とうとう裁判員制度がスタートした。依然として反対論は多いが、もうはじまってしまったのだから、後戻りはできない。今後、よほどの不都合でも出なければ、一定の期間は実施されていくだろう。
もちろん私も反対だった。専門家である裁判官がなぜ、ド素人の一般人に裁きを押し付けるのか。なんのための裁判官か分からないが、結局はアメリカの制度を真似てみたかったというのが本音なのではないか。
しかし、取り組みようはある。問題は冤罪である。最近、テレビ朝日が検察の横暴を追求するキャンペーンをやっている。確かに検察は起訴した以上は有罪にしたい。有罪になるための証拠を法廷に提出する。無実を示唆する不利な証拠は出さないらしい。すべての証拠を提出することを義務づけているアメリカとは、えらい違いだ。
そこに冤罪が発生する危険がある。これまでの裁判官だけなら、その検察の法廷戦術にはまり、被告人に不利な証拠しか見なくなる可能性もあった。
しかし今度は裁判員が加わる。素人の裁判員になにが分かるかは即断できないが、ただ専門家ではない素人の新鮮な目で裁判に関わることができる。
例えば、状況証拠だけなら、再捜査の差し戻しにしてしまえるし、自白も警察で強要された恐れがあるなら、これまた差し戻しだ。
誰がみても、確たる物的証拠があり、被告人の自白もあり、明瞭に犯行が立証されてはじめて、有罪となる。この当たり前なことを裁判員が実行すればいい。
裁判員になって、裁判にならない裁判が増えれば、それこそ裁判員制度を導入した甲斐がある。検察も有罪率をアップさせることばかり考えないで、曖昧な証拠だけならやはり再捜査を命じなければならない。
裁判官、検察、弁護士と三者の閉ざされた世界で、自分たちの言語と価値観でゲームをしていたのが、裁判員が加わることによって、どんな風穴が開けられるのか。それが次の改善につながることを待ちたい。
やはり基本は、疑わしきは罰せずなのだ。
カメラ・写真、フォトギャラリーの動向に興味のある方は「Web写真人」をご覧ください。また拙著「団塊の世代の世間話」の案内ページにもアクセスできます。「Web写真人」(http://shashingin.web.infoseek.co.jp)で検索できます。アクセスをお願い申し上げます。首都圏のフォトサロン/ギャラリー一覧を掲載。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村
もちろん私も反対だった。専門家である裁判官がなぜ、ド素人の一般人に裁きを押し付けるのか。なんのための裁判官か分からないが、結局はアメリカの制度を真似てみたかったというのが本音なのではないか。
しかし、取り組みようはある。問題は冤罪である。最近、テレビ朝日が検察の横暴を追求するキャンペーンをやっている。確かに検察は起訴した以上は有罪にしたい。有罪になるための証拠を法廷に提出する。無実を示唆する不利な証拠は出さないらしい。すべての証拠を提出することを義務づけているアメリカとは、えらい違いだ。
そこに冤罪が発生する危険がある。これまでの裁判官だけなら、その検察の法廷戦術にはまり、被告人に不利な証拠しか見なくなる可能性もあった。
しかし今度は裁判員が加わる。素人の裁判員になにが分かるかは即断できないが、ただ専門家ではない素人の新鮮な目で裁判に関わることができる。
例えば、状況証拠だけなら、再捜査の差し戻しにしてしまえるし、自白も警察で強要された恐れがあるなら、これまた差し戻しだ。
誰がみても、確たる物的証拠があり、被告人の自白もあり、明瞭に犯行が立証されてはじめて、有罪となる。この当たり前なことを裁判員が実行すればいい。
裁判員になって、裁判にならない裁判が増えれば、それこそ裁判員制度を導入した甲斐がある。検察も有罪率をアップさせることばかり考えないで、曖昧な証拠だけならやはり再捜査を命じなければならない。
裁判官、検察、弁護士と三者の閉ざされた世界で、自分たちの言語と価値観でゲームをしていたのが、裁判員が加わることによって、どんな風穴が開けられるのか。それが次の改善につながることを待ちたい。
やはり基本は、疑わしきは罰せずなのだ。
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