉集』に継ぐ新しい和歌の撰集として、宇多帝が企図した『新撰万葉集』の編纂は、時宜を得た企画であったと思われます。実際は、次帝・醍醐朝で、最初の勅撰和歌集として『古今和歌集』の結実を見た。
『新撰万葉集』を紐解き始めて、諸々の疑問がモヤモヤとして、脳内に蟠っていて、整理ができないでいる。・和歌の撰集を目指しながら、何故に漢詩を添えたのか? ・添えられた漢詩は、道真の作であろうか? 等々。
先に百人一首シリーズで、百人一首5番・猿丸太夫:「奥山に 紅葉踏みわけ……」に関する『新撰万葉集』漢詩に触れました(閑話休題141)。本稿シリーズを含めて、計4首の漢詩を振り返って見たとき、同集中の漢詩は、筆者の如き初学生にとって手に負える資料ではない との判断に至った。ここでこのシリーズは置くことにする。