この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

美食家、その4。

2017-12-08 22:41:15 | ショートショート
 うつらうつらと眠りに落ちていたダドリーは階段を降りてくる足音で目を覚ました。
「叔父さん、お早うございます」
 ダドリーは内心驚いていた。目の見えない状況では、ずいぶん時間の流れるのが速い。
「ご機嫌いかがですか、叔父さん」
「ああ、しごく良好だとも、クリスフォード・ケイン」
 実際ダドリーは目も見えず、手足もろくに動かせないというのに、近ごろでは覚えがないほど気分が上々だった。
「そ、それは良かった。何よりです」
 クリスはダドリーの返答に多少意表を突かれたようだった。
「それで何のようだ、クリス」
「朝食をご用意しました」
「フフ、まさか、昨日と同じメニューではあるまいな」
 前回の食事との違いはクッキーの枚数が一枚増えたことだけだった。もっともそのことでダドリーは文句をつけようとは思わなかった。一歩も動けない自分が満腹であっても意味はない。
 だが用を足さざるをえない時の屈辱感といったらなかった。足を椅子に固定されたまま、上半身を起こし、ズボンのファスナーを下ろされ、箸のようなもので(いや箸に間違いない)彼の性器をつまみ出され、目標を定めることもなく放尿する。特製の便器とはすなわち金属製のバケツであり、しかもそこから少なからずこぼれる始末だった。
「頼む、今だけでいい、手錠を外してくれ!」
 ダドリーの必死の懇願もクリスは非情にも拒否した。
「駄目です、それだけは聞き届けるわけにはいきません」
「くそっ、クリス、頼む…」
 やがてダドリーの尿意が収まった。
「クリス、許さんぞ…」
「申しわけありません、叔父さん。初めてだから上手くいかなかっただけで、次はきっと大丈夫ですよ」
 ズボンの汚れを拭かれ、再びダドリーは椅子に座らされた。
 それからダドリーは数度の食事と(結局セサミクッキーとミルク以外のメニューはなかった)、その間に何度か放尿をした。クリスの予言通り二度目からはうまく的に収まるようになった。
「三日目の、朝です」
 いつの間にか寝入っていたダドリーの耳元でクリスが囁いた。
「長い間、お疲れさまでした」
 ダドリーは、クリスがいると思われるほうへ顔を上げた。
「クリス、お前に、言っておかなければならないことがある」
「何ですか、叔父さん」
 ダドリーは少しばかり迷っていたが、やがて言った。
「こんな状況で言っても、お前は信じてはくれないかもしれないが、私はお前のことを、愛していた」
 クリスはダドリーの言葉に少し間を置いてからこう答えた。
「叔父さん…。こんな状況では、とても信じてはくれないでしょうけど、僕も、叔父さんのことを心から愛していますよ…」
 人に聞かれたら馬鹿馬鹿しいと笑われるだろう。だがダドリーは、クリスのその言葉を信じた。
「人はいつか、死ぬ。愛するお前の手にかかって死を迎えられるのであれば、考えてみれば、それも幸福な 死に方かもしれないな…」
 ダドリーのその問いに対して、クリスは何も答えようとはしなかった。その代わりにダドリーの口に匙を当てた。
「これが、最後の晩餐です。お口に合うといいのですが」
 ダドリーはその匙を口に含んだ。タドリーの口の中に芳醇で素朴な味がゆっくりと広がっていった。およそダドリーが今まで口にしたことのない、シンプルだが、それでいて何かに例えようのないほどの広がりを持つ味だった。
「これは、何だね?」
 ダドリーは思わず尋ねた。
「粥です。中華粥です」
 クリスの答えにダドリーはゆっくりと息を吐いた。美食を極めた自分の最後の食事が粥とは…。そう思いながらもダドリーの目隠しされた両眼の奥から涙が一筋流れた。
「もう、思い残すことはない…」
 その言葉を待っていたかのように、クリスがダドリーの足の戒めを解いた。そして次に両手の手錠を外し、最後に目隠しを取った。
「叔父さん…」
 ダドリーは二度、三度目を瞬かせた。そしてアッと短く叫んだ。目の前に執事のロバートと主治医のハーロンが立っていたのだ。
「お、お前たちもグルだったのか!?」 
 ダドリーがそう叫ぶと、慌てたようにクリスが言った。
「違うんです、叔父さん、二人には僕が無理を言って協力してもらったんです」
「どういうことだ、クリス…」
 そこでダドリーは気づいた。その地下室はどこでもない、彼自身の屋敷の地下室だったのだ(とは言っても彼が地下室に下りたのはもう五、六年も前のことだが)。
「僕が一芝居打つのに、二人に、この一日協力してもらってたんです」
「一日?三日じゃないのか?」
「いえ、一日です。正確には一日と四時間です」
 確かにやけに時間の流れが速く感じられたことをダドリーは思い出した。だが、それですべてを納得したというわけでもなかった。
「だが、どうしてこんな芝居をしなければいけなかったというんだ?」
 ダドリーの当然とも言える問いに、クリスは申しわけなさそうに首をすくめた。
「叔父さんに、この中華粥を食べてほしかったんです」
 二人の会話にハーロンが割って入った。
「ダドリー、お前さん、今のままの食生活を続けていれば、肝臓がパンパンに膨れ上がって、せいぜい半年の命じゃったんだぞ」
 ダドリーは二人に向かって、余計な真似を、と怒号を浴びせようとした。だがその瞬間さっき口にした粥の味が思い出され、なぜだか怒りは陽光に雪が解けるように消えてしまった。
「叔父さん、この中華粥を作ってくれたシェフを紹介するよ。彼女はロキシー・スェン」
 そう言ってクリスは男たちの間に隠れるように立っていた一人の女性を紹介した。年齢はクリスと同じぐらいだろうか、決して派手な美人というわけではないが、穏やかな表情をした、豊かな黒髪を後ろに束ねた東洋系の女性が、ダドリーの前に進み出た。
「お味は、いかがだったでしょうか、ミスター・オブライエン」
 ダドリーは、ロキシーに精一杯の仏頂面を向けてこう言った。
「今まで食ったものの中で一、二を争う不味さだ。だが猛烈に腹が減っていて今にも死にそうだ。急いでもう一杯おかわりを持ってきてくれ、ミス・スェン」




                                          了
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