<上巻秋2>
白露に 風の吹きしく 秋の野は
つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
文屋朝康(アサヤス) (後撰集 巻6 19)
<大意>草の上に降りた白露に、風がしきりに吹きつける秋の野では、貫きとめた
紐から解き放たれた白玉が乱れ飛び散っているように見えることだ。
<万葉仮名表記>
白露(しらつゆ)丹(に) 風之(かぜの)吹敷(ふきしく) 秋之(あきの)野者(のは) 貫(つらぬき)不駐(とめ)沼(ぬ) 玉(たま)曾(そ)散(ちり)藝留(ける)
ooooooooooooo
秋の野分きがサッと吹き抜けると、草に降りた露が飛び散り、朝日を反射してキラキラと輝きながら宙を舞う。あたかも首飾りの紐が切れて、輝く真珠が一面に舞い散っているような、何とも美しい動的な秋の一情景。筆者は、当歌を以上のように読んだのだが。
当歌は、『新撰万葉集』上巻秋の部で第2番目に取り上げられた歌である。その漢詩(下記)では、歌とはかなり趣きの異なった展開となっている。夜に益した潤いが、翌朝、風に乱れ散る玉となる見事な情景が、昼間には乾き、その情景が見えなくなるので、嫌である と。
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<漢詩> [上平声四支、上平声五微韻]
秋風扇処物皆奇、 秋風が扇(アオ)ぐ処 物 皆(ミナ)奇なり、
白露繽紛乱玉飛。 白露 繽紛(ヒンプン)たり乱玉(ランギョク)飛ぶ。
好夜月来添助潤、 夜月(ヤゲツ)来り添え潤(ウルオイ)を助くるは 好(ヨ)し、
嫌朝日徃望為晞。 朝日 徃(ユ)きて為に晞(カワ)くを望(ノゾ)むを嫌(イト)う。
註]
繽紛:いろいろな物が入り乱れているさま; 晞:乾く。
<漢詩の現代語訳>
秋の野分が吹き抜けた処では あらゆる物が人目を引く景色となり、
草に降りた白露は、風に吹かれて玉となって入り乱れて飛び散る。
夜には、月も明るく照り輝き、潤いが益し、好ましいことであるが、
朝日があがり、時が過ぎていくにつれ 露の乾くのを見ることになり、厭わしい。
<簡体字およびピンイン>
秋风扇处物皆奇、Qiū fēng shān chǔ wù jiē qí,
白露缤紛乱玉飞。báilù bīn fēn luàn yù fēi.
好夜月来添助润、Hǎo yè yuè lái tiān zhù rùn,
嫌朝日徃望为晞。xián zhāorì wǎng wàng wéi xī.
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文屋朝康の当歌は、百人一首(37番)にも挙げられた名歌であり、「寛平御時后宮歌合(カンピョウオントキキサイノミヤウタアワセ)」(893年以前)に出詠された歌である。朝康は、文屋康秀(百-22番)の子息で、生没年・伝記・経歴ともに不詳、宇多-醍醐朝の官人、歌人である。
筆者は、当歌について漢詩への翻訳を試みており、すでに当blogで紹介した(閑休131)。参考までに漢詩部を本稿末尾に再掲しました。
『新選万葉集』漢詩について: 起・承句で白露の飛び散る玉に触れ、転・結句で「夜は露が益し、好ましいが、昼は露が乾くので、厭わしい」と詠っている。総じて、朝康和歌を元にした“本歌取り”の漢詩と言えよう。
さりながら、歌では“秋風に散る玉のさま”の美しい情景を主題として、それに対する感動を詠っている。しかし漢詩では、これは風に因る“数多の情景変化のひとつ”であるとして、露が乾いてそれが見られなくなる昼は厭わしい と。
この漢詩から、何らかの感動・感興が湧き起こることがないのだが、筆者の理解不足または誤解によるのであろうか?なお<簡体字およびピンイン>の項で示したように、七言絶句としてのルールは、しっかりと満たされております。
『新撰万葉集』について:勅撰和歌集の編纂を企図していた宇多帝が、その試行としての『新撰万葉集』編纂を念頭に、撰歌の手段として「寛平御時后宮歌合」および「是貞親王家歌合 (コレサダシンノウケウタアワセ) 」を企画、実施した。後に醍醐朝に『古今和歌集』として結実していく。
「寛平御時后宮歌合」は、光孝帝の皇后・班子女王が主催、その后宮において開催、一方、『是貞親王家歌合』は、宇多帝の兄・是貞親王の家で行われた歌合である。いずれも宇多帝の企画・後援の下で行われた大規模な歌合せであった。
両歌合の”左“側の歌が『新撰万葉集』上巻に、”右“側の歌が同下巻に採られている と。歌人としての評価が、”左“側が上位に当たるとのことである。相撲の取り組み番付において、”東“が”西“より評価が勝っていることを想像すれば、容易に理解できる。
以後、上/下巻の歌を織り交ぜて拾い読みしていくことにします。
[参考]
季秋的風物詩 季秋(キシュウ)の風物詩 [入声九屑韻]
遥望錦山風凛冽, 遥かに望む錦の山,風 凛冽(リンレツ)たりて、
秋原百草露凝結。 秋の原の百草 露を凝結(ギョウケツ)しあり。
每陣疾風吹跑露, 陣(ヒトシキリ)の疾風ある每(ゴト)に露を吹跑(フキトバ)し,
解縄散玉耀何潔。 解縄(ヒモト)け散りし玉 耀(カガヤ)くこと何ぞ潔(キヨラカ)なる。
註] 風物:眺めとして目に入るもの、風景; 凛冽:寒気のきびしいさま;
疾風:秋に吹く野分(ノワキ)のこと; 吹跑:風で吹き飛ばす; 解縄:紐をほどく;
玉:白玉、真珠; 耀:光り輝く;
<現代語訳>
晩秋の風物の詩
遥かに望む紅葉に染まった山から吹き下ろす風は肌に刺すような寒気だ、
野原の草々の葉には白露が結ばれるようになった。
秋の野分が吹くごとに白露は吹き飛ばされ、
紐を解かれ飛び散る真珠のごとく、輝き飛び散るさまは何と清らかなことか。
白露に 風の吹きしく 秋の野は
つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
文屋朝康(アサヤス) (後撰集 巻6 19)
<大意>草の上に降りた白露に、風がしきりに吹きつける秋の野では、貫きとめた
紐から解き放たれた白玉が乱れ飛び散っているように見えることだ。
<万葉仮名表記>
白露(しらつゆ)丹(に) 風之(かぜの)吹敷(ふきしく) 秋之(あきの)野者(のは) 貫(つらぬき)不駐(とめ)沼(ぬ) 玉(たま)曾(そ)散(ちり)藝留(ける)
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秋の野分きがサッと吹き抜けると、草に降りた露が飛び散り、朝日を反射してキラキラと輝きながら宙を舞う。あたかも首飾りの紐が切れて、輝く真珠が一面に舞い散っているような、何とも美しい動的な秋の一情景。筆者は、当歌を以上のように読んだのだが。
当歌は、『新撰万葉集』上巻秋の部で第2番目に取り上げられた歌である。その漢詩(下記)では、歌とはかなり趣きの異なった展開となっている。夜に益した潤いが、翌朝、風に乱れ散る玉となる見事な情景が、昼間には乾き、その情景が見えなくなるので、嫌である と。
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<漢詩> [上平声四支、上平声五微韻]
秋風扇処物皆奇、 秋風が扇(アオ)ぐ処 物 皆(ミナ)奇なり、
白露繽紛乱玉飛。 白露 繽紛(ヒンプン)たり乱玉(ランギョク)飛ぶ。
好夜月来添助潤、 夜月(ヤゲツ)来り添え潤(ウルオイ)を助くるは 好(ヨ)し、
嫌朝日徃望為晞。 朝日 徃(ユ)きて為に晞(カワ)くを望(ノゾ)むを嫌(イト)う。
註]
繽紛:いろいろな物が入り乱れているさま; 晞:乾く。
<漢詩の現代語訳>
秋の野分が吹き抜けた処では あらゆる物が人目を引く景色となり、
草に降りた白露は、風に吹かれて玉となって入り乱れて飛び散る。
夜には、月も明るく照り輝き、潤いが益し、好ましいことであるが、
朝日があがり、時が過ぎていくにつれ 露の乾くのを見ることになり、厭わしい。
<簡体字およびピンイン>
秋风扇处物皆奇、Qiū fēng shān chǔ wù jiē qí,
白露缤紛乱玉飞。báilù bīn fēn luàn yù fēi.
好夜月来添助润、Hǎo yè yuè lái tiān zhù rùn,
嫌朝日徃望为晞。xián zhāorì wǎng wàng wéi xī.
xxxxxxxxxxxxxxxx
文屋朝康の当歌は、百人一首(37番)にも挙げられた名歌であり、「寛平御時后宮歌合(カンピョウオントキキサイノミヤウタアワセ)」(893年以前)に出詠された歌である。朝康は、文屋康秀(百-22番)の子息で、生没年・伝記・経歴ともに不詳、宇多-醍醐朝の官人、歌人である。
筆者は、当歌について漢詩への翻訳を試みており、すでに当blogで紹介した(閑休131)。参考までに漢詩部を本稿末尾に再掲しました。
『新選万葉集』漢詩について: 起・承句で白露の飛び散る玉に触れ、転・結句で「夜は露が益し、好ましいが、昼は露が乾くので、厭わしい」と詠っている。総じて、朝康和歌を元にした“本歌取り”の漢詩と言えよう。
さりながら、歌では“秋風に散る玉のさま”の美しい情景を主題として、それに対する感動を詠っている。しかし漢詩では、これは風に因る“数多の情景変化のひとつ”であるとして、露が乾いてそれが見られなくなる昼は厭わしい と。
この漢詩から、何らかの感動・感興が湧き起こることがないのだが、筆者の理解不足または誤解によるのであろうか?なお<簡体字およびピンイン>の項で示したように、七言絶句としてのルールは、しっかりと満たされております。
『新撰万葉集』について:勅撰和歌集の編纂を企図していた宇多帝が、その試行としての『新撰万葉集』編纂を念頭に、撰歌の手段として「寛平御時后宮歌合」および「是貞親王家歌合 (コレサダシンノウケウタアワセ) 」を企画、実施した。後に醍醐朝に『古今和歌集』として結実していく。
「寛平御時后宮歌合」は、光孝帝の皇后・班子女王が主催、その后宮において開催、一方、『是貞親王家歌合』は、宇多帝の兄・是貞親王の家で行われた歌合である。いずれも宇多帝の企画・後援の下で行われた大規模な歌合せであった。
両歌合の”左“側の歌が『新撰万葉集』上巻に、”右“側の歌が同下巻に採られている と。歌人としての評価が、”左“側が上位に当たるとのことである。相撲の取り組み番付において、”東“が”西“より評価が勝っていることを想像すれば、容易に理解できる。
以後、上/下巻の歌を織り交ぜて拾い読みしていくことにします。
[参考]
季秋的風物詩 季秋(キシュウ)の風物詩 [入声九屑韻]
遥望錦山風凛冽, 遥かに望む錦の山,風 凛冽(リンレツ)たりて、
秋原百草露凝結。 秋の原の百草 露を凝結(ギョウケツ)しあり。
每陣疾風吹跑露, 陣(ヒトシキリ)の疾風ある每(ゴト)に露を吹跑(フキトバ)し,
解縄散玉耀何潔。 解縄(ヒモト)け散りし玉 耀(カガヤ)くこと何ぞ潔(キヨラカ)なる。
註] 風物:眺めとして目に入るもの、風景; 凛冽:寒気のきびしいさま;
疾風:秋に吹く野分(ノワキ)のこと; 吹跑:風で吹き飛ばす; 解縄:紐をほどく;
玉:白玉、真珠; 耀:光り輝く;
<現代語訳>
晩秋の風物の詩
遥かに望む紅葉に染まった山から吹き下ろす風は肌に刺すような寒気だ、
野原の草々の葉には白露が結ばれるようになった。
秋の野分が吹くごとに白露は吹き飛ばされ、
紐を解かれ飛び散る真珠のごとく、輝き飛び散るさまは何と清らかなことか。