この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

議論をするのは好きではありません。

2014-08-20 23:14:21 | 戯言
 議論をするのは好きではありません、というようなことをある人に言ったら、「えぇ!?」と驚かれました。このブログでしょっちゅう何かしら議論(orそれに近いこと)をやっているので意外に思われたようです。
 でも議論があまり好きではないというのは本当。
 その証拠に(なるかどうか定かではないけど)ネットを初めて十年以上になるけど、自分から誰かに議論を挑んだり、仕掛けたりしたことは数えるほどしかないですからね(先日の『究極の趣味は何?』という記事も含めて)。たぶん、三、四回ぐらいしかない。

 ただ、このブログであれ、ミクシィのコミュのトピックであれ、自分の考えや意見を述べること自体は嫌いではないので(といってもミクシィのコミュでコメントをすることはほとんどなくなっちゃいましたが)、そこで反論され、それに対して再反論し、以降議論に発展することはままありますね。
 でも自分から自分とは違う考えの人に「それは間違ってるんじゃないですか」などと意見をしたことはないです。

 先日も拙ブログのある映画のレビュー記事に対してコメントを書き込んだ人がいました。自分が記事の中で登場人物の一人の行動理由がわからないというようなことを書いたことに対し、「そんなことはネットで調べたら簡単にわかるんじゃないですか」とご丁寧にwikiの説明文を貼ってくれたのです。
 申し訳ないんだけど、自分が問題にしているのはあくまで映画の中でのことであって、答えをネットに求めているわけじゃないんだよね。
 おかげで自分はその映画には脚本上の不備があるという結論に至り、自分の中のその映画に対する評価を下げる羽目になりました。
 
 自分が議論をしない理由のその一つは、まず、自分が、どうでもいい人が何をしようが何を考えようがどうでもいいという考えだからです。
 ある映画を観て、自分と異なる感想(解釈)を抱く人がいても、基本的にそれはどうでもいいことなんです。
 その感想(解釈)は間違ってる!!などと人様のブログに怒鳴り込む気にはなれません。

 二つ目、こちらの理由の方が大きいのですが、議論って結局信用できる相手としか出来ないものなんですよね。
 だいぶ前になりますが、ミクシィの某作家のファンコミュで、その作家の新作の解釈について議論になったことがありました。
 そこでひどい目に合ったんですよ。こちらが考えを曲げなかったので、途中から暴言を受けるようになり、挙句には人格否定までされました。
 ちょっと意見が対立したぐらいで相手を罵り出すような人間とは議論なんて出来るものではありません。
 
 だから、議論をすることは好きではない、というのは正しくは相手による、状況による、という条件が付くんですけどね。
 そのような条件が整うことは滅多にないと思うので、これからも自分からは議論を挑むことはまずないと思います。

 ただ、議論を挑まれたら、時間の許す限り、気力の持つ限り、相手はしたいと思っています。
 挑まれて、背を向けるのは男らしくないかなと思うので。
 でも決してそれを望んでいるわけではないのです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする