長らく出仕・帰田と自分探しの迷路を彷徨い、気に染まぬ時日を送って来たが、やっと本来あるべき姿の自分の居場所を得て、安寧な日々を送っている風である。子供たちを引き連れて村里の此処かしこを歩き回っています。村里の情景は随分と変貌しているようです。
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<漢詩および読み下し文>
帰園田居 五首 其四 (1)
1久去山沢遊, 久しく山沢(サンタク)の遊を去りしも,
2浪莽林野娯。 浪莽(ロウモウ)たる林野(リンヤ)に娯(タノ)しむ。
3試携子姪輩、 試(ココロ)みに子姪(シテツ)の輩(ハイ)を携(タズサ)えて、
4披榛歩荒墟。 榛(シン)を披(ヒラ)いて荒墟(コウキョ)を歩(ユ)く。
5徘徊丘攏間、 徘徊(ハイカイ)す 丘攏(キュウロウ)の間(カン)、
6依依昔人居。 依依(イイ)たり 昔人(セキジン)の居(キョ)。
7井竈有遺処、 井竈(セイソウ) 遺(ノコ)れる処(アト)有り、
8桑竹残朽株。 桑竹(ソウチク) 朽(ク)ちたる株(カブ)を残す。
註] 〇浪莽:広々としているさま; 〇榛:はしばみ、やぶ; 〇荒墟:荒れ果てた
さま、荒れ果てた遺跡、廃墟; 〇丘攏:墓地; 〇依依:名残惜しく離れ難い
さま、煙がゆらゆらと上がるさま、心惹かれるさま。
<現代語訳>
1私は長い間山沢の遊びから遠ざかっていたが、
2役人暮らしをやめた今では、広々とした山林田野を歩きまわり娯(タノ)しんでいる。
3今日もふと思い立って子や甥たちをひきつれ、
4雑草をおしわけて荒れ果てた村里の跡に足を踏み入れてみた。
5墓地の間をぶらぶら歩くと、
6故人のすんでいた家跡には心惹かれる。
7井戸や竈(カマド)の跡が往時の名残をとどめ、
8桑や竹は朽ちた後の株を残している。
[主に松枝茂夫・和田武司 訳註 『陶淵明全集(上)』岩波文庫に拠る]
<簡体字およびピンイン>
帰园田居 其四 (1) Guī yuántián jū qí sì (1) [上平声七虞・六魚通韻]
1久去山沢游, Jiǔ qù shān zé yóu,
2浪莽林野娯。làng mǎng lín yě yú. [上平声七虞]
3试携子姪辈、Shì xié zǐ zhí bèi,
4披榛歩荒墟。pī zhēn bù huāng xū. [上平声六魚]
5徘徊丘拢间、Páihuái qiū lǒng jiān,
6依依昔人居、yī yī xī rén jū. [上平声六魚]
7井灶有遗处、Jǐng zào yǒu yí chǔ.
8桑竹残朽株。sāng zhú cán xiǔ zhū. [上平声七虞]
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帰田後の陶淵明の動静を、淵明の詩から追って見ます。以下《》内は詩題、続く数字は推定発表年度および年齢、「」内は該詩の内容の概要を示しています。内容は、『陶淵明全集』(岩波文庫)に拠った。
園田に帰って3年目(408、44歳)、「真夏のある日、家屋が火事に遭った。火は強風に煽られて勢いを増し、あれよあれよという間に木立の中の家屋は焼け落ちてしまった。やむなく門前の川で舟を舫(モヤ)って雨露を凌ぐことになった。」長江の下流、鄱陽湖(ハヨウコ)の辺、水運の便の良い地域である。
「初秋を迎え、間もなく満月になろうとする頃、火事に驚いて逃げた鳥はまだ戻ってこない。深夜にひとり佇んで遥か彼方に思いを馳せると、たちまち仙人のように九天を駆け巡った気分になる」(《戌申歳六月中遇火》408、44歳)。愚痴一つこぼすことなく、船上生活に悠然たる心境である。
「晩秋、風が吹き露が降りて、庭の木々も空しく葉を落とし、寒々とした光景となった。秋蝉の声も止み、それに代わって雁が群れをなして雲間に鳴いている。万物は次々と推移交替する、人生とて同様、生あるものは死ぬ定めにある。」
「それを思うと心中焦りを感ぜざるを得ない。わが心を如何に慰めたらよいか。ともあれ濁り酒など飲んで自ら楽しむとしよう。千年先のことは分かる筈もない。とりあえず今日と言う日をゆったりと過ごすことだ」(《己酉九月九日》409、45歳)。
「人間生きていくためには衣食の解決こそが第一歩だ。それなくして安心立命はあり得ない。今年は、春はじめから畑仕事に精出してきた甲斐あって、収穫が期待できそうだ。今日も早朝から畑に出て刈り入れ作業に励み、暮れて鋤を背負って帰ってきた。」
「ここ山中では平地に比べて冷え込むのも早く、霜や露の降りるのもひどい。百姓生活が苦しくないわけではないが、避けていくわけにはいかぬ。思わぬ災害が降りかかって来ぬよう願いながら,くたくたに疲れて帰宅し、手足を洗い、軒下で胡坐(アグラ)をかいて一杯いく時が最も気が解(ホグ)れる。」
「そんな時、古代の隠者 長沮(チョウソ)・桀溺(ケツデキ)とわたしは千年の隔たりを越えて直に心が通い合うのだ。わたしは決して自ら耕す生活をつらいと思っていない。」(《庚戌歳九月居於西田穫早稲》410、46歳)。長沮・桀溺とは、論語微子篇に出て来る隠者で、俗世間から離れて二人で耕作に励み、老荘思想を実践している人たちである。
411年(47歳)に、船上生活を止め、南村に居を移します。「曽て南村には素朴な心の人が多いと聞いていたので、彼らと朝夕顔を合わせたいと願い、そこに居を決めた。近所の人々はよく訪ねて来て、昔話に声がはずむ。面白い文章があればともに鑑賞し、疑問があれば一緒に研究し合っている。」
「春と秋は晴れた日が多く、小高い丘に登って詩を作り合う。門前を通りかかりに声を掛け合い、酒があればともに酌みかわす。野良仕事の合間には、直に着物をひっかけて訪れ、談笑して厭くことがない。衣食は自ら作り、懸命に働けば裏切られることはなかろう。《移居 二首》」近隣の人たちとの語らいを愉しんでおり、“人”が変わった印象さえある。
この年の秋に従弟・敬遠が31歳の若さで亡くなる。両人の父は肉親の兄弟、また両人の母もともに孟嘉の娘で、肉親の姉妹であった。年齢は16も違っていたが、二人は性格も似ていて、極めて気心の合った仲であった。
淵明は、敬遠を葬った折の祭文を遺している。その序の数行を挙げる:「辛亥の年、秋八月十九日、日時を占って此処に埋葬し、安らかな眠りにつかせる。これまで共に遊び共に過ごしてきた友誼に謝し、再び帰らぬ君のことを悲しむ。」
「情はそくそくと迫ってわが胸を砕き、涙はいたわしさにわが目に満ちる。ここに畑に成った果物と新たに醸した濁り酒を供えて、君の旅立ちのはなむけとする次第である。ああ哀しいかな。」(《祭従弟敬遠文》411、47歳)。