この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

お年玉はいくら?

2014-12-22 23:13:17 | 戯言
 自分ぐらいの年齢の独身男性がこんなことを口にするとよく誤解されるのですが、自分は子ども好きです。
 子どもって見てると飽きないですよね。よくそんなことを思いつくなと感心することもあるし、予測不能な行動は見ているだけで楽しいです。
 また子どもの相手をするのも苦じゃありません。
 子どもの扱いも上手い方だと思いますよ。
 ワークショップで子どもの相手をしたこともありますしね。

 上手く子どもの相手するコツ、それは子どもを子ども扱いしないことだと思います。一人前の人間として扱う。大概の子供はそうされることを望んでますからね。
 逆に大人と上手くやっていくには、相手を子どもだと思うことじゃないでしょうか。この人は(精神的に)子どもなんだから、まともに相手をしても仕方がないと思うようにする、、、それは上手く出来ないんですけどね。笑。

 子どもの失敗や粗相に腹が立つってことはありません。
 しょせんはまぁ子どもですしね。
 子どもは失敗するもの、最初からそう考えてこちらも行動すべきだと考えています。

 子どものやることであれば何でも許せるのかというとそういうわけでもないです。
 子ども相手に本気で腹を立てることもあります。

 去年のお正月のことです。
 姪っ子のなるみか、甥っ子のたけひろなのかはわかりませんが、お袋からもらったばかりのお年玉のポチ袋を風呂場のゴミ箱に捨てていたことがありました。
 ポチ袋といっても100円ショップで買ってきたようなものではないですよ。お袋は孫のためにちゃんとした祝儀袋でお年玉を渡しましたからね。
 見つけたお袋が名前を確かめれば、どちらが捨てたのかわかったのですが、その時お袋はショックで名前も見ずにそのまま処分したそうです。
 その話を聞いて自分は猛烈に腹が立ちました。
 お年玉のポチ袋なんてそりゃ生涯取っておくようなものじゃないですよ。ぶっちゃけ家に持ち帰ったら捨ててしまうものでしょう。
 しかし、もらった家の風呂場のゴミ箱に捨てていく奴がどこにいるというのか。
 なるみなのか、たけひろなのかはわかりませんが、捨てた奴はお金をもらうということがどういうことなのかわかってない、引いてはお金のありがたみがわかってないと思いました。

 だから今年の正月に二人に宣告したんですよ。
 去年の正月はこういうことがあった、とても残念に思う、(罰として)もし来年自分からお年玉をもらいたければ、今年もらったお年玉のポチ袋を持ってくるように、と。つまりポチ袋と交換にお年玉をあげるってことです。

 何度も強く念を押しましたが、たぶん二人ともそんな約束をしたことなど綺麗さっぱり忘れていることでしょう。
 何といっても子どもですしね。笑。ポチ袋を持ってくるとは到底思えない。
 で、こちらとしてはどうするか、ですよ。
 選択肢は3つ。
1.約束をしたことをこちらも忘れることにして(ポチ袋を持って来ようが来まいが)お年玉を全額あげる。
2.約束通りポチ袋を持ってこなければお年玉はあげない。
3.ポチ袋を持ってこなかった場合お年玉は減額。
 自分としては2を選択したいのが山々なのですが、今年は喪中でもらえるお年玉の金額も少なそうなのでさすがに酷かなと思っています。
 落としどころで(お年玉だけに)3ですかねぇ。
 
 子どもの相手をするのってその子どもが身近であればあるほど大変だと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする