まず断っておきたいのは乙一ファンになって自分は長いということです。今、この記事を目にしている誰よりも長いのではないか、と思います。
乙一の処女作であるジャンプJノベルズの『夏と花火と私の死体』の初版本を持っている人なんてそうはいないんじゃないでしょうか。
今まで彼の作品を読んできて、ぐわっと魂を鷲掴みにされたこともあれば、泣けて泣けて仕方がなかったこともあります。
一方イマイチだなと思ったこともありますし、好みの作品じゃなかったこともありました。
しかし中村航との共著である新作『僕は小説が書けない』はこれまで読んできた彼の作品の中で正直一番面白くなかったです。
自分が乙一の作品で好きなところは、よくそんな設定を思いついたな!という奇想天外さなのですが、この作品にはそういった驚きがまったくありませんでした。
いや、逆にまったく捻りが何もなくて驚かされました。
あまりにもありがちな展開で話が進んでいき、もしかしてそれが伏線か何かになって最後の最後にドンデン返しがあるのではないかと疑ってしまいましたが、別段そんな高等なものもなく、終わってしまいました。
まるで出来の悪い少女漫画でも読んだような気分でしたよ。
いや、本当に少女漫画でしたね。
特に216p!こういうシーンは決して書かない人だったのになぁ。
共著だったからだと思いたいです。
少女漫画みたいな展開が受け付けなかっただけじゃないのか?と思われる方もいるかもしれませんが、客観的に考えてそれはおかしいだろうと言いたくなるところもありました。
例えば、主人公の幸太郎は文芸部の夏合宿で自分を部に誘ってくれた七瀬がOBである原田とキスをするのを目撃します。
で、その原田は一ヶ月後の文化祭にやってくるんですよ、婚約者を連れて。
いやいやいや、それはありえないでしょ。
もし七瀬が婚約者と一緒にいる原田を見て発狂したらどうするの?いや、発狂まではしなくても「原田さん、私のことは遊びだったんだ?」みたいなセリフを婚約者の前で口にしたら?
原田というキャラクターがなぜそのような火薬庫で葉巻をスパスパ吸うような真似をするのか、自分にはまったく理解出来ませんでした。
誰か説明できる人、いますか?
他にもいろいろ言いたいことはあるのですが、省略します。
この作品だけで乙一のことを見限るってことはありませんが、これと似たような作品が続けば、それも考えなくてはいけないかもしれません。
そうなるのは自分にとって悲しいことなのですが。
乙一の処女作であるジャンプJノベルズの『夏と花火と私の死体』の初版本を持っている人なんてそうはいないんじゃないでしょうか。
今まで彼の作品を読んできて、ぐわっと魂を鷲掴みにされたこともあれば、泣けて泣けて仕方がなかったこともあります。
一方イマイチだなと思ったこともありますし、好みの作品じゃなかったこともありました。
しかし中村航との共著である新作『僕は小説が書けない』はこれまで読んできた彼の作品の中で正直一番面白くなかったです。
自分が乙一の作品で好きなところは、よくそんな設定を思いついたな!という奇想天外さなのですが、この作品にはそういった驚きがまったくありませんでした。
いや、逆にまったく捻りが何もなくて驚かされました。
あまりにもありがちな展開で話が進んでいき、もしかしてそれが伏線か何かになって最後の最後にドンデン返しがあるのではないかと疑ってしまいましたが、別段そんな高等なものもなく、終わってしまいました。
まるで出来の悪い少女漫画でも読んだような気分でしたよ。
いや、本当に少女漫画でしたね。
特に216p!こういうシーンは決して書かない人だったのになぁ。
共著だったからだと思いたいです。
少女漫画みたいな展開が受け付けなかっただけじゃないのか?と思われる方もいるかもしれませんが、客観的に考えてそれはおかしいだろうと言いたくなるところもありました。
例えば、主人公の幸太郎は文芸部の夏合宿で自分を部に誘ってくれた七瀬がOBである原田とキスをするのを目撃します。
で、その原田は一ヶ月後の文化祭にやってくるんですよ、婚約者を連れて。
いやいやいや、それはありえないでしょ。
もし七瀬が婚約者と一緒にいる原田を見て発狂したらどうするの?いや、発狂まではしなくても「原田さん、私のことは遊びだったんだ?」みたいなセリフを婚約者の前で口にしたら?
原田というキャラクターがなぜそのような火薬庫で葉巻をスパスパ吸うような真似をするのか、自分にはまったく理解出来ませんでした。
誰か説明できる人、いますか?
他にもいろいろ言いたいことはあるのですが、省略します。
この作品だけで乙一のことを見限るってことはありませんが、これと似たような作品が続けば、それも考えなくてはいけないかもしれません。
そうなるのは自分にとって悲しいことなのですが。