団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

底が抜けてしまった日本人

2008-09-11 08:48:43 | Weblog
 また食品で不祥事が起こっている。こんどは事故米という食用にならない米の処分の不正だ。焼酎、日本酒、米菓にまで影響が広がっているが、救いは食しても被害はほとんどない、というところだ。
 不正をした関係者が、すいませんのひと言で片付けている。どこか人ごとである。当事者意識が薄く、三笠フーズなどは、従業員を早々と解雇してしまった。いずれは会社解散、補償も知らぬ顔になるのだろう。
 一連のこうした不祥事を見るにつけ、どこか日本人の底が抜けてしまったような感がある。やり得、ばれて元々、という卑怯な発想が当たり前になっている。
 悪いことは分かっているのだろうが、ばれなければなにをやってもいい、という論法だ。しかもそれで何10年もまかり通ってきた。それでは、それが当たり前になり、後ろめたさも麻痺してしまうだろう。
 どうしてそうなってしまったのか。戦後、日本をよくしようと国民はがんばった。結果、バブル経済に行き着き、不動産や株で隣人が億万長者になった。極端な格差が生まれ、人々の心が拝金主義に傾き、金がすべてという風潮が広がった。
 バブル崩壊。一気に銀行が貸しはがしを行い、多くの中小企業が倒産した。そして不況が来たが、バブル経済の負の部分は引き継がれた。金がすべて、という人々のすさんだ気持ちはますます深まった。
 この頃から、日本人が変わったように見える。本来持っていた美質がなくなり、自分さえよければいいというジコチューが蔓延するようになった。
 企業にしてみると、銀行の融資を止められることが一番に怖い。そこで少しでも利益を出さなければならない。そのために不正に手を染める。やがて常態化する。
 数字は安泰だが、健全性は地に堕ちる。そして発覚。世間の批判の中で廃業という憂き目になるのだが、最近の不動産不況も銀行が自らを守るために、融資を止めて起こっている。
 銀行も企業も、そして個人も、みんな自分さえよければ、他はどうなってもいい、という姿勢こそが、日本人の底が抜けてしまった原因ではないか。
 支え合い、世間を大切にして、肩を寄せ合って生きた時代は、もう帰ってこないのだろうか。
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