世田谷美術館を見学したあと、同じく世田谷区にある松陰神社と豪徳寺へ。
用賀から東急田園都市線に乗り込み三軒茶屋で世田谷線に乗り換え。松陰神社前駅で下車。歩いて5分くらいのところに松陰神社がある。
言わずもがな、吉田松陰を祀った神社である。松陰が安政の大獄で刑死した4年後の文久3年(1863年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が当地に改葬された。
明治15年(1882年)11月21日、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建された。現在の社殿は昭和2年から3年にかけて造営されたものである。(By Wikipedia)ちなみに、高杉晋作の辞世の句「おもしろき こともなき世を おもしろく」である。
境内には、松下村塾を模した建物が建っている。
そして、松陰神社前駅から3駅目、宮の坂駅へ。ここから、歩いて5分、豪徳寺がある。
豪徳寺といえば、招き猫。井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたといわれている。「豪徳」とは、直孝の院号である。
寺の一角には、井伊家歴代藩主の墓標が並ぶ。
そして、直弼の墓。
幕末、日本が開国し、明治政府になり富国強兵、殖産興業、そして、不平等条約の解消など、欧米に肩を並べるため頑張ってきた。幕末という時代、松陰、直弼、いずれも、日本の将来について考えを巡らせたはずだ。一方は、政の中心で。もう一方は、学問を通した人づくりで。当時対峙していた両者が、近くに眠り、日本の行く末を見守ってきた。なにか、因果を感じてしまう。
用賀から東急田園都市線に乗り込み三軒茶屋で世田谷線に乗り換え。松陰神社前駅で下車。歩いて5分くらいのところに松陰神社がある。
言わずもがな、吉田松陰を祀った神社である。松陰が安政の大獄で刑死した4年後の文久3年(1863年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が当地に改葬された。
明治15年(1882年)11月21日、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建された。現在の社殿は昭和2年から3年にかけて造営されたものである。(By Wikipedia)ちなみに、高杉晋作の辞世の句「おもしろき こともなき世を おもしろく」である。
境内には、松下村塾を模した建物が建っている。
そして、松陰神社前駅から3駅目、宮の坂駅へ。ここから、歩いて5分、豪徳寺がある。
豪徳寺といえば、招き猫。井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたといわれている。「豪徳」とは、直孝の院号である。
寺の一角には、井伊家歴代藩主の墓標が並ぶ。
そして、直弼の墓。
幕末、日本が開国し、明治政府になり富国強兵、殖産興業、そして、不平等条約の解消など、欧米に肩を並べるため頑張ってきた。幕末という時代、松陰、直弼、いずれも、日本の将来について考えを巡らせたはずだ。一方は、政の中心で。もう一方は、学問を通した人づくりで。当時対峙していた両者が、近くに眠り、日本の行く末を見守ってきた。なにか、因果を感じてしまう。