黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

王者の棺・お富士山古墳

2019-08-18 16:40:49 | 群馬県・中毛
ひめちゃんは、今朝も七海ママとお散歩に出ました。
なかなか帰ってきません。
待ちかねて、小次郎パパとタバサねーちゃんが、堀之内を西の方に出ました。
タバサねーちゃんが動かなくなりました。
北の方から、ママとひめちゃんが帰ってきたのです









「先にかえってるね





新着記事です

7月27日、玉村からの帰りに、伊勢崎のお富士山古墳に寄りました。
だいぶ前に寄った事があって、久しぶりの訪問です。

駐車場はありませんから、今回も鳥居脇のスペースにちょっと失礼します。
社額がこわれていますけど、「富士山」と読めそうです





鳥居脇に説明板があります。

階段を登って、いざ王者の棺へ。
階段の片方でも、手すりがあると、ありがたい


左右に狛犬です
こんにちは、おひさしぶり

右の狛犬です。



後ろ姿もなかなかです。



左の狛犬です。




拝殿にまず参拝です。





本殿の向かって右に、大きな石棺が見えます。



ボックスがあって、「説明書を1枚ずつどうぞ」とありますけど、空です

ウチにあるかも


廻りを一周します。








ウチに伊勢崎市教育委員会発行のこのパンフレット「お富士山古墳、お富士山古墳所在長持形石棺」がありました

華蔵寺公園の大観覧車との比較があります。
後円部分と大観覧車は同じくらいの大きさです
このパンフでは5世紀前半の築造とあります。


「赤城南麓の古墳」(前橋市境域委員会平成30年)では、
長持形石棺は、一般的に、兵庫県高砂市で算出する龍山石を使って生産され、有力な支配者層の古墳に運ばれていますが、お富士山古墳の石棺は地元の石材を使用してヤマト王権御用達の工人の手で制作されました。

とあります。

ヤマト王権とつながりのある有力な豪族がいたということになります
ヤマト王権御用達の工人が、わざわざ上毛野(かみつけの)まで、出張したのですね

伊勢崎地域は、古墳の数がきわめて多い地域だそうです
古代においても栄えた地域だったのでしょう



本殿の裏には、いくつもの境内社があります。





車を止めた鳥居脇に戻ります。
そこの水田は古墳の周溝の跡でしょうか?
右の幹線道路はよく通ります。





前方後円墳の前方の一部は、JR両毛線の建設の為に削られてしまいました。
前回の訪問の時には、ちょうど電車が通過しました。
まさか今回はないだろうと油断して、シャッターチャンスを逃してしまいました
今回も電車が通過していきました







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ラオス紀行総集編 23 (さようならルアンナムター)

2019-08-17 16:51:08 | ラオス
ひめちゃんが足を痛めたあと、タバサねーちゃんがピンチヒッターで、獅子丸とお散歩に行くことが多いです。
今朝も、獅子丸はタバサねーちゃんとお散歩に出ました。



ひめちゃんとのお散歩も、そろそろ復活できるかな?





23日の昼食は、朝と同じレストランでした。
たぶん大皿を取り分ける形の昼食だったと思います。

昼食後、ルアンナムター空港に向かいます。

小さな空港で、おば(あ)さんたちはトイレに苦労しました。
数が少ない上に、ひどいよごれだったのです
「空港でこんなきたないトイレ見たことない」という声もありました。
洋式トイレの使い方が知られていないのではという感じもします。

飛行機の出発時間も遅れました。
待合室で時間はたっぷりありました。


おや、目の前にオレンジの僧衣のお坊さんがいるではありませんか



常広寺の和尚さんは、近くに腰を下ろします。
「ちょっと失礼します」と近寄ります。





隣にしっかり座ってしまいます
同業者の雰囲気が通じたのでしょうか?

奥様に写真を撮るように指示して、一緒に1枚に収まります。
同行者の他の男性方も、一緒に隣で1枚に収まります。

次におば(あ)さんたちが同じ行動に出ました。
ラオスでは、女性はお坊さんの隣に座ってはいけないそうです
隣に座ってしまって、席を1つ空けるように指示される人もいました。



長い時間待ちました。
やっと、荷物が運ばれていきます。




歩いて搭乗です。
また、プロペラの近くでした。





さようなら、ルアンナムターの町
ビエンチャンに戻ります。







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ラオス紀行総集編 22 (丘の上の金色の舎利塔)

2019-08-17 15:02:25 | ラオス
朝から猛烈な日射しになりそうです
ひめちゃんは、七海ママとちい散歩です。
今日は、後閑(ごか)の薬師堂の廻りを歩いてきました。
後閑とは「こかんの郷」で、荒れ果てた土地ということです。
戦国時代に、ここは度重なる戦で、こかんの郷になったようです。
薬師堂の床下には、五輪塔がゴロゴロあるという話もあります。
薬師堂の墓地にも、五輪塔のパーツが転がってます。

ママをおうちに送って、ひめちゃんは今度は小次郎パパとお散歩です
葛塚城堀之内(後閑の堀之内)を北に出て、堀切跡を渡り、東の方を廻って帰りました
久しぶりに東の方に行きました。
県道の向こうの牧場は、増築したようです。
あそこには、ヤギさんが居たのですけど。
ヤギさん、どうなったかな?





クロイ族の村から、ルアンナムター市内に戻りました
「丘の上の見晴らしのいいところに行きます 」とガイドさん。
高台に登っていきます。
金色(こんじき)の塔が見えてきました。






昨日ホテルの窓から見えたのは、この塔だったのです

階段下の脇に説明板があり、英語表記を見ると、2009年に多くの人達の寄進によって建立されたとあります。   
Stupa つまり舎利塔だとあります。

ミニサイズのタート・ルアンです




狛犬ではなく、金色のゾウが護ってます。





穏やかな感じのゾウです。
ラオスの仏教では、金色(こんじき)のゾウが活躍するのですね



お釈迦様です。



なんとなく女性的に感じました



おみくじのようなものがありました
お賽銭を喜捨してから、番号が記載されている棒を引きます。
その出た番号の札を取ります。



もちろん読めません
ガイドさんに解読してもらいました。
日本風に言うと、大吉だそうです
「だれか助けてくれる人が出てくる」そうです
ありがとうございます


さて、帰りましょう

よくよく見ると、ほんとうにたくさんの仏様がいます



遠くに町が見えます。

階段の手前に、左右3体ずつ人物が同じように立っています







「まあ、六地蔵の様なものかな?」との発言もありましたけど

ルアンナムターの町が見下ろせます。







それにしても仏教ってこんなに金色(こんじき)の世界だったなんて

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龍神祭と般若心経

2019-08-16 16:59:54 | 群馬県・旧勢多郡
午前中は雨でした。
ひめちゃんたちのお昼時間には、ほぼ止んでいました。
午後は日射しが復活しています。
お散歩は、6時過ぎかな?




山上の常広寺では、毎月18日に恒例の龍神祭をしています。
祭神は八雲大龍神です。
8月だけ8日です

8日に、龍神様の好物という卵を持って行きました
龍神様の好物は、卵・餅・お酒だそうです
いずれか1つ以上、3つそろえば一番良いのだそうです。


境内に車を止めて、本来の山門が気になって、ちょっと見学。



修理は重ねているようですけど、基本的に400年前の姿だそうです。


おや、脇に石造物があります。



どなたでしょう?
お地蔵様のようですけど、子供を抱えています。



「当邑女人講中」とあるので、安産とか子供の健やかな成長を願うものでしょう



午後2時、八角の龍神堂で、若和尚の読経が厳かに始まりました。



小冊子が廻ってきます。
お経の虎の巻の様なものです。
「般若心経」の声が聞こえます

耳と目を総動員すると、たしかに般若心経です

般若心経って、龍神様が喜ぶお経なのでしょうか?
今回初めて、竜神祭の時の読経が、般若心経だと知りました


読経終了後、2礼2拍1礼でお参りです



あの竜骨は、幣の後ろ扉の中でしょうか?
わら細工の龍が、生き生き見えます


参拝後、庫裏の和尚を尋ねました。
「今日初めて気がつきました龍神様に捧げるお経は般若心経なのですね どうして般若心経なのでしょう?」
「まあ、堅いことは言わずに



戦後、桐生に山口さんという霊能者が住んでいました。
あるとき、先代の奥さんが山口さんを尋ねました。
山口さんは、「あんた、生臭いよお宅には細くて長いものがあるでしょ
先代の奥さんは、竜骨のことだと思いました。
後日山口さんはやって来て、龍神様と対話したそうです。
龍神様は感動の余り本堂をガタガタと揺らし、歓喜の涙雨を降らせたといいます

霊験あらたかな万能薬竜骨もいつしか忘れ去られ、大正12年の火災後は、拾い集めて桐の箱に入れて、本堂に置いてあっただけだったそうです

ちゃんと祀らなければならないという山口さんの指摘によって、龍神堂が建立されました。
そして、祭祀は山口さんが担当していたそうです。
彼女亡き後は、長野の霊能者が来ていたそうです。
いつしかその人も来なくなり、今は常広寺で担当しているとの事です。



最近まで竜骨は新潟の八海山で発見されたとか、九世和尚が京都から持ってきたとか、そう言われていました
でも、「竜骨伝記」には、ちゃんと四国の笹ヶ峰で木食屡睡(もくじきろうすい)が発見したと書いてあるのです


そして、竜骨を京都から運んできた田中藤左衛門は、中仙道深谷宿にて、銘酒「七梅」の醸造を始めたのです
今、絡んだ糸がほぐれ始めています

11月に、あるところで「竜骨伝記の真実」という題で、ミニ講演会の予定があります
ふとしたことで真実の姿を見せ始めた竜骨と竜骨伝記の話が、多くの人に伝えられればと思ってます


近いうちに、竜骨伝記関連の記事をまとめて、「竜骨伝記総集編」を作る必要がありそうです









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ラオス紀行総集編 21 (クロイ族の村・その3)

2019-08-15 20:57:08 | ラオス
ひめちゃんちにも、やっと蓮の花が咲きました
今年はダメかとあきらめていたので、よく咲いてくれました







ちょっとやせぎみだけど、今年も逢えて良かった





織物工場かな?



複雑な模様が織れそうな感じです。
看板が見えます


すぐそばで、改築か増築か?



普通の、日本人と大して変わらないというか、ユニクロファッションというか?



学校です



2月23日は土曜日でした。
ラオスの小学校もお休みでした、残念


竹の壁のおうちのようです。



でもよく見ると、二階が住まいで、下は荷物と車があるようです



機織りをしています



何台か織機があります。




彼女の傍らにあるのはスマホ?




そのうちに、織物を持った人々が集まってきました。
観光客に売るのです。
慣れているようです

おば(あ)さんたちは、なんやかんやと品定めして、1~2枚買いました。
1枚90cm×2mくらいかな?

同じような模様が多く、この1枚だけ変わっていました



「ショールに使えるかな?」なんて、この1枚を買いました
日本円で1300円くらいだったと思います。


奥の方に猫がいます



訪問客を気にしています

ラオスでは猫を見かけることは、めったにありませんでした。
この村では複数の猫に会えました。
もっとたくさん生息しているはずです。

「この村は、もはや少数民族の村という感じじゃないね」というのが、大方の同行者の感想でした。
ラオスに同化がかなり進んでいるようです。


少数民族の村を5カ所訪ねました。
状態は様々で、昔ながらの生活に近い人々もいました。
文明開化を受け入れて、ラオス人に近い生活の人々もいました。
少数民族の村と言っても、様々でした。
ただ民族衣装の人などいなくて、働きやすい動きやすい、いわばユニクロファッション的な服装だったのです


ルアンナムター市内に戻ります。
途中出見かけた毛布です。



「ハローキテイ」って、猫でしたよね






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