今日は、例のごとく、「高松の水」を汲みに田人町へ。それほど寒くもなく、並ぶこともなく、すんなりと汲むことができた。午後は、全国都道府県対抗駅伝。福島県は、なんと2位。ゴール直前のデッドヒートは見物であった。
午後4時から、フジテレビで「決定 第18回FNSドキュメンタリー大賞」が放映された。今回の大賞は、「罪と罰 娘を奪われた母 弟を失った兄 息子を殺された父」。犯罪被害者のインタビューなどを通して、遺族感情や死刑制度について考えさせるものであった。
昨年から、裁判員制度が導入された。学生時代に習ったのだが、日本では、裁判所法というのがあって、第3条第3項で「刑事について、別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない。」と規定されている。そもそも、昭和22年にこの法律が制定され、はじめから陪審制度を想定していたものの、その制度化に約60年の時間を要した、ということであろう。
よく、アメリカの陪審裁判がテレビで放映されるが、陪審員の判断は「guilty」or「not guilty」までだったと思う。日本では、市民が有罪・無罪のみならず、量刑も決めなければならないという、恐らく、世界的にも例のない陪審制度ではないかと思う。ということは、「死刑」についても量刑判断をしなければならない、ということだ。
番組では、遺族の皆さんが行っている活動をふまえながら、それぞれの遺族が持つ「死刑」のとらえ方を映し出していた。先進国では、死刑制度が廃止、または執行停止となっているところが多いそうだ。日本の刑法では、死刑に続く刑罰は「無期懲役」。ただ、あくまで「無期」であって、「終身」ではない。死刑制度の存廃と併せて終身刑についても議論する必要があるのではないかと思われる。多分、やっていると思うのだが。
人が死んだ、殺されたというニュースが途切れた日はほとんど無いのではないだろうか。「命」の重さ、大切さを訴えるためには、どうすればいいのだろうか。家庭、教育、地域社会・・・。
「生きている」ことの喜びを噛みしめたい。
午後4時から、フジテレビで「決定 第18回FNSドキュメンタリー大賞」が放映された。今回の大賞は、「罪と罰 娘を奪われた母 弟を失った兄 息子を殺された父」。犯罪被害者のインタビューなどを通して、遺族感情や死刑制度について考えさせるものであった。
昨年から、裁判員制度が導入された。学生時代に習ったのだが、日本では、裁判所法というのがあって、第3条第3項で「刑事について、別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない。」と規定されている。そもそも、昭和22年にこの法律が制定され、はじめから陪審制度を想定していたものの、その制度化に約60年の時間を要した、ということであろう。
よく、アメリカの陪審裁判がテレビで放映されるが、陪審員の判断は「guilty」or「not guilty」までだったと思う。日本では、市民が有罪・無罪のみならず、量刑も決めなければならないという、恐らく、世界的にも例のない陪審制度ではないかと思う。ということは、「死刑」についても量刑判断をしなければならない、ということだ。
番組では、遺族の皆さんが行っている活動をふまえながら、それぞれの遺族が持つ「死刑」のとらえ方を映し出していた。先進国では、死刑制度が廃止、または執行停止となっているところが多いそうだ。日本の刑法では、死刑に続く刑罰は「無期懲役」。ただ、あくまで「無期」であって、「終身」ではない。死刑制度の存廃と併せて終身刑についても議論する必要があるのではないかと思われる。多分、やっていると思うのだが。
人が死んだ、殺されたというニュースが途切れた日はほとんど無いのではないだろうか。「命」の重さ、大切さを訴えるためには、どうすればいいのだろうか。家庭、教育、地域社会・・・。
「生きている」ことの喜びを噛みしめたい。