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日本のアイデンティティ (「日本人論」再考(船曳 建夫))

2012-08-01 22:12:27 | 本と雑誌

Inazo_nitobe  私の学生時代は、エズラ・ヴォーゲル氏による「ジャパン・アズ・ナンバーワン」がベストセラーとなったころで、日本の目覚ましい高度成長が注目されていました。
 それに併せて、その源泉を探求する、いわゆる「日本人論」も大きなブームとなりました。私も、「菊と刀」「日本人とユダヤ人」「「甘え」の構造」「タテ社会の人間関係」等々、ひと通り読んだ記憶があります。

 本書の企図は、タイトルどおり、それら日本人論の総括というチャレンジです。ここで著者のいう「日本人論」は、以下のような性質を持つものです。

(p288より引用) 「日本がいわゆる『西洋』近代に対して外部のものである」ことからくるアイデンティティの不安を、それを説明することで和らげ、打ち消す機能を持つもののことである。

 まず、明治時代以降登場した「日本人論」として著者があげているのは、次の4つの著作です。志賀重昂の「日本風景論」、内村鑑三の「代表的日本人」、新渡戸稲造の「武士道」、岡倉天心の「茶の本」
 それらは、明治・大正期のナショナリズム高揚のなかで、国際社会の一員として踏み出そうとしている日本及び日本人の位置づけや立ち位置について論じたものです。特に「日本風景論」以外の著作は英語で書かれたものですので、第一義的には、主に欧米の人々に対して訴えたものとなっています。

 たとえば、「武士道」の主張内容について、著者はこのようにコメントしています。

(p72より引用) 限りなくキリスト教、西洋文明の高みに近づいているが、完全にそれと同じではない。しかしながら、そのレベルを日本人は保持してきたがゆえに、そのキリスト教・西洋文明の次元にまで上昇しうる人々なのだ、とする。

 当時の「支配的世界」であった西洋社会においては、新たに台頭しつつあった日本は極めて「異質」な存在でした。

(p72より引用) 新渡戸は明らかに、キリスト者として、また、国際知識人として、日本の非西洋社会としての独自性と西洋文明の中での一般性という二つの相反する要素を、いかに一つのアイデンティティにまとめ上げるかに苦心しているのだ。

 ここで紹介されている4つの著作が上梓されたのは、日清・日露戦争期という、まさに日本の国際社会の中での位置づけが大きく転換しつつあるタイミングでした。そして、この位置づけの変化は、日本としてのアイデンティティを不安定化させるものでもありました。

(p79より引用) この四冊の書物は、・・・日本に対する欧米の評価の低さから来る近代の中のアイデンティティの不安を払拭しようとして書かれ、また、同時に進行していた戦争の勝利によって、評価が上がったことから来るアイデンティティの不安を、自らの高さを正当化することで乗り越えようとして書かれた。

 とはいえ、これら初期の「日本人論」の論調は、近代国際社会における日本の上昇発展傾向と軌を一にしたポジティブなものでした。その後に続く「日本人論」と比較しても、その主張の明るさと自信が際立っています。「無垢」な日本人論ともいえるでしょう。
 

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