今日は、テレビをつけると最初のニュースはチリの救出作戦。ここ1、2ヶ月、生きたいという力をまざまざと見せられたような気がする。家族との再会は、まさに感動。電波に乗って全世界に伝わったと思う。
ふと思ったのだが、救出作戦もさることながら、我が日本国、経済対策、円高、株安などなど、加えて証人喚問やら、国民生活に直結することが、報道的には完全に薄まってしまったようだ。
BS-TBSを見ていたら、午後9時から「歸國」の再放送を放映していた。戦争でなくなった英霊が終戦記念日に現代社会を訪れ、思い出に浸るだけでなく、家族問題など今の生活への疑問を呈している。
「便利はサボることである」という言葉があった。高度成長期は、まさに便利社会の追究。その時、恐らく開発者達は便利な社会を考えたであろう。しかし、それは、サボる社会ではない。豊かな生活をするための開発だっただろう。豊かな生活をすることが、サボるということに、いつのまにかなってしまったのだろうか。自分自身を省みてしまう。
先日、ノーベル化学賞を受賞された日本人が2名。お二人の研究は、高度成長期に発見された成果である。お二人とも嘆いたのは理科離れ。小生も文系であるので何とも言えないが、以前の仕事で「ポスドク」問題を知った。毎日新聞で連載されている(た)「理系白書」でいろいろと書かれている。今の理科系の大学生は殆ど大学院へ進学するという。マスター、ドクターと学歴を積んでも、就職先がない。大学や研究所で勤めたとしても、3年更新の不安定な身分の中で研究と生活を成り立たせているそうだ。
ニュースによれば、アメリカと日本の科学技術研究費を比較すると、アメリカは日本の10倍以上。恐らく国家予算のみならず、民間からの寄付もある。寄付文化の進んでいるアメリカでは当然のことだろう。ただし、アメリカでは、そこに成果が求められているのは確かである。日本では、精神面のみならず税制面も含めて、寄付文化はまだまだだ。
今日のニュースを通して諸々考えてみると、社会(生活)のシステムと政治(行政)のシステムに何か乖離するモノがあるのかもしれない。
ふと思ったのだが、救出作戦もさることながら、我が日本国、経済対策、円高、株安などなど、加えて証人喚問やら、国民生活に直結することが、報道的には完全に薄まってしまったようだ。
BS-TBSを見ていたら、午後9時から「歸國」の再放送を放映していた。戦争でなくなった英霊が終戦記念日に現代社会を訪れ、思い出に浸るだけでなく、家族問題など今の生活への疑問を呈している。
「便利はサボることである」という言葉があった。高度成長期は、まさに便利社会の追究。その時、恐らく開発者達は便利な社会を考えたであろう。しかし、それは、サボる社会ではない。豊かな生活をするための開発だっただろう。豊かな生活をすることが、サボるということに、いつのまにかなってしまったのだろうか。自分自身を省みてしまう。
先日、ノーベル化学賞を受賞された日本人が2名。お二人の研究は、高度成長期に発見された成果である。お二人とも嘆いたのは理科離れ。小生も文系であるので何とも言えないが、以前の仕事で「ポスドク」問題を知った。毎日新聞で連載されている(た)「理系白書」でいろいろと書かれている。今の理科系の大学生は殆ど大学院へ進学するという。マスター、ドクターと学歴を積んでも、就職先がない。大学や研究所で勤めたとしても、3年更新の不安定な身分の中で研究と生活を成り立たせているそうだ。
ニュースによれば、アメリカと日本の科学技術研究費を比較すると、アメリカは日本の10倍以上。恐らく国家予算のみならず、民間からの寄付もある。寄付文化の進んでいるアメリカでは当然のことだろう。ただし、アメリカでは、そこに成果が求められているのは確かである。日本では、精神面のみならず税制面も含めて、寄付文化はまだまだだ。
今日のニュースを通して諸々考えてみると、社会(生活)のシステムと政治(行政)のシステムに何か乖離するモノがあるのかもしれない。