この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

映画『ガタカ』、最終考察リターンズ、その5。

2018-08-03 22:23:47 | 旧作映画
 遠泳競争でのヴィンセントの二回目の勝利も一回目の時と真相はさほど変わらないものだったのでは、と自分は考えます。
 さすがにそれは強引なのでは、と思われる方もいるかもしれませんが、やはり根拠はあります。
 作中、アントンがどこかのプールで泳ぐシーンがあるのです。
 もちろんこの時が遠泳競争以来初めての水泳だったという可能性もゼロではありませんが、アントンは日常的に泳いでいた、そう考えるべきでしょう。
 ただの気晴らしで泳いでいたのか?ただの暇つぶしだったのか?
 それも考えにくいです。
 彼は来たるべき再戦の時のために水泳の鍛錬を欠かさなかった、そう考えるべきでしょう。

 水泳の鍛錬を欠かさなかったアントンが再戦において不様に敗れる、というのはやはり考えにくいです。
 彼自身がヴィンセントに勝ちを譲ったのでなければ。

 なぜ彼はそんなことをしたのでしょう。
 理由はいくつか考えられます。 
 例えば、アントンは彼なりのやり方でヴィンセントの背中を押したかったのではないのか。

 宇宙飛行士になるというヴィンセントの夢、その夢のことを最初に知ったのは他ならぬアントンでした。
 十数年ぶりに再会した兄がまさかその夢を捨てていなかったとは、アントンはそれこそ夢にも思っていなかったでしょう。
 出来れば兄の夢を叶えてやりたい、アントンがそう思ったとしても不思議はありません。

 アントンは経験上どうすればヴィンセントが前を向いて進めるようになるかを知っていました。
 それは「適正者」である自分と勝負をして、ヴィンセントが勝つこと。
 前回遠泳競争で勝ったヴィンセントは宇宙飛行士になる夢を叶えるためにそのまま家を飛び出していますからね。
 その再現をしたのです。

 今述べた説は些か想像に頼りすぎる部分があるかもしれません。
 しかしアントンがヴィンセントのよき理解者であったことは間違いないと思います。
 なぜなら、すべての真相を知った後でも、アントンはヴィンセントを告発するような真似はしませんでしたから。
 そのこと自体、アントンがヴィンセントの夢を応援していた証拠になると思うのです。

 次回はヴィンセントの死と彼の持つ障害について語りたいと思います。


                                          続く。
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