この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

砂漠。

2005-12-15 23:57:18 | 読書
伊坂幸太郎著、『砂漠』、読了。

無意識のうちに両手を空に、そこは屋内だから天井があるだけで夜空はないのだけれど、でも気持ちの上では空に向けて、突き出した。(『砂漠』106pより)

正直なところ伊坂幸太郎の近著には、少しばかり失望に近いものを味わされました。
奇妙なライフスタイルの死神と人間の交流を描く『死神の精度』、近未来、強大な権力を持つ政治家に戦いを挑む兄弟の話である『魔王』、どちらも決して面白くないとか、読む価値がないとか、決してそういうわけではない。悪くはない。
けれど、我々は、あえて“我々”と複数形にさせてもらいますが、伊坂幸太郎という作家に対し「悪くはない」という程度のものを求めているわけではありません(と思います)。
別に彼の著作に限らず「悪くはない」という程度のものならはっきりいって書店で高い金を出して買う必要なんて全然ない。
(裕福な)知人か、もしくは図書館で借りれば済むことです。
我々が本を買うのは、“読む”ためでなく、“読み返す”ためなんですよね。
少なくとも自分はそうです。
一度しか読まないでいい本は自分にとって買う価値のない本です。金の無駄。
翻って『死神の精度』、そして『魔王』、悪くはない。悪くはないけれど、物足りない。野球に例えれば四割を期待していた選手が二割五分ぐらいでシーズンを終えたような、そんな感じ。
おぃおぃ、そんなもんなのかよ、みたいな?
勝手なファン心理といえばそれまでだけど、やっぱりどうしても期待するものがあるわけです。
さて、前置きが長くなりましたが、『砂漠』です。
この作品がまたまた二割五分であったなら、自分としては伊坂幸太郎の評価を少しばかり修正しなくちゃいけないところでした。
以前はかなりの素質を期待できたが、現在は三割にも満たないプレイヤー、というふうに。
そんなふうにして読み始めたのですが、『砂漠』、素晴らしく面白かったです。こういうお話を待っていたんだよ!そう喝采を送りたいです。

ストーリーの紹介を、といいたいところですが、それはちょっと無意味かな、と思うので止めます。
いや、岩手から仙台にやってきた主人公の、四人の個性的な友人たちと送る、波乱に満ちた四年間のキャンパスライフなどとつらつら粗筋を書くのは容易いのですが、それで『砂漠』の面白さが伝えられるとは思えないのです。
同じ理由で人物紹介も割愛。
結局のところ、自分にこの作品を的確にレビューするだけの文章力がないってだけのことなんですけどね。
ただ、この『砂漠』という作品のキーワードだけいくつか挙げておきます。
『麻雀』、『ボーリング』、『超能力』(!)、『キックボクシング』、そして『奇跡』。
そう、『砂漠』は『奇跡』のお話です。
突然ですが奇跡とは何だと思いますか?
奇跡という言葉には、海を割ったり、死人を生き返らせたりと何だか大層なイメージが付きまといます。
けれど自分はそんなふうには思いません。
単純に、奇跡とは涙が出るくらい感動すること(もしくは感動の余り涙を流すこと)だと思っています。
ですから、日常の、もしくは日常から一歩離れた非日常でもいいのですが、何気ない風景の中に、奇跡っていうのは案外存在しているのではないでしょうか。ただ普段はそれに気づかないだけ。
『砂漠』でも作中幾度か奇跡が起こります。
賭けボーリングに負けて絶体絶命の危機に陥ったとき、ある事故によって人生に絶望した友人を元気づけようとしたとき、クリスマスイブの夜、どう考えても釣り合わない相手に自分の気持ちを伝えようとしたとき、悪漢に囲まれ、まともに戦えそうなのは三人の仲間の中で自分だけのとき、そんなとき奇跡が起こるのです。
タイトルでもある『砂漠』は、このお話の中で「社会」を指す比喩ですが、同時に心の乾いた状態のことも指します。
この本を読めば、心の中の砂漠に雪が降ることもあるのだということが、そして奇跡とは決して神の御業ではないということがわかってもらえる、そう思います。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする