OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

老人の壁 (養老 孟司・南 伸坊)

2020-03-12 09:33:54 | 本と雑誌

 この手の養老さんの著作は久しぶりですが、今回は南伸坊さんとの対談形式ということで、どんなやりとりが繰り広げられるのかちょっと興味を抱いて手に取ってみました。 

 もちろん、お二人のやりとり(掛け合い)にも面白いところは多々あったでのすが、私として気になったのは、いくつかの養老さんのことばでした。 

 たとえば、「自分探し」という風潮について。 

(p52より引用) 本来の自分っていうのがすでにどこかにあって、探し出せばいいっていう考えなんだけど、それ、たぶん違うんです。自分というのは、探すものではなくて作るものなんです。 

 「自分探し」を求める人は、“自分を探す→自分を見つけるに行く”ことを目指して「旅に出る」ようですが、これは、旅という「非日常経験」をきっかけに、“自分を作る(≒磨く・鍛える)”のではなく、「ああ、自分は本当はこういう人間だったんだ」と、自己内部にある「自分(なるもの)」を見つけるということなのでしょうか?これが “(ひとそれぞれがもっている)個性” というもの? 

 で、次に、この“個性”が大事であって、それを伸ばしていくんだと続いていくのですが、その過程でしばしば登場する“Only One”思想を養老氏は否定します。 

(p53より引用) 生まれつき持っている他の人と違う個性が一番大事だと、親も子どもも思うようになった時代に、僕は教師をやらされていたんですよ。・・・教育っていうのは、本人の本質に関係ないものなのに、個性を伸ばすとかいうことになれば、それはもう、教育なんか要りません。・・・僕は「人を変えるのが教育でしょう」って言ってるんだけど、「そんな恐ろしいこと」と今の先生は思っているんです。 

 「教育」は “学び” です。よくいわれるように “学び” は「真似(まね)」が基本ですから、「教育」は、(他人を)真似ることによって“自分にないもの”を習得していくプロセスともいえるでしょう。したがって、その結果の姿は生まれたときとは異なっているはずです。もちろん「個性」を否定するものではありません。
 「個性」は伸ばすものというより“尊重する”ものだととらえるべきだと考えているのです。そこでの「個性」は「個々人の多様性」ということ、すなわち「違いを認める」ということです。 

 もうひとつ「高齢化社会」の異常さについて。 
 医療の進歩によって、“物理的・生物学的な長寿” が目的化してしまっている兆しに対し、養老氏はこうも語っています。 

(p135より引用) だからもう、人間に対する理解っていうのが、根本的にダメになっているんでしょう。改めて、「人生とは何か」とか「社会とは何か」とか、あえて青くさいことを、考え直さなきゃいけない時代になっていると思います。それなのに、「一億総活躍しろ」なんて、誰かが活躍したら、誰かが突き飛ばされますよ(笑)。世のため人のためって無駄に動き回る人、いっぱいいるじゃないですか。 
 「僕は普通に、その人が活きる社会って言いたいですね。同じスローガンなら、「一億総じっとしている社会」のほうがしっくりきます(笑)。 

 主張のポイントは「その人が活きる(not 生きる)社会」というところですね。 

 最後に、養老さんが紹介している言葉で、まさに今に相応しいものがあったので書き留めておきます。 

(p50より引用) 人間は騙し通すことができるかもしれないが、自然は騙せない 

スペースシャトル「チャレンジャー号」の事故調査報告書に物理学者ファインマンが記したことばとのことですが、そのとおりでしょう。 

 

 

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未来の年表2 人口減少日本であなたに起きること (河合 雅司)

2020-03-11 16:38:31 | 本と雑誌

 前著である「未来の年表」も読んでいます。
 「未来の年表」はその書名どおり“年表”形式で時間軸に沿ったトピックを解説していましたが、こちら「2」の方は “具体的な生活の場面” を切り口にして、そのテーマごとに深掘りするというスタイルです。 

 その中で特に印象に残った指摘をいくつか書き留めておきます。 

 まずは、「3.あなたの仕事で起きること」の章からです。 

 経済産業省の資料によれば、現在でも、経営者の年齢が70歳を越える中小企業の約半数(全企業の約3割)では後継者が決まっていないとのこと。まあこの程度の状況は想像できるのですが、ちょっと驚いたのが、“廃業した会社の半数は「黒字経営」だった”との指摘でした。 

(p105より引用) 看過できないのは、休廃業·解散前に黒字や高収益だった企業が少なくない点だ。中小企業白書(2017年版)によれば、2013年から15年までに休廃業·解散した6405 社のうち黒字企業が50.5%。利益率10%台が13.6%、20%以上も6.1%に上った。 

 長年にわたり日本経済の基盤を支えていた優良な中小企業が消えていく、その貴重な生産力・技術力はどこに引き継がれていくのか・・・。事業が継続されていれば有益な「雇用の受け皿」にもなるであろうに・・・。 

 もうひとつ、こちらはさらに深刻です。 

(p185より引用) 高齢受刑者が増えれば、認知症や車いす利用者も当然出てくる。福祉介護施設のようになった刑務所内では、いまや歩行補助車(シルバーカー)を押しながら歩く受刑者は当たり前となり、刑務官や専門職のスタッフが日常的におむつ交換や入浴介助をすると言った光景も珍しくなくなった。 

 高齢受刑者は間違いなく増加していく半面、介護業務も求められる刑務官の確保は益々厳しくなります。近未来の刑務所は“高齢者対応”という全く新たなコンセプトでデザインし直さなくては、従来からの延長線では立ち行かなくなるでしょう。 

 さて、著者が本書でトライしたように「少子高齢化社会」の“実態”をリアルに想像すると、確かに「これはマズイ」と痛感します。 
 本書の後半では、著者が考えるこういった来るべき将来に対する「対策」が列挙されています。
 とはいえ、そんな簡単に解決策を示すことができるような課題はひとつもなく、著者の苦労は宜なるかなと思います。ただ、それでもやはり残念なことに、著者の想定する将来像には「テクノロジーの進歩」という変数の考慮が(言及されてはいますが)相対的に貧弱だと言わざるを得ません。

 もちろん「AI」や「ロボテックス」の効能を過大評価することは危険ですし、テクノロジーの進歩だけで問題が解決するというのも楽観的過ぎます。郊外の空き家問題や都市部のタワーマンション老築化対応といった「物理的課題」は悩ましいでしょう。それでも、20年後、30年後といった時間軸で考えると、医療/介護・運輸/交通・行政サービス等々が今と同じ状況であるとは流石に考えられませんね。テクノロジーの進歩は、それ自体の効果のみならず、“社会インフラ”や“社会プロセス”を根本的に改革するトリガーにもなります。

 たとえばですが、過疎地におけるロジスティックの課題についても、現状は「ラストワンマイル」の非効率性がボトルネックになっています。新聞配達・郵便配達・電力/水道の個別検針・複数の宅配便業者の配達等々が併存している状況です。これらのプロセスを、ITやAIを活用した「共通基盤」で一体運用(配達手段の共用)すれば、「ラストワンマイル」部分の対応も採算ベースに乗るかもしれません。 

 あと蛇足として、(上げ足取り的な言い様で申し訳ないのですが、)本書を読んで感じたところです。
 文中で紹介されているそれぞれの事象については多角的データに基づく信頼性のある解説がなされている反面、著者の肌感覚としての現状認識の中には疑問を抱いてしまうところが結構ありました。 
 たとえば、「中高年社員のウェイトが高まる」との指摘の中で、 

(p116より引用) これまでなら若手社員が受け持っていた仕事(例えば、電話取りや花見の場所取り、忘年会の場所の手配など)を中堅になっても続けるということだ。 

とコメントされているのには少々唖然としましたね。いくら何でも、ここに書かれている例示が「今の若手社員の仕事の典型」とは言えないでしょう。(それとも産経新聞社の職場ではこういったことが残っているのでしょうか・・・) 

 

 

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僕はこんなものを食べてきた (三國 清三)

2020-03-09 09:26:47 | 本と雑誌

 先に、元帝国ホテル総料理長村上信夫さんの自伝「ホテル厨房物語」を読んだのですが、その中に三國さんも登場していました。 

 その記憶が残っていたせいか、いつも行く図書館の書架で目についたので手に取ってみました。北海道増毛の漁師の家に生まれ育った「世界のトップシェフ・ミクニ」の自伝的エッセイです。 

 村上さんの本、三國さんの本、その両方を読んでまず誰でも気づくだろう点。 
 料理に関心を抱いてから目標に向かっての修行時代の頑張り、その努力が報われての大抜擢、そしてそのチャンスを活かして見事に超一流の料理人として栄達・・・。村上さんも三國さんも本当によく似たタイプなんですね。(「鍋磨き」は一流シェフの登竜門です) 
 今の名声に至るまでの努力は並大抵のものではなかったに違いないのですが、料理に対する一途な想いがお二人を支えたのでしょう。その激情がストレートに響いてきます。

 本書を読んで、一番印象に残ったくだり。もちろん超一流の料理も味わいながら、予想外に“マヨラー”だという三國さん、カレーもラーメンも大好きとのこと。 

(p174より引用) 要はピンからキリまでなんでも食べるということ。「飯は食ってみろ、人には会ってみろ」というのがぼくのモットーだ。食わず嫌いは損をする。世の中の味の平均値や時代の傾向、味の好みを知っておくことは、料理人としても必要なことだ。 

 ちなみに、三國さんが若いころ腕をふるった“札幌グランドホテル”は、札幌出張の折にはよく利用させていただいていましたし、“帝国ホテル”も以前の職場のご近所さんでときどき(仕事関係ですが)お世話になっていたので、本書で紹介されている数々のエピソードには一層の親近感が沸いてきますね。 

 

 

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ひとりで生きる 大人の流儀 9 (伊集院 静)

2020-03-08 11:02:41 | 本と雑誌

 伊集院さんの著作は初めてではなかったと思ったのですが、やはりかなり以前に「大人の流儀」とのタイトルでシリーズ化された第一作目を読んでいました。

 が、その時のブログを読み返してみても、やはりあまり印象に残るところはなかったようです。 
 今回の本書も、特に何か目新しい切り口や、ユニークな感性に触れられるわけでもなく、“極々普通のエッセイ”ですね。 

 「エッセイ」とはこういったテイストなんだと言われれば、そのとおりだろうなと思いますが、やはり“物足りなさ”は否めません。残念ですが、ちょっと私には合わないようです・・・。 

 

 

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ゴリラの森、言葉の海 (山極 寿一・小川 洋子)

2020-03-07 21:02:44 | 本と雑誌

 先に読んだ山極寿一さんの本「ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」」がなかなか面白かったので、続けて手に取ってみた本です。こちらは、作家の小川洋子さんとの“対談集”です。 

 さて、読み終わっての印象ですが、勝手に一人合点で思っていた(期待していた)内容とはかなり違っていましたね。 

 もう少し山極さんから「ゴリラの興味深い生態」の話が聞けるかと思ったのですが・・・。そういった点からいえば、かなり欲求不満が残りました。また、別の本でリベンジしなくてはなりません。 

 とはいえ、なるほどと感じるようなお二人のやり取りもありました。屋久島の原生林の中でのお二人の会話です。 

(p213より引用) 小川 作家が作るのは「架空の物語」です。しかしそれは、読者の生きている場所と断絶した世界ではありません。時空間を測る尺度が現実と異なるだけで、どこかに実在するかもしれない世界なんです。 
(中略) 
山極 ゴリラとわれわれは同じ時間を生きているわけですよね。でも、人間はゴリラの世界に入ったことがなかった。ゴリラも人間のことは知らなかった……。ゴリラの世界を知ることは、小説を読んだ後の感触とすごく似ているんです。 

 「野生のゴリラを知ることは、ヒトが何者か自らを知ること」、ゴリラの研究と小説との共通点を山極さんは感じ取ったのでしょう。 

 本書は、“人間”と対比された“類人猿”の社会的生態のトピックが散りばめられた「対話という形のエッセイ」です。 

 

 

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森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて (星野 道夫)

2020-03-06 14:30:55 | 本と雑誌

 星野道夫さんの著作は、かなり以前に読んだ「魔法のことば」という本以来になりますから久しぶりになりますね。
 こちらは、未完に終わった雑誌の連載に日誌を加えて一冊の本に作り上げられたものです。 

 私とは全く違った世界に生きた星野さんの思考や行動に触れると、(その瞬間だけでしかないのが情けないのですが、)大いに励起されるものがありますね。 

 さて、今回の旅の舞台はもちろん“アラスカ”。星野さんは氷河に囲まれたインディアンの部族を巡り、そこに伝わる神話を訪ねます。 

 アラスカの大河ユーコン川の川沿いのミントウ村に住むアサバスカンインディアンの古老ピーター・ジョンから、物々交換のために500キロ歩くことも厭わない昔のインディアンの生活の様子を聞いた星野さんは、こんなことに気づいたのでした。 

(p232より引用) ぼくはかつてアラスカの未踏の原野に魅かれていた。セスナで何時間も飛び続けながら、まったく人気のない原野を驚嘆をもって見下ろしていたものだった。が、それは大きなまちがいだった。太古の昔から、アラスカの原野は足跡を残さぬ人々の物語で満ちているのだ。北方アジアから渡ってきたモンゴロイドが、この壮大な原野を越えていったことが、今、手にとるように想像できる。 

 同じ“ワタリガラスの伝説”をもつアジア大陸のモンゴロイドと北アメリカ大陸のインディアンとの繋がりに星野さんは思いを馳せ、それを確かめる旅を続けました。 

 それは、星野さんの最後の旅になりました。 

 

 

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私はコーヒーで世界を変えることにした。 (川島 良彰)

2020-03-05 21:11:30 | 本と雑誌

 著者の川島良彰さん、私がいつも聞いているピーター・バラカンさんのPodcastの番組に(かなり以前、)ゲストで来てコーヒーハンターのお話をされたのですが、それは強烈なインパクトがありました。
 ということで、手に取ったのが本書です 

 川島さんのコーヒー追究の旅の出発点は「エルサルバドル」。18歳のとき、川島さんの旅の門戸を開いてくれた恩人が、当時の駐日エルサルバドル大使ワルテール・ベネケ氏でした。 

(p44より引用)また、発展途上国の厳しい環境の中では、いくら勉強ができても生きていく能力がなければ死んでしまう。発展途上国で生きていくためには、どんな状況下でも生き抜く智恵や経験、そして体力や判断力が必要だと教えられた。 
 その教えこそ、その後の私の人生の礎となる「Street smart(ストリート・スマート)」という考え方だった。 
 「ストリート・スマート」は、「どんなときでも何とかなる」、「どんな状況でも何とかする」、「常に楽しくおもしろく生きる」という生きるための心構えであり、生き抜くために覚えておくべき究極のポジティブ思考だった。 

川島さんの生きていく上での信条となったベネケ大使からの大切な教えです。 

 そして、もう一人の恩人は、上島珈琲上島忠雄会長(当時)でしょう。
 忠雄会長との出会いは“奇跡的な瞬間”でした。そして、コーヒーに惚れ込んだ「創業者スピリット」溢れる上島会長圧倒的な行動力・決断力支えられ鼓舞されて、川島さんは想像を絶する困難なミッションにチャレンジしていきました。

 そのミッションは、未開の土地での「コーヒー農園の開拓」という“超リアルビジネスでした。
 不安定な国情・初対面の現地の人々に加え、土地・気候・自然災害等々、人知では制御不能な数々の外的障害に直面しつつも、それに屈することなく立ち向かっていった川島さんの波瀾万丈の生き様は見事としか言いようがありません。

 「どんな状況でも何とかする」このStreat smartの教えを活かしたのは、川島さんの“コーヒーにかける強烈な情熱”だったのだと思います。 

 

 

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この世界を知るための 人類と科学の400万年史 (レナード・ムロディナウ)

2020-03-04 09:37:04 | 本と雑誌

 レナード・ムロディナウ氏の著作は、以前「たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する」という統計学や確率論を扱った本を読んだとことがあるので、本書で2冊目になります。こちらは「科学史」です。

 解説は、第一部「直立した思索者たち」、人類の誕生から始まりますが、私の興味を惹いたところをいくつか書き留めておきます。

 まずは、人類が「科学」を意識的に活用し始めた契機を指摘しているくだりです。 

(p47より引用) 農業や牧畜の発明をきっかけとして、その営みの効率を最大限に高めることに関係した新たな知的飛躍が起こった。人々が、自然の法則や規則性を学んで活用したいと思うようになったのだ。・・・それがのちの科学の芽生えになった 

 この法則への目覚めをより高めたのが、新石器時代の定住地の拡大だったと論は続きます。人々が力を合わせて知恵を出し合うようになったのです。  
 この自然の規則性か法則を学ぶ段階から、人びとは、法則に則って自然を理解するという段階に進んでいきます。 

(p95より引用) タレスは、自然は秩序だった法則に従うと語ったが、ピタゴラスはさらに歩を進め、自然は数学的法則に従うと断言した。そして、宇宙の根本的真理は数学的法則にほかならないと説いた。 

 しかし、次に登場する巨人アリストテレスはこういった定量的思考を否定しました。 

(p105より引用) アリストテレスは、・・・法則の定量的な細部よりも、なぜ物体がその法則に従うかという疑問のほうに関心があった・・・ここにアリストテレスの哲学と今日の科学の進め方との最大の違いがある。・・・ 目的を探すというこのアリストテレスの分析の特徴は、・・・今日の研究の道しるべとなっている強力な科学原理とは完全に相容れなかったため、2000年近くにわたって科学の進歩は妨げられた。 

 アリストテレス哲学は、長年にわたって物理学・化学・生物学等々幅広い分野を支配していました。
 その物理学の世界でのアリストテレスの種々の説を壊したのが、ガリレオニュートンであり、さらに、ニュートンの考え方を壊すのがアインシュタイン・・・と連なっていきます。同じように、化学の世界での破壊者はラヴォアジェであり、生物学の世界ではレーウェンフックでした。
 

(p382より引用)どんな時代に生きているにせよ、我々人間は、自分たちは知識の頂点に立っていると信じたがる。かつての人々の考え方は間違っていたが、自分たちの答は正しく、今後もそれが覆されることはないだろうと信じるのだ。科学者も、さらには偉大な科学者も、ふつうの人と同じくこの手の傲慢さを抱きやすい。 

 そして、著者は「エピローグ」で、とても興味深い「頭の体操の問題」を提示して、本書にて伝えたい科学の進歩の営みについて述べています。 

(p378より引用)古くからのある問題を一つ。ある日、一人の修道士が日の出とともに修道院を出発して、高い山の山頂に建つ寺院目指して登っていった。その山にはとても細くて曲がりくねった道が一本しかなく、急な場所では修道士はゆっくりと進んだが、日没の少し前に寺院へ到着した。翌朝、修道士は再び日の出とともに道を下り、やはり日没に修道院へ到着した。問題――その両方の目でまったく同じ時刻に修道士がいた地点は存在するか? 

 その答えは「Yes」です。 

(p379より引用)一人の修道士が登りと下りで同じ時刻に道の途中のある特定の地点を通過するというのは、ありえそうもない偶然のように思える。しかし自由な心を持って、二人の修道士が同じ日にそれぞれ登りと下りをたどるという空想を膨らませれば、それは偶然でなく必然であることがわかる。
 ある意味、この世界を少しだけ違うふうに見ることのできる人たちがそれぞれこのような空想を次々に膨らませたことによって、人類の知識は進歩してきた。 

 そして、さらに大切な指摘です。 

(p345から引用)バスケットボールの神様マイケル・ジョーダンは、あるとき次のように語った。「選手生活の中で九〇〇〇回以上シュートを外している。三〇〇試合近く負けている。決勝のショットを任されて外したことは二六回。人生で何度も何度も何度も失敗した。だから成功しているんだ」。この言葉はこの言葉はナイキのコマーシャルの中で語ったものだ。伝説の人物でさえ失敗しては食い下がったという話には、大いに勇気づけられる。発見や革新の分野に関わっている人も、ボーアの見当違いの考えやニュートンの錬金術への無益な努力の話を聞けば、学問の世界のアイドルでも自分と同じくらい膨大な間違ったアイデアや失敗を重ねたのだと知ることになる。 

 こういった数限りない科学者たちによる膨大な“知的格闘”によって、今の人類の知識の到達点があり、そして、まさに今もこうった“格闘”が繰り広げられているのです。 

 

 

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帝国ホテル厨房物語 (村上 信夫)

2020-03-03 15:05:47 | 本と雑誌

 小さいころNHKの料理番組の「きょうの料理」を見るのが好きでした。
 料理そのものではなく、超一流の料理人の方々の個性的な姿やアナウンサーの方とのやりとりがとても楽しみだった思い出があります。
 小野正吉さんの“クール&ニヒルな姿”、陳建民さんの“ユーモラスな語り口”と並んで、当時の村上信夫さんの体型そのものの“にこやかな表情と穏やか物腰”ははっきりと記憶に残っています。

 本書は、日本のフランス料理界の重鎮(帝国ホテル総料理長)村上信夫シェフの筆による“自伝”です。
 幼くして両親を亡くしながら、持ち前のバイタリティと誠実さをもって波乱万丈の半生を送った村上さんの姿がそのままに記されています。

 憧れの帝国ホテルのフランス料理の厨房に立ちながら召集され、決死の最前線場に赴いた村上さん、

(p84より引用)その後も私は数多くの作戦に参加し、四回負傷した。地雷の破片で右太ももをやられたこともある。生きているのが不思議なくらいである。背中と右太ももに受けた銃弾と地雷の破片を摘出したのは、昭和六十三年二月のことだ。皮膚の近くまで浮いてきたので取り出した。
 敗戦から四十年余りを経て、私の戦争はやっと終わりを告げた。

 若くして赴いた激戦地の最前線、それに続くシベリア抑留での壮絶な体験は筆舌に尽くしがたいものでした。それでも「料理人への夢」は決して消えるものではありませんでした。
 フランス料理に魅せられ、フランス料理一筋でその道を究めた村上さん。山あり谷あり、波瀾万丈の半生、それでも、その語り口も、まさに“ムッシュ”と呼ばれた人柄そのままに気負わず上品です。

 読む人各々の「自らの生きる姿勢」を省みるに相応しい、素晴らしい本だと思います。

 

 

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役に立たない読書 (林 望)

2020-03-02 15:20:28 | 本と雑誌

 林望さんの本は今までも少しばかり読んでいるのですが、語っている内容は結構すっと腹に落ちるんですね。本書もそうでした。

 「ベストセラーは読まない」「速読はしない」「同時並行的に何冊も読み進める」等々は、まったく同感です。

 その他、たとえば、“本を読む意味”について触れているくだり。
 「徒然草の第十三段」
  ひとり、灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる

を紹介したのに続いて、

(p178より引用)この「なぐさむわざ」として書物を読む、これこそが読書のもっとも実り多いありかたであって、そこからどんな役に立てようかなどということは、一切不要のことだと、兼好法師は看破しているように思います。

と述べています。読書は「心」を慰めるもの、私もそう思います。

 ただ、「本は借りて読む」というスタイルの私なので、林さんの「本は自分で買って読め」という勧めは実践できそうにありません。
 できるだけ乱読・雑読でいきたいので、読んでみたいと思った本をすべて買っているとあまりにも“無駄打ち”が多くて、お金も保管場所もついていかないのが正直なところです。

 

 

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イギリスの失敗 「合意なき離脱」のリスク (岡部 伸)

2020-03-01 13:18:55 | 本と雑誌

 妻が読み終わったので借りて読んでみました。 

 本書の出版は2019年8月29日ですから、書かれている直近の情報は、離脱推進派ジョンソン首相があらゆる方策を駆使し10月末の離脱を目指していた途上の様子です。そして、ついに2020年1月31日23:00GMTにブレグジット(英のEU離脱)が実現しました。

 このイギリスのEU離脱ですが、みなさんご存じのとおり、2016年6月23日の国民投票で「投票者の51.9%がEUを離脱することを選択した」ことによるものです。当時その予想外の投票結果には、ほとんどの人々が驚きましたし、当然、私もそうでした。
 ただ、その驚きは、そこに至
るまでのイギリス国内の数々の論点を知っていた故ではなく、本書を読んで、今さらながら「僅差での判断」であった背景等をようやく知ったという有様なわけです。

 著者も指摘しているように、ここに至る要因を「イギリス国民のポピュリズム」だけに求めるだけでは正しくないでしょう。
 今現在のEU域内の政治環境・経済環境等を踏まえ、他方の当事者である“EUの変容と実体”についてもきちんと勉強する必要がありますね。
 

 

 

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